2006年3月の記事一覧
08:00 今日締め切りの原稿が4本、冷や汗が流れる。
10:00 黒生姜案件の目処が立ち、ちょっと安心する。
13:00 Yulalaで御飯を待っている間、幽体離脱する。
14:00 JICA事務所で思いがけず愉快な時間を過ごす。
16:30 森林管理ビデオの最終稿チェックで激怒する。
17:00 まさるから来たメールに、人知れず爆笑する。
20:00 業務メールを無事送信し、再び幽体離脱する。
20:30 中里家でいただいた晩御飯、心身に沁みいる。
なお、諸般の事情により、4月中旬ぐらいまで、日記をお休みさせていただきます。
ラオス人は、ある時期までは、歳より幼く見えるのだが、20あたりを過ぎたあたりから、急に老けはじめ、特に女性は、実際の歳より、ずっと齢を重ねているように見えてしまう。
でも、歳不相応という意味で、もっと驚くのは、顔ではなくて、手のほうである。
幼い顔立ちとは対照的に、節くれだち、細かな皺が刻まれた、まるで老婆のごとき手の若者と出会うことがある。彼ら彼女らは、小さな頃から、いろんなことをしてきた。畑作、竹篭作り、木の伐採、罠作り、果物の皮むき、幼い子どもの世話、洗濯、水汲み、などなど。そんな彼ら彼女らの日々の営みが、手に刻印されている。
そして、そんな労苦を刻んだ指先に、色鮮やかなマニキュアがそっと塗られているのをみると、迫力にも似た、美しさを希求する人間の底力が伝わってくる。
そして、ふと自分の手をながめ、相応の齢を重ねてこなかったことを恥じる。
3月13日(月)てんやわんや
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
朝に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
こういう達観が心に沁みるときって、やっぱり疲れてるんでしょうね。
ビデオジャーナリストのプーヴォン宅へ。
村人による伝統的な森林管理を描いたビデオに、英語字幕を入れる作業をしているのだが、ラオス語−英語の翻訳が意外に難航し、メコンウォッチの木口さんに助け舟を出してもらうことに。ラオス語の婉曲表現を、英語ないし日本語に直訳しても、意味が伝わってこないし、意味だけを抽出して英語で表現しようとすると、ラオス語のナレーションとまったくあわない。ふーむ、さて、どうしたものか。
カナダ政府からの助成金(カナダファンド)の最終報告書を作成。カナダファンドも、3月末をもってラオスから撤退。政府系の助成金とは思えないほど使いやすい資金だったし、予算配分の現場担当者に、ラオスの実情を知る優秀な人材を配置していたし、本当に残念。リチャード君とは、またきっとラオスのどこかで会うことになるんだろうけど。
とてもとても暑い日。いよいよ、地獄の暑さの到来間近。
そんななか、ビエンチャン事務所近くの、ヌイちゃんのフルーツジュース屋は、JVCスタッフの憩いの場となっている。ちなみに、グレンくんは1日に4回もビタミン補給の旅に出るほどのフルーツジュース狂。
いまのお勧めは、いちご+バナナ+ヨーグルト。疲れたときは、パイナップル+ヨーグルト。ちなみに、6月はパッションフルーツがベスト。あの、どでかいグラスにたっぷり入ったジュースをしこたま飲むと、溢れんばかりの幸せがやってきます。お試しあれ。
3月7日(火)ビジネス環境としてのラオス
朝、カンボジアチーム帰国。そのまま、経産省業界の方とのアポ。
まっとうな国家間外交には、それなりの外交ルールが存在するように、ビジネスにも守るべきルールがあると無邪気に信じ込んでいた節がある。
ところが、ラオスでは、ビジネスのルール違反者は、退場処分を喰らうどころか、勝ちを収めることができる構図がある。また、本来、国家の計を考えて、レフリーとなるべき政治家や行政官たちも、ビジネスプレーヤー達と一緒になって、悪質なルール違反を連発する。そんな、正直者がバカを見る投資環境を是正するのに必要な智恵とは・・・・・・、すいません、とても勉強不足です。
経済なき理念の追求は、寝言に過ぎないことは理解しているつもり。もう少し、ビジネスという観点から、この国をあり方を考えてみたい。
よねさん、まさる、まゆ、あやか、かがわさんと、CLV3国のスタッフが、昨日からビエンチャン事務所で激烈会議。各国の今後数年の計画を発表し合ったのだが、みんなの野心的な報告を聞いて、ふーむやるなぁ、と感心。
自分が、この4年間の活動で、つらかったことの一つは、孤独感。とくに政策提言活動は、いつ地雷を踏むかわからないような戦いを強いられていたにもかかわらず、ほとんど孤立無援。「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)が少ないからだ」といわれれば、それまでなんだけど、だからこそ、たまに手を差し伸べてくれた人のことを、私は決して忘れない。
そう、この定期会議は、それぞれの持ち場で孤独な戦いを繰り広げている各国スタッフの孤独を和らげる場として機能している。それぞれの立ち位置を確認し、お互いの健闘を称え、新たな価値を創造するチャレンジに踏み出す勇気をもらうのである。
会議は、暴走と迷走と爆笑を繰り返しながらも無事終了。そして、やはり、夜飲みにて、またまた爆走。すんまそん。でも自分は、このメンバーとJVCの同時代を過ごせて、本当にラッキーだったと、つくづくおもう。
重松清の「ビタミンF」(←細野さんどうもありがとうございました)、そして西原理恵子のまんが「毎日かあさん」を読む。両方とも恐ろしく秀作。この、飾らないまっすぐな作品に救われたお父さんお母さんは、きっとたくさんいるに違いない。とてもおかしくて、そして切なくて涙がこぼれそうになる、そんな作品たち。
そう、自分もまた、物語の力を信じている。
今日、私の机にあった私物をまとめた。そして、カムアン事務所の鍵を閉めてから、4年間肌身離さず持っていたその鍵を、後任の賀川さんに手渡した。わたしが渡したのは、机と鍵だけでないことを、覚悟しておいてください。