2004年2月の記事一覧
カムアンの村に行くと、おもわず「きれいだ」と感嘆したくなる村が多い。ざっとあげると、クワンカイ村、タット村、ムアンカイ村、ナボー村、などなど。自然と人の調和点というのか、そういうものがみえる。人が強すぎず、自然が強すぎない、そんな感じか。(相変わらず表現が貧困……)百聞は一見に如かずなので、皆さん是非遊びに来てください。
で、今日は、休日出勤となっていやがるスタッフを無理矢理連れて、タット村に行ってきました。ラオス百景をあげるなら推薦したいぐらい美しい村です。この調和感を崩さないような支援を考えるのは至難の業ですね。少なくともこちら側の仕掛けと、あちら側の仕掛けが調和するポイントに注意を払いながら、支援計画を考えています。
今回のスタディツアーで学べたものは、大河のほんの一滴に過ぎず、その流れの中にかき消されてしまうぐらい小さなものかもしれない。河の流れを変えるなんてありえないことさ、と、鼻で笑うひとがいるかもしれない。
でもあなたがたはみてきたのだ。本気になって放つ一滴の波紋が、大河の流れを変えてしまう可能性を秘めていることを。
あなたに大河になってほしいとはいわない。せめて、心の内に生まれたかもしれない、その小さなざわめきに目を閉じてしまわず、大切に育んで欲しい。
まずは、昨日の発言の訂正。昨日紹介した彼女が、今日村の状況の説明をしてくれたのですが、明らかにひよっことは思えない説明や質疑応答をしていました。ヘッドハンティングを真剣に検討したくなるほどでした。
さて、今日は植林によって失われた自然の森林を、再生させようとしている村を訪問。その森を歩いているときに、ラオスの村人が話してくれた、ある意味、彼らの本音の話が、すごくおもしろかったですね。何を話したかは、ないしょ。
タイのNGOと仕事をしていると、彼ら彼女らのポテンシャルの高さを痛感させられます。
たとえば、今回のスタディツアーに協力してくれている、FERのスタッフのある女性について。彼女は、まだ正社員?として働き初めて1年ぐらいしかたっていないこともあって、業務経験という意味では、まだまだひよっこです。が、東北タイの農村の出身ということもあるせいか、村人にとけ込むスピードが段違いに速く、気がついたら自分の子供のように村人に扱われています。フィールドワーカーの重要な要件として、「村人とお友達になれるかどうか」が挙げられますが、もう十分クリアしてます。また、農業や森林の専門的な知識がなくても、父母から教わった知識が身体に染みついており、村の生活全般に関してなんでもよく知っています。。そのうえで、大学に進学しており、広い知見やロジカルでクリティカルな思考、さらにイサーン語(ラオ語)、タイ語、英語を理解し、話せます。はっきりいって、途上国におけるフィールドワーカーの資質という意味では、日本人がどれだけ背伸びしても、彼女に追いつけません。
ラオスのNGOで働くラオス人スタッフをみてみると、高等教育を受け、専門の知識もあり、英語もそこそこできるひとが多いのですが、いざ仕事になると、なぜかアッパークラスの意識を感じさせてしまう人が多いですね。目線が村人とならんでおらず、むしろ、「業務なので村人に合わせてあげてます」っていう感覚があるんだよなぁ。その点、タイのNGOスタッフは、村人への敬意があって、村人から学ぶ姿勢を感じる。ホントに決定的な違いです。
まあ、個人差もありますし、あくまで社会的なコンテクストの違いなので、なにがどうというわけではありません。ただ、うちにもこんなスタッフが数人いたら、イキのいい活動ができそうだなぁと、あれこれ想像を膨らませてしまいます。
ただ、だからといって、ラオスの活動で、タイ人のスタッフを雇えばいい、と単純にはいえないのが、ビミョーなところなんですけどね。
今日のまとめの際に、参加者のラオスの役人から、「村の共有林をきちんと法的に認めている分、タイより、ラオスの共有林政策の方が上だ。だからラオスでは問題ない。」という感想がでていました。たしかに、そういう面もあるでしょう。しかし、共有林という概念の出自が違うこと、そして、その違いが決定的に重要なことに、ひょっとして気づいてないのではないかと、心配です。
