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イラク

平和だったイラクを知らない子どもたち

かつてイラクには、イスラム教スンニ派もシーア派もクルド人もその違いを超えて共存する社会がありました。しかし、2003年からのイラク戦争は、宗派や民族の違いでの憎しみを生み出し、戦争の犠牲者である360万人もの国内避難民と、それに反感を抱く住民をも増やしています。このままでは将来、平和や共存を知らない子どもがイラクを担うことになります。

誤解と偏見を受けるイスラム教

2016年7月3日。イラクの首都バグダッドの、イスラム教シーア派が多数を占める商業都市カラダで自爆攻撃が発生し、イスラム教の断食月(ラマダン)明けの祝祭で集まっていた多くの礼拝者が犠牲となりました。

イラク保健省は死者が292人に達したと発表し、2003年のイラク戦争以降、あらゆる爆弾攻撃のなかでも最多の死者数を記録してしまいました。

このほかにも、バングラデシュ、アフガニスタン、パレスチナなど世界で起こる悲劇的で衝撃的な暴力事件、自爆・爆破事件を受け、日本ではイスラムへの偏見が高まっていると感じます。イラクの活動について講演した際、「彼らは暴力的。自分達がその愚かさに気づくまで、戦わせておくべきだ。日本人は介入しなくてもいい」との意見を言う方もいます。

この事件のあと、多くのイラク人は「本当のムスリム(イスラム教徒)は平和を望み、暴力を望んでいない。このような行為をする人たちはムスリムではない」と主張しました。しかしこの声はニュースにはならず、日本の私たちの耳にも入りません。

崩壊しつつあるイラク社会

イラクでは、以前はシーア派とスンニ派の対立については政治的な文脈で語られることが多く、事件やテロなどがあっても宗派間に基づく強い対立は民間レベルではありませんでした。しかし、最近ではこの対立が民間レベルにまで落ちてきているようです。イラク戦争以前の、シーア派とスンニ派が互いに助け合って築き上げてきたイラク社会そのものが明らかに崩壊しようとしています。

そのきっかけとして、2014年6月の過激派組織「IS」(以下、IS)の登場があります。

周知の通り、ISが広大な支配地域を手に入れた背景には、スンニ派住民のシーア派に対する強い不満がありました。フセイン政権崩壊後、シーア派主導で国家再建が進められ、スンニ派は冷遇されてきました(イラク人口構成はシーア派6割、スンニ派2割、クルド人2割)。

反シーア派を鮮明にしているISは残虐な集団であり、シーア派住民からは、それを生んだのがスンニ派と捉えられています。バグダッドでは、このようなシーア派哲学(ISを産んだのはスンニ派であり、シーア派はスンニ派を攻撃すべきだなどとするもの)が公共教育の場で語られ一、学校で宗派を聞かれることもあるそうです。

赤ちゃんの命名に際しても、シーア派の名前だ、いや、スンニ派の名前いすべきだで親族や友人たちが言い争いになったり、イラク第二の都市でISの本拠地でもあるモスルから逃げてきたスンニ派女性に対し「なぜISから逃げてきたのか(スンニ派がISを産んだ以上は自分達で決着をつけ、逃げてくるべきではない。死んでも良い)」という言葉を投げたりと、民間レベルでの強い対立が鮮明になってきました。

またイラク政府は、IS掃討作戦という名目での攻撃に乗じて、IS戦闘員ではないスンニ派への締め付けや攻撃を同時に行っているのも現状です。

一般住民と国内避難民との対立

イラクではISなどによる戦闘で国内に避難しているイラク人は300万人以上になります。国内避難民(以下、IDP)を受け入れている都市では、上記のような対立に加えて新たな対立の構造…IDPと受け入れコミュニティとの対立…が生じています。

私たちの現地パートナー団体INSAN(Iraqi Society for relief & development。救援と開発のためのイラク人協会)の活動地キルクーク県のキルクーク市でも、IDP約50万人が押し寄せました。県では、IDPが14の行政区画と3つの避難民キャンプ(khalw baziyaniキャンプ1,500世帯、khalw baziyani2キャンプ1,685世帯、yahiyayaキャンプ400世帯)に分かれて居住しています。

