2011年12月の記事一覧
(前回(カドグリ市街戦の夜(2))から続いています。三編にわかれております。まずはカドグリ市街戦の夜(1)からお読みください。)
ハルツームの中心に建つジャマ・アル・カビール(大きなモスク、の意)。礼拝に訪れる人が今日も絶えません。その傍らのお茶屋さんで、ユヌスさんと私は、カドグリの「あの夜」以来の再会を喜び合っていました。
「それで、ユヌスさん、翌朝に別れてからは、どうしたんですか?」
市街戦が始まったのが6月6日夕刻。銃声の中、二人で一晩を明かした後、翌朝9時頃に私はJVC事務所に残り、ユヌスさんはマーケットの中の親戚の家へと向かったのでした。
戦闘開始から30分後、停電。銃声は時に止んだかと思えばまた激しくなり、近くなり、遠くなり続いています。
横で寝そべっているユヌスさんは、たまたま子供を連れてハルツームの実家に戻っている奥さんと電話で話しているようです。ひとりきりなのか、誰かと一緒にいるのか、と奥さんが尋ねたのでしょう、「タカキと一緒だ」とアラビア語で答えているのが私にも分かります。
電話を終えて、「カドグリで戦争が始まったことは、ハルツームの親戚はもう知っている。皆、心配している」とユヌスさん。「子供がここにいなくてよかった」
JVC東京事務所からは何度も電話が入りました。私は状況を説明するとともに、国連事務所とは連絡が取れており、緊急退避策が発動され救援部隊が派遣されるのを待つ旨を伝えました。
この「現地便り」も、すっかりご無沙汰してしまいました。
すでにJVCホームページでお知らせしている通り、私たちの事業地である南コルドファン州では6月より政府軍とスーダン人民解放軍(SPLA-N)による戦闘が勃発。活動は6月上旬より一時休止しています。私は日本に一時帰国しました。
その間、JVCが2009年まで活動していた南部スーダンは7月に新生国家「南スーダン」として独立、スーダンは「スーダン」と「南スーダン」の二つの国に分離しました。