2011年7月の記事一覧
第2回南相馬市復興会議が開かれました。事務局から復興ビジョンの基本理念案などが出されました。委員からは、復旧のために急いで対応すべき問題があるという意見が、多く出ました。
鹿島区の上真野小学校で、プールの周辺の除染作業が行われました。ボランティアが中心になって、先生、保護者らも参加しました。周辺の側溝にたまった土ぼこりを集めて、ビニール袋に入れました。そのあと、高圧洗浄機で水を吹きかけて、洗い流しました。当初、側溝の表面で、10マイクロ・シーベルトあったものが、埃を取った段階で3になり、最後には、空間線量とほぼ同じ0.4まで下がりました。土ほこりの入ったビニール袋は、子どもの近づかない場所に、深さ1メートルの穴を掘って埋めるそうです。
市が帰還計画を発表しました。福島県が8月中に、体育館など一次避難所を占める意向で、市もその方向にそったものです。7月末までに一次避難所を出、8月中には自宅、仮設、借り上げ住宅、避難所など、南相馬市内に帰還することを促しています。ただし、強制ではないといいます。強制ではないにしても、住居費、生活費の自己負担を求められたら、避難を続けられるのでしょうか。
災害FMのホームページを作っている。HPを使って、市外の人に情報を提供するのは当初からの目標のひとつだった。インターネットの環境が良くないことなどもあって、のびのびになっていた。ここにきて様々な環境が整って、東京にいるパソコンやHPにくわしい、市民ボランティアYHさんの全面的な協力を得て、ホームページを開設した。YHさんの協力がなければ、もっと時間がかかっていたことだろう。
ボランティアとして避難所でメンタルケアに当たっている看護師さんら二人に話を聞きました。
二人によると、避難所暮らしが4ヵ月近くになって、避難者の精神状態は、限界に近くなっているようです。看護師さんに言わせると、避難者だけでなく、避難者をお世話するスタッフも、かなりに追い詰められているそうです。その兆候が、どちらにも、不眠を訴える人が多いことだといいます。うつ病は、まず、不眠として現れることが多い病気です。
南相馬市主催の慰霊祭がありました。遺族の出席は2人までと制限されても、市の文化会館の大ホールが、すべて遺族で埋まりました。一般市民はロビーで記帳し、別室で館内放送を聞きました。昨日は、復興市民会議の第一回会議が開かれ、一応一区切りですが、復興よりもまだ復旧という声が多いのも事実です。
南相馬災害FMの放送は、午前9時、午後1時、午後5時の1日3回の放送だけでしたが、今日から、午後9時「ごろ」から再放送を開始しました。働いている人、学校に行っている人も聞くことができる時間に放送するというのは、当初からの大きな目標のひとつでした。「ごろ」というのは、無人放送のため、きっちりとした時間管理が、まだできないからです。
7月1日から加わる新メンバーも含めて、第一回の全員ミーティングを開きました。出席者は、市役所の担当者とその補助役の計2人、DJ担当が5人(ほかに欠席者が1人)、メカ担当が2人、取材担当が2人、そして私と総計11人。政府の緊急雇用事業(きずな事業)による雇用が中心で、多くは1日4時間、週5日のパート職員です。
新潟県の小千谷市、三条市など五つの市町村に避難していた、12世帯19人の方が、市のチャーターした観光バスで、南相馬市に帰ってきました。市は、市がチャーターしたバスで避難した人は、市が迎えにいく方針です。