高校の頃からずっと、発展途上国で苦しんでいる人たちに何かしたいと思ってきた。そのための手段として、大学では乾燥地農業の専攻を選んだ。でも今、実際にタイに来て、現地の農民の人たちと暮らす中で私は自分自身の思いあがりに気づいてきた。
毎日、朝から晩まで汗をかきながら土地を耕し、種をまき、肥料を入れ、水をまき、そうしてやっとできた作物を収穫する。今、お世話になっているお母さんは、さらにそれを自分の手で売る。この汗が一体どれだけすごいものなのか、私は分かっていなかった。私は一日にお母さんの仕事を半分もできない。お母さんが肩に担いで運ぶ重い荷物を一分も持つことが出来ない。お母さんと同じだけの汗を決して流すことはできない。自分の手で、自分が生きていくためのものを作り出すことができない。そんな私が支援していいことなんて、かけていい言葉なんて何もないと思った。機械で一気に稲刈りをする田んぼを見ながら、そんなお金はないからと、一束一束丁寧に稲を刈っていく、そういう力を持ったお母さんに私がかけていい言葉なんて一つもないと思った。
もちろん、支援が必要ないなんて思っていない。そういう人たちは確かに必要だと思っている。でも、私は自分には何もないと思った。生きていくための術を何一つ持っていないと思った。ただ、自分の興味のあることをしている会社や団体に就職すればよいと思っていた。そうやって生きてきた自分は汗を流して生きていく力をつけてこなかった。私は、そんな私が汗を流すことの出来る人々に支援することを違うと思ったのだ。