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コリア

【コリア】済州4・3事件に学ぶ旅 (2) ~歩いて、見て、聞いて知った済州4・3~(会報誌T&Eより)

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東アジアの歴史と平和について学ぶ企画として、コリア事業が準備してきた韓国・済州島でのピースツアー。2回目は、このツアーに参加した大学院生が報告します。

▶「【コリア】済州4・3事件に学ぶ旅 」前編はこちら

本記事は、2025年10月20日に発行されたJVC会報誌「Trial & Error」No.360に掲載された記事です。会報誌はPDFでも公開されています。ぜひご覧ください。

JVC会報誌「Trial & Error」No.360のPDFはこちら



済州島と言えばリゾート地。そんなイメージはいつの頃からつきはじめたのでしょうか。大韓民国(韓国)が身近である私にとって、済州島と言えば、まず初めに思い付くのはきれいな海とペンションといったものでした。きっかけは覚えていませんが、大学に入学して済州島で「4・3事件」があったことを知りました。光州事件や独裁政権時代の話など、これまで聞いた話の中に、済州4・3が出てきたことはありませんでした。

日本から触れる済州島と4・3 事件

今年の春休みには済州島と4・3事件について知るための2つの機会がありました。一つは大阪・生野区で開かれた金時鐘先生の講演会です。金時鐘先生は済州4・3を実際に経験された方で、詩という形でその経験を伝えられてきました。学生たちはこの日のためにいくつかの詩を読んできたのですが、文字を読んだだけなのに、写真や映像を観たことがなくても、生々しく想像ができてしまうほど強烈なものがありました。

先生は御年96歳だそうですが、講演会の始めから終わりまで、半世紀以上も前の経験を語るお姿から感じられたのは、まるできのうきょう経験した出来事に対してでもあるかのような、強い「怒り」でした。あまりのインパクトに、済州4・3とは何だったのか、この問題について少しでも「知っている」と思っていた自分自身の身に、鋭い緊張が走りました。

もう一つの機会は大阪・鶴橋と東京・三河島でのフィールドワークです。在日コリ
アンが多く住むことで有名なこれらの2地域では、いたるところで済州島にルーツを
持つ方々の存在に気づかされました。焼肉屋の名前や、公園に置かれた済州島の象徴:
トルハルバン(石のおじいさん)、そしてフィールドワークの参加者の中にも、済州
にルーツを持つ人がいました。

済州に刻まれた痕跡をたどって

この講演会から3カ月後、私たちは5月のゴールデンウィーク中に済州島へ向かいました。済州4・3の痕跡を追って行く、リゾート地とは一切無縁の3泊4日でした。そこで見たものを全て挙げるには多すぎるのですが、裏を返せば済州4・3はそれだけ多くの人を巻き込み、世代を超えてたくさんの人々に計り知れない傷を残してきたということです。

訪問地の石碑に刻まれた、全く見ず知らずの犠牲者の名前を一つ一つ目で追いながら刻んでいく。毎日、その過程を幾度も繰り返しました。今立っているこの町で、この家で、この学校で……。これらの人々はどんな罪を犯し、なぜいとも簡単に殺されていってしまったのか。疑問は日ごとに膨らむばかりでした。そして、そのような恐怖から命からがら日本に逃れてきた人々のことに思いを致すのでした。

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済州4・3平和公園内で。手前の箱には「日本から孫娘が一人でやってきました。安らかにお眠りください」と記されています

済州4・3 とわたし

このような機会の中で強調されていたのは、済州4・3が「わたし」にとってどのようなものであるかを考えるということです。史実を学ぼうという意気込みからスタートしましたが、この済州4・3を知ろうとする試みは、いつの間にか私の友人や、韓国という身近な国、そして日本という国の在り方――政府、市民社会レベルについて捉えなおすきっかけになっていました。

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済州4・3特別委員会の方々との昼食会にて

筆者プロフィール

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東京大学大学院総合文化研究科修士1年
太田紗菜(李 昇姫〔イスンヒ〕)

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