なにが違うのか。タイでは、森林を巡る村人と政府の闘争の結果として共有林を勝ち取ってきた経緯があるのに比べ、ラオスのは、村の領域にある森林の管理を村に任せるといった、いわばトップダウン的な共有林です。このコンテクストの差は、共有林管理をしていく上で重要なキーとなる、管理の主体性やその権利意識の違いとして現れてきます。
ラオスの共有林は、ラオス政府が意図する森林(土地)管理方法にそって、管理していかなければなりません。村人の保全・利用方法が政府の方針と異なれば、きっと政府は村の共有林を認めないでしょう。つまり、ラオスの共有林も、その最終的な管理主体の所在が政府にある限り、タイとまったく同じ問題が発生することもありえるし、現実的におこっているのです。
なんでタイの村人は政府と闘ってまで共有林が欲しかったのか、まだ森林が豊富にあるラオスで、今後なにを気をつけなければならないのか、訪問した村に、ラオスの将来を考える数多くのヒントがあります。現実に発生している問題に目をつぶって自己正当化を繰り返すのであれば、そこに学びは生まれません。
また、今日訪問したタイの村では、村人と大学などが協力して共有林を調査し、あらためて森林の重要性を自ら考える機会を設けたそうです。その調査方法について、ラオス側から、あれこれ質問が出ていました。しかし、調査方法の技術的な側面は、実はあまり重要ではありません。むしろ、村人自身が、自ら調査をする意義を感じ、実行に踏み出している点こそが重要なのです。そこには、自ら獲得した共有林と、押しつけられた共有林の、あきらかな違いが、そこに厳然としてあることに気付いてほしいのです。
現に、ラオスでも、政府が認可した公共事業(植林など)に対して、村と衝突する事例はすでに出ていますし、それを通じて、自分たちの共有林とはなにかを考え始めた村も出てきています。実際、今回のスタディツアーはそういう村人ばかりを集めています。これらの村が共有林を本当の意味で勝ち取るためには、もう少しレッスンと時間が必要なのかもしれません。少なくともJVCは、あきらめずに、その学びのプロセスを促進していく役目を果たそうと思います。
FERと共催の森林管理スタディツアーで、今、村人6名、政府関係者9名をつれて、タイに来ています。タイ語がいまひとつわからず、だれも訳してくれないので、かなり苦しい展開ですが、キャッチできた村人の意見や村の様子を見聞するだけでも刺激的です。
そろそろ寝たいので、今日うろうろと考えたテーマの一部を紹介。
・この地域を取り巻く学歴偏重主義と、local Knowledge尊重の、ものすごい隔たり
・森の知識を失いつつあるタイの子供達の話と、若き国際協力専門家の同一性
・ 「奇特な」頑固親父を支援することの妥当性
・政府の「貧困削減政策」思想の驚くべき貧困さと、それがまかり通る恐ろしさ。
みなさんもご一緒に考えてみましょう。
評価準備、ほぼ終了。私がぼやけている間に、ビエンチャンチームと助っ人外人が終わらせてしまったような気もしています。みなさん、本当にお疲れ様でした。
会議の合間あいまに、週に数回足繁く村にかよっている現ビエンチャンチーム、それを昔率いていた助っ人のお二人から、ビエンチャンプロジェクトへの思い入れが、びしびし伝わってきました。役割分担の結果ではありますが、ビエンチャンチームの能力に任せて、ビエンチャンの対象村に半端な関わりしかしていない自分との距離感が、なにかこう、決定的なスタンスの違いを生み出していることに気付いて、やや反省モード。
なにはともあれ、これからが評価本番。学び多きプロセスになることを期待しています。
おなじくビエンチャン評価の第2の助っ人となる磯田さんが、昨晩8時に到着。の予定だったのだが、なにがどうなったのか、明確なアナウンスもないまま、到着が、日付の変わった午前1:30となる。最後に家に辿り着いたのは、午前3時前……。睡眠不足に極端に弱い名村は、今日の評価の打合せで地獄を見ました。
まあ、これでもましなほうで、私がラオスに初めて来た96年には、1日待たされたあげく、「今日は飛びません」というアナウンスを頂戴したこともあります。ただ、もうあれから8年ちかく経っているし、国際線なんだし、もうそろそろラオス航空にも、サービス業なるものを勉強していただくよう、強く要望します。