2002年5月の記事一覧
ジェニンの悲劇がCDになりました
今回、パレスチナ人の歌手アラッ・ナトールさんがこのたびのジェニンの悲劇を切々と歌ったCDを3枚買ってきました。6月5日の報告会で販売します。先着3名さまのみに限らせていただきます。また、ジェニンの子どもたちを励まそうとコンサートを行ったアマル・マルカスのCDも販売します。こちらは在庫が10枚です。
坂本さんからいただいたビデオメッセージを早く子どもたちへ届けようと思っていたが、ベツレヘムは外出禁止令がなかなか解けず、ようやく5月11日に僕たちはベイトジブリン難民キャンプへ入ることができた。
最後の訪問看護
PHR(人権のための医師団)へ参加する形での訪問看護は25日最終日を迎えた。今日は、ナブルス近郊のハワラ村での巡回診療だ。5000人の人々が住む小さな村だが、今日は400人ほどの患者さんが訪れた。
ラニーンの夢
赤新月社のメンタル・ヘルスセンターの所長、エリア・アワードさんを訪ねた。「自爆テロを非難することよりも、まずこの情況におかれている人たちの精神状況を理解してもらいたい。」イスラエルの激しい攻撃に、赤新月社の活動もままならなくなっている。救急隊員ですら、精神がおかしくなり、口論などが頻繁に見られるようになったという。メンタルヘルスセンターからカウンセラーを派遣して救急車に同乗させることもある。1月、女性で始めて自爆テロを行ったワファ・イドリスは赤新月社の救急隊員だった。「そういったことが2度と起らないようにスタッフの心のケアも大切だ」と語る。しかし、占領が続く限り、パレスチナ人の心の健康はきわめて難しいとこぼす。
シンジル村へ医薬品を運ぶ
シンジル村は、ラマラ近郊の人口およそ6,000人の村である。この小さな村でも、イスラエル軍による閉鎖の影響を大きく受けている。シンジル村には7つの入り口があるが、これらはすべて、ブロックや土でイスラエル軍によって閉鎖されている。車両は入れないため、JVCスタッフは土の山を超えて、丘の上の診療所に向かうことになった。今回は1800ドル分の医薬品。その内容は、気管支喘息、高血圧などの治療薬、抗生剤などである。薬は結構高価なので、ダンボール人1箱に収まったのが幸いだ。
ビディアの村で井下医師が活躍
「人権のための医師団」との待ち合わせ場所はタイベという町のガソリンスタンドだ。タイベはトルカレムのすぐ近く。我々は少し道に迷って、Uターンしようとすると検問で止められる。なぜかイスラエル兵にはハエがブンブンたかっている。おかげであっという間に車の中はハエだらけになってしまう。我々が、トルカレムに人を運んだんじゃないかと疑われたのだった。
ベイト・リーマ訪問
JVCは、1996年にパレスチナ西岸地区ベイト・リーマ村で農道作りなどをサポートしていた。昨年イスラエルのゼイビ観光大臣が暗殺されたとき、犯人はベイト・リーマ村の出身だと疑われ、2001年10月にイスラエル軍は、3,000人の兵士と50両の戦車を動員して村を攻撃し、5人を殺傷、4家屋を破壊、50人の身柄を拘束した。
ビッドゥ診療所訪問
ビッドゥはラマラの南西にある人口2000人程度の村で、パレスチナ赤新月社とパレスチナ自治政府の保健省が共同で運営している診療所がある。実は井下医師は、2000年の10月までこの診療所で働いていたのだ。しかし、アル・アクサインティファーダが始まったために通勤することができなくなり、診療所のスタッフにサヨナラも言えずに帰国していた。今回、村落部での医療情況調査のために2年ぶりに診療所を訪れた。
テル・アビブ大学で意識調査
・戦争を終わらすためにはどうすれば良いか?
・日本に期待することは?
といった質問をテル・アビブ大の学生に聞いていました。イスラエルは徴兵制があるために学生といっても20代後半の人たちが多いです。
ベツレヘムへ! part.2
我々は、ベイトジブリン難民キャンプへ向かった。路肩には戦車のキャタピラの跡がくっきりとついている。跡をたどっていくと難民キャンプの内部まで戦車が入り込んでいたことが良くわかる。