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カドグリ市街戦の夜(1)

JVCスーダン現地代表 今井 高樹
2011年12月 8日 更新

この「現地便り」も、すっかりご無沙汰してしまいました。

JVCの事務所がある州都カドグリの地図(中央)JVCの事務所がある州都カドグリの地図(中央)

すでにJVCホームページでお知らせしている通り、私たちの事業地である南コルドファン州では6月より政府軍とスーダン人民解放軍(SPLA-N)による戦闘が勃発。活動は6月上旬より一時休止しています。私は日本に一時帰国しました。

その間、JVCが2009年まで活動していた南部スーダンは7月に新生国家「南スーダン」として独立、スーダンは「スーダン」と「南スーダン」の二つの国に分離しました。

9月下旬、事業の再開を目指して3か月ぶりにスーダンの首都ハルツームに降り立ちました。
しかし、南コルドファン州では未だに戦闘が続いていました。直接の犠牲者、避難民、難民など「州内で少なくとも20万人が深刻な影響を受けた」と国連は推計していますが、本当の人数は、誰にも分かりません。
言えることは、州の中央部、およそ100万の人口をかかえる「ヌバ山地」のほぼ全域で軍事衝突や空爆が起こり、地雷が埋設され、人々の日常生活は無茶苦茶にされたということです。
2005年に内戦が終わってから、比較的に平穏だった6年の間に進められてきた人々の生活再建の努力――家の修復や新しい畑づくり、学校建設など――は、その多くが失われました。

国境を越えて南スーダンに逃れ、難民となった人々。並んで食糧配給を待っ ている。(南スーダン・ユニティ州イーダ難民キャンプ)国境を越えて南スーダンに逃れ、難民となった人々。並んで食糧配給を待っ ている。(南スーダン・ユニティ州イーダ難民キャンプ)

私たちが活動していた村々は政府軍の空爆を受け、兵士による焼き討ち、略奪にあい、ほとんどの住民が逃げ去って無人化したと聞きました。あるグループは北に逃れて州都カドグリへ。別のグループは南へと向かい、新しい国境を越えて南スーダンへ。

JVCの事務所がある州都カドグリは6月に市街戦が起きましたが、その後は政府軍が掌握し、避難していた住民の多くが戻ったと伝えられます。しかし市内への道には軍の検問所が何か所も設けられ、敵方であるSPLA-Nの関係者と見なされれば即刻、拘束されます。外国人の立ち入りは今も許可されず、国際NGOの事務所の多くは破壊・略奪されたまま閉鎖されています。私がカドグリに戻ることも、今はできません。

ユヌスさんに会いに

カドグリに戻れないなら、まずはハルツームでカドグリから避難してきている人々に会ってみることにしました。

ユヌスさん。JVC事務所のご近所さんで、日頃から何かとお世話になっていた人です。戦闘のあと、家族でハルツームに疎開しています。

「おお、タカキ、いつハルツームに戻ったんだ。待ってたんだぞ」
電話をすると、いきなりそんな声が飛んできました。さっそく、ダウンタウンの中心に建つモスクの前で待ち合わせをしました。

待ち合わせ場所にジャラベーヤ姿(スーダン男性が好んで着る、ガウン状の白い薄手の服)で現れたユヌスさん、会うのは「あの時」以来です。

「いやあ、お互いに元気でよかった」と再会を喜びながら、ユヌスさんは「あの時は本当にすまなかった」としきりに私に謝り始めました。

「スーダンの人々を支援するために来ているのに、あんな目に遭ってしまって...」

「そんな、ユヌスさんとは全然関係ないじゃないですか。それに今こうして無事に会えたんだから、もういいでしょう」

「そうだな...でも、あの時は、本当に恐ろしい夜だったな」
ユヌスさんは思い出すように、その場で呟きました。

あの時、それはカドグリ市全域で市街戦が起きた6月6日から7日にかけてのことです。

あの時

話は、今年の6月6日にさかのぼります。

南コルドファン州の州都カドグリの町は前日から異様な雰囲気に包まれていました。町のあちこちに銃を持った兵士が立ち、機関銃を搭載した小型トラックが街中を走りまわっています。戦車部隊がカドグリ周辺に入ったことも、国連の治安情報で知らされていました。

5月に実施された州知事選挙の結果を巡って、政府与党の国民会議党(NCP)と反政府のスーダン人民解放運動・解放軍(SPLM-N/SPLA-N)との対立が抜き差しならないものになっていました。選挙結果は公式にはNCP候補の勝利と発表されましたが、敗れたSPLM-N候補との差は投票総数のわずか1%。SPLM-Nは「選挙に不正があった」として結果を拒否。政府側、反政府側双方の軍事勢力が対峙する事態になったのです。

「カドグリで全面戦争になることはない」と考えていた駐在の国連・NGO職員も、さすがにこの事態には危機感を強め、私もJVC東京事務所と相談してカドグリから退避する準備を進めていました。

6月6日夕刻、緊急退避用のバッグにJVCのNGO登録証や各種契約書類、自分のビザ、パスポートなどを詰め、そのままいつでもカドグリから脱出できるような態勢で、私は事務所を閉めて宿舎に向かおうとしていました。その時です。

町の南西の方角から、ドーンと低く鈍い砲声が聞こえてきました。

「しまった。始まったか」

思わず外に出たその瞬間、こんどは事務所の背後から、そして町じゅうのあちこちから一斉に銃声、砲声が聞こえてきました。私は慌てて中に戻って窓を閉め、身を伏せて声を潜めました。なにしろ、バリバリバリとすぐ近くで撃ち合っているのです。

しばらく待ったら戦闘が静まるかと思えば、そんな気配はみじんもなく、どんどんエスカレートしていきます。異様な走行音を立てて大きな車両がミシミシと事務所の脇を通過していきました。それが戦車だったかどうか分かりませんが、やがて裏手からドーンドーンと砲声が聞こえ始め、私は色を失いました。いまや、JVC事務所は戦場の中に入ってしまったのです。

いったい周囲の家々に人はいるのか?不安になった私は、かがんだまま裏口まで走って行き、裏の家に住むユヌスさんの名を呼びました。

「誰だ?タカキか?おお、事務所にいたのか?」

よかった。ユヌスさんは家にいました。

「はやくこっちに来い」そう言って、私を家に招き入れてくれました。

「頭を高くしたらダメだ」

いつ、窓をぶち破って銃弾が飛んでくるかも知れません。私たち二人は、床にマットを敷いて横になりました。そしてその態勢で、あちこちに電話をかけ始めました。市内の様子を知りたいのです。私はJVC東京事務所に一報を入れると、カドグリの他のNGO事務所、国連関係者などに片端から電話を掛けました。

市内のNGOスタッフは誰もが事務所や住居で身動きが取れなくなっていました。国連からは市内の国連・NGO職員に「外出せず屋内で待機せよ」との指示が出ましたが、こんな市街戦の中で頼まれたって外に出られるわけがありません。

(次回につづく)

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