2014年7月の記事一覧

現地での死者が1,000人を突破した。そのほとんどが市民である。7月22日以降、有り難くも現地パートナーNGO、アルド・エル・インサーン(AEI:人間の大地)のスタッフとは連絡が取れている。家を壊されてしまったアマルはAEIの事務所に家族と避難していて、久しぶりに少しだが眠れるようになったという。砲撃の音は聞こえるが、「少し遠い」とのこと、少なくとも事務所周辺は今のところ安全なのがせめてもの救いだ。動ける他のスタッフは、AEI代表のアドナン医師と巡回診療に奔走し、体調を崩した母子の健康を見て回っている。衛生キットや 、栄養ビスケットの配布も行っている。現在事業のボランティアさんたちとも少しずつ連絡がとれ、多くの人の生存の確認がとれた。
7月26日未明(日本時間)、12時間の一時停戦のさなか、避難所で暮らす人々は、破壊された自宅にモノを取りに行ったり、現金を持っている人は少しでも食料を買い込もうと町に出たりしている。それでも道には瓦礫があふれ、その下には無数のバラバラになった死体が転がっていると言われる。不発弾もある、またいつ再戦されるも分からない。

「神が守ってくれる、また会って、一緒にアイスを食べに行こう!」
それが彼女からの今月18日(金)の最後の言葉だった。私がガザで最もお世話になっている人の1人、現地パートナーNGO、AEI(人間の大地)のスタッフであるアマルと、本日4日ぶりに電話連絡が取れた。18日はひっきりなしの銃声と泣き叫ぶ子どもの声が後ろで聞こえる中、私も泣きながら電話した。正直もう駄目かもしれないと思って、電話中涙が止まらなかった。その後の2日間は電話がつながらず、私が送るFacebookのメッセージを彼女が見てくれて既読になっているか?それを頼りに生存を確認した。それでも21日月曜日からはそれもなくなり、気が気ではなかった。
ガザ地区中部のディール・アル・バラフに住む看護師の友人に、電話で状況を聞きました。私がパレスチナを発つ直前の7月14日に電話で話した際には、彼の自宅周辺もイスラエル軍の空爆を受けて近所の住民が殺されていましたが、まだ家から出て市場に買い物に行くことができていると話していました。また、電気も大規模攻撃の開始前と同様、1日8時間来ており、彼の声も比較的落ち着いていました。しかし、今日18日に電話したときの彼の声は震えて、ずっと緊迫感を強めており、「状況はとても悪い」と話していました。以下が、彼から聞いた詳しい状況です。
7月18日、イスラエル軍は地上侵攻を開始しました。
侵攻開始から現在(日本時間18日午後9時)までにすでに、5歳の幼児を含む28人のパレスチナ人が殺されています(Maan News)。JVCガザ事業のパートナー団体で働くアマルに、安否を確認するため電話しました。彼女とその家族が、地上侵攻で最初の被害を受ける可能性の高いガザ地区北部ベイト・ハヌーンに住んでいるからです。
7月14日、JVCがガザ地区で実施してきた、子どもたちの栄養失調予防事業で働くパレスチナ人の同僚アマルに、安否確認も含めて電話で状況を聞きました。彼女は、ガザ地区の中でも特にイスラエル軍からの攻撃が激しい、北部のベイト・ハヌーンという地域に住んでいます。以下が、彼女から聞いた内容です。
7月10日、ガザ地区のガザ市内に住む友人に確認したところ、空爆が家の周囲にも撃ち込まれている様子で、電気は昼3時から夜11時までしか通っておらず、夜11時から翌日3時までは停電しているとのことでした。
普段はガザ市近郊にある難民キャンプの薬局で働いており、私のガザ滞在中は通訳としてお世話になったこの友人は、次のように私に言いました。
「たくさんの家族が、子供たちが、女性たちが、男性たちが、殺されています。これは単なる犯罪行為です。今は危険だから来てはいけません。状況が落ち着いたらまた来てください。ガザの人々はあなたをいつも歓迎しています」
何かできることがないか尋ねると、友人は次のように答えました。
「私たちのためにドアを開けに来てください」
この「ドア」という言葉には、2つの意味が込められていたのだと思います。
ひとつは、封鎖下で何年も外に出ることができない中で外部世界への道を開いてほしいということ、もうひとつは、巨大な牢獄の中で爆弾が振ってくるガザの絶望的状況から解放されるための道を作ってほしいという意味です。
【※以降は7/18に記載】本日18日、イスラエル軍は地上侵攻を開始しました。すでに230人以上もの死者が出ているガザ地区内の被害が、一層深刻になることが予想されます。こうした緊張の中、この友人からのメッセージをもらい、ガザの「ドア」が開かれる日が早く来るように、少しずつできることをしていこうと決意を新たにしました。

私がガザ地区に最後に入ったのは、今から約1ヶ月前でした。その時は1週間ほど、JVCが子どもたちの栄養状態を予防・改善するための事業を実施してきたガザ市内とジャバリヤ市内を回っていました。私は、2011年に駐在を開始してからこれまでに、十数回ガザ地区に行きましたが、貧困と停電と医薬品不足と空爆で苦しむ中でも、ガザの人々はみな、見ず知らずの外国人の私を皆笑顔で歓迎してくれました。
6月30日にユダヤ人入植者3名の遺体が発見され、それへの報復としてパレスチナ人少年が拷問の末に殺された7月2日の事件に端を発し、現在パレスチナ/イスラエルの情勢は急速に悪化しています。
東エルサレムでは、シャアファートと呼ばれる一部エリアなどが現在も封鎖され、投石するパレスチナ人とそれに実弾や催涙弾で応戦するイスラエル警察・軍の衝突が続いています。これにより少なくとも6人のパレスチナ人が死亡、200人以上が負傷したと報じられています。
一方ガザ地区では、ユダヤ人誘拐事件がハマースによるものとの見方から(その証拠はいまだ公表されていません)、ガザの実質的政府であるハマースの関連施設へのイスラエルによる空爆が増加し、ガザ地区内の武装グループからの反撃も開始されました。本日7月8日、イスラエル軍はガザ地区内のパレスチナ人民家への空爆も開始しました。
パレスチナ・西岸地区でユダヤ人入植者が行方不明になった事件から今日まで、ガザ地区では3週間以上にわたり、毎晩のようにイスラエル軍による空爆が行われ、死傷者が多く出ています。私のこれまで会ってきた子どもたちの泣き叫ぶ声がすぐそこに聞こえるように感じながら、エルサレムで毎日を過ごしています。
そうした情勢の中、日本大使館から、「ガザに行くのはしばらく控えてほしい」という要請がありました。その要請は当然だと思いましたが、私はつい、「いざとなったら安倍さんが自衛隊を出して助けてくれるから大丈夫ですよ。日本政府はそういう決定をしたんですよね?」という嫌味が口から出そうになり、こらえました。