2009年9月の記事一覧
6月26日の日記に記した井戸支援だが、修理基金を設置して、規則を作り、お金を集めている村については、支援を開始している。今回の修理代金はJVCが負担し、集まったお金は将来の故障の際に使われる。そして集金は毎年行われる。井戸修理を支援した村の村長の演説がふるっていたので、ご紹介。
「JVCはNGOで、お金はあるんだ。修理だって掘削だって、やろうと思えばすぐにできる。しかしそれではこの村の持続的発展にならない。JVCは永遠にこの村で活動するわけではない。今後自分たちでやっていけるように、この人たちは修理基金を提案したんだ。それをわからないといけない」
村長たるもの、援助団体を喜ばす物言いを心得ているのかもしれない。それでもこれだけの演説をしてくれれば、その晩は旨い酒が飲めるというもんです。
6月19日の日記でに村で行方不明になったことを書き、8月11日の日記で見つかったことを書いたサンダルが、再度紛失。しかも帰ろうと思って事務所の玄関に行ったら片方がないという不思議な状況。あーでも夕方前に見たなあ、犬、2匹。珍しいな、犬が入ってきているなんて、と思ったのを覚えている。でもなぜ僕のだけ?なんか“いい臭い”したんですかねえ。そのへんを探したけどない。今度は無理でしょうか。
とある村で井戸を修理するにあたり、今後の修理に備えた基金作りについて話し合う。村には3つの共用井戸があり、壊れているのはそのうちの1つ。この修理を支援するにあたって、他の2つも巻き込んで共用井戸修理積立金を作っては?という提案した。しかしながら、それぞれの井戸で使っている家族の数も違うし、あっちの端の井戸を使う家族がこっちの端の井戸の修理を支援するとは思えない、今までも村で共同の活動のためにお金を集めようとしては失敗してきた、という意見が上がり、村ぐるみの基金は難しそう。あまりにもその「今までも失敗してきた!」に力が入っているので、思わず私が笑うと、釣られてみんなも笑う。さて、どうなることか。
これは「もうすぐ」という意味のラオス語。DVDプレーヤーの調子が悪いので店に行く→しばらくして「直った?」と聞きにいくと「チャクノーイ!」→これを3回繰り返す→「うーん、これは直らない」と言われる。直らないのはしかたないのだけど、チャクノーイってどれくらいチャクノーイなのさ。また誰かを訪ねて行って不在のときなども、「何時くらいに戻ります」とはあまり言われず、「チャクノーイ!」で、延々と待つことも。しばらく待って「まだ?」と聞くと再度の「チャクノーイ!」(もちろん笑顔で)。ラオス人に「ラオス人のチャクノーイはあてにならん」と率直に言ってみたら、「お前ラオス人のことわかってるなあ」とゲラゲラ笑っていた。
タイのかの有名な「マイペンライ」と同意。ボーはNot、ペンは is、ニャンはwhatという感じに訳せるはずなので、要するに「なんでもない」=「大丈夫」、あるいは状況によっては「どういたしまして」。日本人の気質からすれば大丈夫ではなさそうに思える状況でも笑顔で「ボーペンニャン」。実際ラオス人の現場処理能力(特に機材、道具の類なしになにかを作ったり、運んだりする能力)は私のような町育ちの現代っ子(っていうほど若くないないですけど、手仕事が大幅に減ってからの日本で育った世代)を感嘆させるに十分で、「ああ、本当にボーペンニャンなんだ」と思うことも多い。
しかし、日本語の「大丈夫」の感覚で聞いていると、ちょっと厄介な点もあるような。というのも、誰かがミスをした際に、その本人がまず最初に発することが多いように私には思える。ミスをする→相手に謝る→謝られた方が「ボーペンニャン」、これはスッと入ってくる。しかしミスをした本人に先手を取って「大丈夫だよ」と言われると、「いや、たとえそうでもお前が言うな」と思ってしまう。日本人以外も含め、これにムッとくる外国人多数という証言有り。私ですか?そりゃときにはありますよ、正直。ええ、日本人ですから。
我々は日本国際ボランティアセンターである。なぜかIは抜けてJVCだが、「国際」なのだ。しかしラオス人スタッフは極めて国内的な仕事をしている。JVCラオスの非ラオス人スタッフは、ベトナムにもタイにも発展してほしい。JVCが活動を展開していない国でも同じ。
しかし彼らはどうか。そう願ってもいいしそう願っているかもしれないが、そう願わなければいけない立場でもないような。実際、スタッフがベトナム人やタイ人のことを悪く言うのを聞くことだってある。ベトナムでなにか問題があって、そこからの何らかの影響で(外国資本のベトナム撤退/ラオス参入とか)国が潤っても、普通に嬉しいだろう、自分の国が、家族や親戚や友達が潤うんだから。別に通常業務にあまり関係はしてこないけれど、何気ないようで根本的なギャップかもしれないなあ、と思ったりします。
ビエンチャン行きのバスがいよいよ発車しようというところでの一コマ。私の前の席の女性が、係り(一応車掌?)のお兄ちゃんに何か頼んでいる。聞くでもなく聞いていると「暑くてたまらない、水浴びしてくるから5分待って」とのこと。水浴び?トイレじゃなくて水浴び?確かにこちらのトイレは水浴びもできるけど、と少し驚きながら成り行きを見守ると、兄ちゃんはアッサリOKを出す。しばらくしたら着替えた彼女がサッパリした顔で帰ってきて、バスは出発。「狭い日本そんなに急いでどこに行く」という川柳?があったが、交通手段の発達程度から考えると、ラオスはとても広い。でも、急がない。
ある村で村人と話したとき、彼がこれ以上会社に土地を取られると困る、という話をしたあと、続けて言った言葉。ラオスの農民すべてを代表するわけではないだろうが、こんなふうに考えている人がいるのだな、ということでご紹介します。
「もし会社がこれ以上このあたりの土地を取ったら、我々はそこで働く労働者にならないといけないだろう。そうなったら、働きたくないときにも働かないといけないし、給料を下げられてもこちらはなにもできない。土地を持っていれば、そこからの収入は私のものだ。労働者は退職してしまえばあまりお金がないだろうが、作物を作っている限り農民のほうが豊かだろう」