2009年6月の記事一覧
のっけから一見不釣合いな言葉を並べてみましたが、いたって真面目なお話。壊れたまま直せないでいる共同深井戸を直して欲しいという要望を上げてきている某村。さて、どうしたものか。清潔な水へのアクセスは基本的ニーズであり権利でもある。新しい部品を買うこと自体は明日にでもできる。修理すれば2〜3年くらいはとりあえず問題なく使えるだろう。そういった意味ではすぐにでも支援したい気持ちもある。もっと言えば、村人が掘る浅井戸の場合と異なり、業者に掘削を依頼すれば水が出て、間違いなく村人に感謝されるのだから、スタッフもやりたがる傾向がある。
しかし大型の深井戸はかなりの確率でいずれ故障する。その間いつか起きる故障に備えてお金を貯めるだろうか?村人は今回JVCが修理してくれた場合は、井戸管理組合を作って将来の修理に備えてお金を集めるという。その心意気はよいのだが、正直不安はある。別にこの村がどうとかラオス人がどうとかいうことではない。やはりまず実績ありきのほうが安心感が強いということ。
実際よくよく話を聞いてみると、以前壊れたときのお金集めが難航した事もわかった。「うちはあの井戸は使わないから」という人が必ず出るのだ。でもね、今あなたが使っている別の共同深井戸もまず間違いなく数年のうちに故障するんですよ…だから、やはり村ぐるみの活動として団結してやってほしい。今は雨季で次に水不足が深刻になるまで半年以上ある。ここはグッと堪えて、少し厳しいと思われるかも知れないが、その間積み立てが行われるのを見てから支援するか。なかなか悩ましい問題だ。
ある日村で急に雨が降ってきたとき、ある村人が笑顔で私にこう言った。「タンマサートヘットレオ!」。直訳すると「自然がやってくれた」という感じか。初めて聞いた言い回しだったが、なぜかこれはニュアンスも含めて即座に理解できて、私も笑顔で同じ言葉を返した。以来急に雨が降り出すと好んで使っている。ラオス人受けも良い。教科書的でない生きたラオス語だからだろう。
JVC試験水田(と言うとかっこいいが、別に常設ではなく人に借りた田)にてSRI(幼苗一本植え)方式による田植えを実施。苗がまだ幼いうちに苗床から本田に移し、間隔をとって真直ぐ一本ずつ植えることで、苗一株一株の分桔力を生かす技術で、マダガスカルで開発されたのち世界に広がり、東南アジアでも普及してきている。今回使ったのは15日目の苗で、日本の農家の方に「そんな小さいの使うの?」と言われたこともあったが、ラオスの15日目の苗はそれなりに大きい。
私も最初は田植えをしていたのだが、あまりの手際の悪さに自ら雑草引きに転向を宣言。これはこれで役に立ったはずと信じている。しかし田植えにしても雑草引きにしても、一人でやっているとなんとも人を内省的にさせる。ラオス人スタッフはひっきりなしに冗談を言い合って楽しそうだが、それがあまり理解できない私は、一人自分の内面と相対していたのであった。
某村に泊まったある晩の翌朝、私のサンダルがないことに気がついた。「誰か間違えたのかな?それとも犬がくわえて?」と当惑する私に、「ああ、村人に盗られたね」とアッサリ言うスタッフ。同国人だからこその遠慮のなさか。状況を総合的に見ると、確かに盗まれた可能はある。村人はというと、「昨日は2軒の家に寄ったはずだから、どちらの家で無くなったかハッキリさせては?」と提案してくる。それについては、私は裸足では歩かないので寝た家に決まっているのだが、とにかく「誰かが間違えただけでしょうから、もういいです」と言うと安心したような雰囲気になった。村人としては村の名誉のこともあるし、援助団体の人間、しかも外国人に悪く思われるのはマズイという気持ちもあったのかも知れない。高級品でもなんでもないのだが、すこーしだけ洒落た模様が入っていた(洒落ているかどうかは知らないがとにかく無地ではなかった)。運転手さんに頼んで村の店で無地のサンダルを買ってもらった。
朝の飛行機でラオスに向けて出発。連れ合いとも家族とも友人とも別れての単身赴任。眼下に広がる日本の国土が小さくなってゆくのに反比例するように、胸の寂しさは大きくなる。などと叙情的に書いてみたが、実際は通路側の席で景色は見えず。しかし寂しさはあった。
ビエンチャン到着は夜9時過ぎ。暖かい!帰ってきたぜ、俺のラオス!明日なに食べよう?と旅立ちの寂しさなど無かったかのような気分の私。薄情?適当?いえいえ、この切り替えの速さは国際的に仕事するには必須かと存じます。
1週間だけ所用で日本に帰っていたため、13日土曜日の総会に出席。JVCを熱心に支えてくださっている皆さんとお会いできたので、非常に良い機会だった。アジア学院留学中の農業担当フンパンとも久々の再会。お土産にビアラオ(ラオスのビール)を渡した。そして彼の報告会。喋りはしっかりしていたし、分かり易かった。欲を言えば、あまりラオスの人口や人口密度といったデータ関係に時間を割かず、もっと議論の焦点を絞って掘り下げた分析ができたらより印象的なものになるだろう。
彼はアジア学院で農業技術だけでなくリーダーシップを学んでいるが、リーダーというのは往々にしてそういった手法で何か1つでも聞く人に強烈な印象を残す話をするものではないだろうか。などといずれ開催される自分の帰国報告会のハードルを自ら上げてしまう私。いずれにせよフンパンは年末まで日本にいるので、またみなさんの前でお話する機会もあるだろう。その際は是非お越しください。
ラオスはどう?とよく聞かれる。ラオス大好き!と言えれば幸せなのだろうが、そういう気持ちはない。でもラオスが嫌いか、と言われるとそんなこともまったくない。人がフレンドリーだろう、とか、飯が旨いだろう、とか、女の子がかわいいだろう、とか色々言う人がいるが、フレンドリーな人も旨い飯もかわいい女の子もこれまで住んだどの国にもいたし、あった。留学先だったあのイギリスにだって美味しいものがあった。なので究極的にはサワナケートもロンドンも一緒です。いや、さすがに無理があるかな?まあ究極的には、ですよ。
雨季の序盤のこの時期、雨が降るとカエルが顔を出すのは日本もラオスも同じよう。夜道を行く我がJVCプロジェクト車。運転手さんと助手席の私がほぼ同時にヘッドライトに照らされたカエルを見つけると、「今夜のオカズだ」と車を止めてカエルを捕まえようと試みるJVCスタッフと郡の農林事務所職員。下は34から上は59歳のオッサン4名が奮闘するも残念ながら一匹も捕獲ならず。
っていうかみなさん、今夜のオカズのカエルならさっき市場で買ったのがまだビニール袋の中で動いているじゃないですか…とふと我に返る私でした(オッサンとはいえ天に誓って駄洒落ではない)。
みなさまはじめまして、昨年11月にラオスに派遣され、現地事務所代表として勤務しております平野将人と申します。2月頭に前現地代表の新井がお別れのご挨拶を記し、またそこに今後この日記を私に託すとありましたが、プロジェクトの本格的開始とも重なりこれまで再開することができませんでした。2004年名村代表時代から続いている現地便りであり、またリピーターとして訪問してくださる方も多いということで、ここに来て再開を決めた次第です。
明日から現場の様子が伝わるような日記をお届けできればと思います。宜しくお願いいたします。