最もIDPが多いキルクーク市には約7万3,000世帯が滞在し、キャンプに入れず身寄りのないIDPは未完成の建物で生活しています。市はIDPにバスでの帰還を勧めていますが、帰還先の安全は保証されていません。IDPの流入に伴い、家賃や交通費を含む物価が高騰し、労働賃金が低下し、病院で衣料品が不足したことから、受け入れコミュニティにはIDPに反感を抱く人もいます。

さらにIDPを装いしないに侵入する戦闘員への治安上の強い警戒感や、IDPの生活の長期化などから、IDPと住民との間に新たな対立構造が生まれてしまいました。

この緊張緩和のため、JVCはINSANと協力し、避難民・地元住民の子どもたちを対象に、アートや演劇の手法を取り入れながら平和や共存をテーマにしたワークショップを実施し、心理学の専門家やソーシャルワーカーが、紛争の影響で心に傷を負った子どものケアにもあたりました。

大切なのは子どもが笑うこと

「アハラン ワ サハラン!(ようこそ)」

ワークショップのために集まった子どもたちによる熱狂的な歓迎は、しばらくやみませんでした。2016年2月、私たちはINSANの事務所で実施された、平和や共存をテーマにした子どもたちを対象とするワークショップのモニタリングを実施しました。

通りからは事務所の入り口は分かりません。INSANは地域住民の共存につながる活動を行ってはいますが、住民の中には反対する人もいるからです。もともとこの地域がもつ民族や宗派間の緊張関係が高いことがわかります。

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ここにいる子どもたちは、両親や家族が殺害されたなどの影響で精神に問題を抱えています。目の焦点が定まらず、席に落ち着いて座れない傾向もあります。自由工作では、タバコと箱で戦車を作ったりします。それだけ心に刻まれた戦争の影響は大きいのです。

ワークショップでは子どもたちが「他の民族の歌」をうたうアクティビティを実施しています。多くの子どもは、他の民族の歌をうたったことがありません。それを聞いた親はとてもビックリしますが、「他の民族の子どもと話せるようになってよかった」という前向きなコメントも聞かれます。このように、子供へのアクティビティを通じて、共存の意識を両親や地域につなげ、対立を緩和することがワークショップの目的です。

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ここでは、精神科医やファシリテーターが一人一人の子どもの名前、性格、出身地などをよく覚えていて、しっかり観察していたことが印象的でした。精神科医はアクティビティや会話を通じ、精神的に大変な子どもたちを見つけ出し、簡単な処方を実施します。

例えば、ファルージャから来た子どもには「ファルージャ=IS=恐怖」という公式、概念が確立されていて、ファルージャという名前が彼らに恐怖を呼び覚まし、状況を悪化させます。

そんな子どもに、ケバブが美味しい、大きな店も多い、自然が裕、近所の人が優しいなど、ファルージャの違う側面を思い出させることで、安らぎをつくりだし、傷を癒す効果をもたらすのです。なにより大切なのは、子どもたちが笑うことにほかなりません。

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(INSANで開催されたワークショップに参加した国内避難民の女の子たち)

宗派や民族が共存していたイラクに戻るために

現地での聞き取りで多くの人は、「昔はイラクは宗派や民族を超えて共存していた」と答えました。INSAN代表のアリーさんのお母さんは「若い頃は、キリスト教徒、スンニ、シーア関係なくミニスカートをはいて、夜ダンスをしたんだよ」と教えてくれました。

「平和をつくる」という言葉がありますが、イラクでは「つくる」というよりも「取り戻す」というのが性格でしょう。しかし新しい世代の子どもは、民族が共存していた頃のイラクを知りません。そのような彼らが将来この国を担うことに、とても不安を覚えます。

これ以上、混乱が長期化し、当時のことを知らない子どもばかりでイラクが構成されないようにすることが必要です。一見遠回りでも、一番近道な方法かもしれません。INSANの活動を支え、日本にも発信することが大切です。

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執筆者:イラク事業担当 池田未樹

本記事は、2016年発行の会報誌(323号)より引用しています。

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