2月23,24日、ぼくらインターン生は「在タイビルマ人への支援活動」に学ぶ、という貴重な機会を得た。以下、そのスタディーツアーのレポートである。
ビルマ/ミャンマーからやってきた人々の現状
ビルマ/ミャンマーからタイに、仕事を求めてやってくる人は多い。今タイに来ているビルマ人は200万人以上、400万人に及ぶとも言われている。そしてその数は、増え続けている。その増え方は1日あたり約300人にも及ぶという。
それは、とてつもない数字に思えた。タイに来たビルマ/ミャンマー人は、主にゴム農園、エビ養殖場、建設業に従事する。仕事をしに来た彼らの状況は、決して良くはない。安い労働力、代えはいくらでもきく労働者として、雇用されている状況を知った。
ケースバイケースだが、本来ならば、雇用主がサポートすべきものが当然のようにない。安全に仕事をするために必要な手袋の配布だとか、身分証明書や健康保険証の配布。それがないために、疾患を負い、正式なIDがないために、タイの医療を満足に受けられないという現実がある。見学させてもらったゴム農園では、労働者だけでなく、その家族が敷地内で暮らしていた。その農園は驚く広さで、山がまるごとゴムの木林だった。だから、そこで働くビルマ/ミャンマー人も膨大だ。何百世帯という規模でゴム山の中にコミュニティを形成し、暮らしていた。ビルマ/ミャンマー人のパスポートもタイのIDのない彼らは、敷地の外に出れば、いつでも警察に捕まってしまう恐れがある。そのため、雇用主の持つ敷地内で日々を過ごすことになる。教育も医療も不十分、外にも出れない。明らかに、人権侵害だ。そんな雇用形態があることに衝撃を受けた。
誰の責任?
そんな状態でも、ビルマ/ミャンマーに帰るより、タイで暮らしたい人の方が大多数であるらしい。どうして、このような状況があるのか、その答えはひとつではない。ビルマ/ミャンマーという国が抱える問題、タイ国内の法的整備、コストを下げたい資本主義、安いものを求める消費活動。原因はどこにでもある。それを強く感じた言葉がある。タイ国内のビルマ/ミャンマー人を支援するNGO、FED(Foundation For Education and Development)のスタッフであるPopoさんの、「皆に責任があると思います。」という言葉。それは、ビルマ/ミャンマーであり、タイであり、その他諸国であり、企業であり、僕であり、皆である。
今、世界中にはたくさんの問題がある。日本にもたくさんの問題がある。そしてその原因は、はっきりとしない。ともすれば、誰かの責任にできる。でも、Popoさんの言うように、「皆に責任がある」というのは真実だ。世界はひとつひとつ、一人一人が集まってできるもの、僕たちは間違いなく世界の一部であり、はるか遠くのことに感じられることも、決して無関係ではない。それを感じた。ビルマ/ミャンマー人がゴム農園で集めた液状のゴムを売れる状態、固形にする作業を初めてみた。車のタイヤ、輪ゴム、ペンのグリップ、ゴムは便利で、もはや日常に欠かせない。でも、それがどのように作られるかを僕は知らない。金で何でも買える今の時代、物事の仕組みを、その成りたちを、知らなくても生きていける世界になっている。その状況が南北問題や環境汚染を押し進めている。少なくとも責任の一端はある。消費者としての僕たちには、自分の手に取る物がどうしてそこにあるのか、その成りたちに思いを馳せる必要がある。決して自由でない生活環境、不足する医療など、人権の保障がないビルマ人たちを目の当たりにし、そんなことを思った。
生きることの単純さと素敵さ
同時に、生物としての人間について感じることがあった。生きる上で必要な物はそんなに多くないと僕は思う。安心できる状態や場所と食料があれば生きられる。人権が侵されても、教育を受けなくても。極端な見方だとは思っているし、もちろん今回の視察で知ったビルマ人の状況は問題だとも思う。でも、彼らはしっかり生きていた。食べて、子どもをつくって、生まれて、生きていた。生物の逞しさとひとつの命が生きることの単純さを感じた。過酷な状況を見て思うには不適切かもしれないけど、生物って素敵だな、と感じた。生きることは素敵だと。
だからこそ、皆とよりよく生きるべく、視野を広げていく必要がある、と思った。今回のスタディーツアーでビルマ/ミャンマーのこと、在タイビルマ人の問題、それに向き合うFEDのこと、僅かながら知ることができた。僕の課題は、この学びをどう活かしていくか。具体的に何に取り組むか、取り組めるか、どう生きるか、まださっぱりだ。だけど、今後、何をするにしても、人と物事の成りたちや仕組みを思いやることを忘れずにいたい。