稲穂が色づき、稲刈りがあちらこちらで始まった11月の初め、カオデーン農園に大阪の仏教団体青年部の方5名が来られました。カオデーン農園での生活、農作業などを体験するといった内容のものでした。

炎天下の中の稲刈りや脱穀体験。その後はバナナの樹を植えるため穴掘りをしました。雨季が明けて一ヶ月ほど経っていたといえ土は固く、鍬を勢い良く振り下ろしてもなかなか掘り進んでいかない状態です。一時間かけてようやく穴を掘り終えることが出来ました。そのほかに、グリーンカレー作りや朝晩の家畜の世話もやっていただきました。

食の大切さを考える活動の一つとして「豚の命をいただく」体験がありました。生きている豚を自分たちの手で命を奪いました。参加者の一人の方は豚の最期の悲鳴が頭を離れなかったと言っていました。その夜は寝付けなかったと感想を述べていた人もいました。
私自身、この数ヶ月ずっと餌を与え続けてきた子豚が手にかけられている時は思わず目をつぶってしまいました。やはり人間は自分勝手な生き物なのだと、自分自身が嫌になりました。

最終日の話し合いで、リーダーの方から「仏性」を教えていただきました。一見世の中は不平等に見えるけれども命を輝かせていくことにおいては平等なのだということです。草木も大きなものもあれば小さなものもあり、たくさんの水が無ければすぐに枯れてしまうものもあれば少しの水でも生き残っていくことのできるものもある。しかし、命を与えられていることにおいては全て平等なのだとおっしゃっていました。
その話を聞いたとき、豚を絞めたときの心のモヤモヤがすっと無くなったような気がしました。全ての条件が同じことが平等なのではないこと、自分と同じ様に相手も同じものを持っていること、同じ条件の中にいることが平等ではないのではないかと考えさせられました。生きることの幸せを共有することが大切なのだと思います。
対等である、平等であるということを言葉で表現することはとても簡単なことです。しかし、その意味を実感することは非常に難しいのではないかと思っています。「●●が無いから平等ではない」ということとは違うような気がするからです。
国際協力の分野においても平等である、対等であるという言葉が使われますが、その意味をじっくりと考える機会にもなりました。今回交流をさせていただいた皆さん、皆さんから教えていただいたことを今後に生かせたらと思っています。有難うございました。
タイから世界を見る機会を提供しています
今回のツアーの目的は、「食のありがたみ」や「人はさまざまなものに支えられて生きている」ことを学ぶことでした。カオデーン農園を舞台に農作業で汗を流して実感する体験型のツアーを組みました。このようにJVCタイでは、タイの農村を舞台に「有機農業」や「食」、「NGO」など、テーマに応じた体験型の団体旅行をオーダーメイドで承ります。ご関心のある方は、タイ担当の下田までお問合せください。(下田寛典)