9月と言えばブラック・セプテンバーです。
パレスチナの歴史にとっては、いろいろと手痛い出来事がありました。
1970年にはヨルダンがPLOと衝突し、結局アラファトはレバノンへ追い出されます。1982年の9月には、アラファトが去ったあと、サブラ・シャティーラ難民キャンプで虐殺が起こりました。
2000年9月28日にはインティファーダが始まり、2001年9月11日には、NYで同時多発テロ。何かことが起こるのは必ず9月です。
パレスチナ人は、よく「サブラ・シャティーラを忘れるな」と言うくらい、1982年の虐殺は精神的なトラウマを抱えるものになっています。さて今回は、シャティーラの子供たちを追い続けてドキュメンタリー映画を作っているメイ・マスリー監督に会いにベイルートに飛ぶことになりました。JVCが代行して集めた、メイ・マスリー子ども基金20万円を届けるためです。
「夢と恐怖のはざまで-パレスチナ少女、交流の記録-」の主人公で当時13歳だったモナさんも15歳になりました。監督のはからいでインタビューに成功です。

マキ
「僕は映画の出だしの部分、すごく気にいっているんだけど」
モナ
「『私がこどものころ蝶になりたかった。美しくてそしてどこにでも飛んでいける。でもあまりにも美しすぎて、捕まえられて本のしおりにされちゃう。捕まえられるって自由がない。だから鳥になりたいと思った。鳥も美しいでしょう。そして故郷に飛んでいくの』っていうやつね」
(映画ではアラビア語で語られているが、英語で語ってくれた)
メイ
「まあ、英語がうまくなったわね。思い出すんだけど撮影のときあなたはいつも自由になって飛んでいくって言っていたわね」
モナ
「マナールと一緒に飛んで行って友達のサマルをつれてそしてパレスチナに行くの」
マキ
「サマルって映画に出ていた女の子でしょう、イギリスに亡命しちゃった。連絡はとっているの」
モナ
「いつも連絡取り合っている。彼女は看護師の勉強をしているんだって」
メイ
「ところでモナは、薬学をやりたいっていっていたわね」
モナ
「うーん、理系はちょっと苦手かな。ジャーナリストとか」
メイ
「考え変わった?」
モナ
「大学に行ってから決めるわ」
マキ
「ところでイラク戦争をTVとかで見ていたと思うんだけど、どう感じた」
モナ
「パレスチナと同じね。イラクの人たちは、苦しんできた。サダムがいなくなったけど、今は占領に苦しんでいる。サダムから開放されたけど、状況はもっと複雑。アメリカはすべてを搾取しようとしているのよ。ローマでデモに参加したわ。彼らのために何かしたかったから」
マキ
「君たちの世代が世界を変える?」
モナ
「たぶんね」
メイ
「新しい世代は希望を持ち続けてもらいたいわね」
モナ
「多くの人が、私たちの母もそうなんだけど、『あなたたち若い世代がパレスチナを開放してくれる』っていうの。でもそうじゃないと思う。若い世代と古い世代の人たちが助け合わなければいけないと思うの。彼らは歴史を見てきたのだから」
(9月8日 ベイルートのカフェにて)
モナとマナールが描いてくれた自画像を合成したポストカードはJVCで発売しています。一組400円です。今回、モナにもプレゼントすることができ本人も大喜びでした。

参考資料
音楽家の高橋悠治さんが中心となって作っている水牛通信
モナの詩を収録しています。
http://www.ne.jp/asahi/suigyu/suigyu21/sgbn/sg0210.html
奇聞総解メール版 メイ・マスリー監督来日時の公開質問など
http://www2.mnx.jp/~jyb2774/P-Watch_02_02_06.txt
JVCパレスチナのコーナーバックナンバー
1)マナール(ベツレヘムのマナールを取材しています)2002年第7号
/jp/projects/palestine-report/2002/02/000007.html
2)メイ・マスリーさん 地球環境映画祭で最優秀賞を受賞!2002年第3号
/jp/projects/palestine-report/2002/02/000003.html
CVPP 交流の新しいかたちです。
http://www.cvpp.org/kids_top.html