7月某日の正午前、かねてより交流している鶴ヶ浦の方より、間もなくサンマ漁の出航をするとの知らせを受け、市街地にある漁港に急ぎ車を走らせました。漁船が停泊した港には、見送りの人々やマスコミが集まっており、鶴ヶ浦の漁師であるKさんやそのご家族は、出航を目前に控え、取材攻勢を受けていました。Kさんの「さあ出発するぞ」という掛け声を合図に、他の船員達は威勢よく船に乗り込み、手早く錨を船内に引き上げました。間もなく漁船は黒煙を吐きながら出航してしまいました。あっという間の出来事でした。
Kさんの奥さんの話によると、昔からの慣わしで、出航は午前中にしなければならないといいます。そのため、朝から続けた漁の準備も終わらないままでの、駆け足の出航となりました。後から港にやって来た親族は、見送りにも間に合いませんでした。本来ならば出漁を賑やかすテープや旗も用意されませんでした。いつもとは違う、何かに追い立てられたかのような出漁でした。
船はこの後釧路へ向かい、照明器具の設置を行った後、いよいよサンマ漁を開始します。最終的に船が気仙沼に戻るのは、11月になります。
先日、サンマ漁への出漁準備に追われるKさんの姿が地元の新聞で報じられました。この記事の中でKさんは次のように語っています。「やめれば年金で暮らせる年だが、漁師は陸に上がったらおしまいだから」「先の苦労は目に見えている。それでも漁師だから海に出たいんだよ」このKさんの言葉が、少なからず被災地の漁師達を力づけたことは想像に難くありません。
現在、JVCは、Kさんの奥さんの依頼を受けて、津波によって絡まり合い使用不能となった網の仕分け作業を行っています。その網は、冬場に行われる「大目流し漁」(マグロ・メカジキ・サメなど)に使われる予定です。この作業には、気仙沼市社会福祉協議会ボランティアセンターの協力を得ています。連日、20人から30人のボランティアが、この活動に参加しています。
震災から早5ヶ月近くが経とうとしています。震災によって大きな打撃を受けた被災地には、Kさんの様に自らを奮い立たせ、新たな一歩を踏み出している人々がいます。一方で、震災以前の生活を取り戻すためには、まだまだ時間と支援を必要としている人々もいます。JVCは、生活再建に向け自ら努力する被災者の姿を見守りながら、助けを必要とする人々への支援活動を続けていきます。