南相馬日記(雑誌『オルタ』掲載)の記事一覧
実りの秋。今年は、市内の田んぼに昨年より稲穂が多く実っていることだろう。9月は南相馬に行っていないが、光景が目に浮かんでくる。3年ぶりに作付けを再開し、実証田 ※注(1)か試験田※注(2)かという違いはあるにせよ、昨年度に比べ作付面積も増えて農業の復興も少しずつだが歩みを進めつつある。
収穫したコメの全量全袋検査で農家1戸の玄米からセシウムが検出されたというニュースもあったが、きちんとした対策を講じることで、信頼と協力を回復していって欲しい。
南相馬には足を運ばなかったが、JVCと共同で仮設住宅の集会所でのコミュニティ・サロン運営をしている、NPO法人つながっぺ南相馬の理事長の今野さんに福島市に足を運んでもらい、じっくりと話を聞くことができた。といっても、国際協力NGOの協議体が主催した震災・原発事故以降の福島県での支援活動を振り返るワークショップでのディスカッションの中でことなので、いつもとは違う角度から他の参加者の話も聞きながら過去3年を振り返ることになった。
「小さな一歩、されど一歩」
今年も、南相馬市の原町区に子どもの遊び場『みんな共和国』が新しい姿でお目見えした。そもそものきっかけは、2012年2月、震災や原発事故で揺るがされた郷土の絆や誇りを見つめ直し将来を語り合おうと開催されたイベント"南相馬ダイアローグ"での若い親たちの訴えだった。
当時、市内を子ども連れで歩くだけで、なぜ避難しないのかと見られているようでつらかったという。「子どもをふつうに外で遊ばせてあげたい」という願いを叶えようと、ダイアローグから生まれた『みんな共和国』の遊び場づくりがその年の秋から始まった 。
除染が進んでいなかった当時は広い体育館など屋内施設を遊び場に仕立ててきたが、回を重ねるごとに形を変え、今回は水遊びのできる浅くて衛生的な池、"じゃぶじゃぶ池"が屋外に登場した。池が作られた高見公園は除染が済んでいるため線量も低く安心して遊ばせることができる。遊び場で当たり前の子どもの歓声が、2年前は聞くこともできなかった。南相馬の人たちの力が、将来にむけた道をまた一歩切り開いた。
「避難3年目、それぞれの夏」
1ヶ月ぶりに仮設住宅の集会場にある"サロン※注(1)"を訪問した。避難生活を送っている人たちのための交流の場として、1年ほど前から地元のNPOとJVCが協力し開いている。
"サロン"は、今や住民の生活空間の一部になっている。毎日散歩の帰りに寄り、出してもらったお茶を飲みながらマッサージ・チェアの順番を待つ人たちとひとしきりしゃべった後、自分の仮設住宅の家にもどる。そんな日常のようになった風景が、うがった見方をすれば不安定な暮らしの中に編み出された安定のように見える。
「こちら、臨時災害放送局、南相馬ひばりエフエムです。」
毎朝9時になると聞こえてくるラジオの声。「ああ、今日も一日がんばろう」、スタジオにいるいつの頃からかマイクの前に座る声の主を思い浮かべながら、その日の予定を確認するのが南相馬での日課になった。月曜日から金曜日までの朝9時、昼の12時、夕方5時からの生放送で市内の情報や放射線量のモニタリング結果を、フリートークを交えながら生放送するほか、放射能に関する相談番組など自主制作番組や他局の番組を組み合わせ放送しているのが他局とひと味違う。している。2年前JVCも応援しの開局されて以来、紆余曲折を経ながらも着実に歩みを進めてんできた、JVCもずっと応援してきた臨時災害放送ラジオ局。そのラジオ局が、いま新たな試練を迎えている。
昨年1年間、毎月10日間程南相馬市に滞在し支援活動を行ってきたが、その間放射線量を測り続け、結果、年間積算被ばく量1.37ミリシーベルトという値が出た。国際放射線防御学会(ICRP)の勧告によると、事故などによる一般公衆の被曝量(自然放射線と医療行為による被曝は含めない)は年間1ミリシーベルトとされ、放射線防御の目安としている。最近、住民の帰還を阻むとして緩和が取り沙汰されている除染の目標値もこの値だ。根拠は、「累積で50ミリシーベルトの被曝で、癌になる人の割合が0.5%増える」という経験値と「大人は50年生きる(子どもの場合は70年)」という前提から導かれたものだと聞く。(註1)
2006年、いわゆる「平成の大合併」で原町市・小高町・鹿島町の3市町村が合併して福島県南相馬市が生まれた。その境が、東日本大震災で起きた福島第一原子力発電所の事故後の避難区域分けと重なった。原発から半径20キロ県内で警戒区域となった小高区(旧相馬郡小高町)と原町区(旧原町市)の一部は、事故後1年近く帰宅することが許されなかった。その後区域が再編され、昨年4月からほとんどの地域が日中のみ帰宅できるようになった。しかし、インフラの整備や除染の遅れが今も本格的な帰還を阻んでいる。
除染作業で出たごみの集積場所となる仮置き場の候補地が周辺住民の反対で決まらなかったことが、遅れの主原因。現場は仮置き場を大規模1ヶ所ではなく地域割りで複数箇所にすることで設置に向け準備が進められている。