2003年7月の記事一覧
ジャーナリストの土井敏邦氏に頼まれてムスタファ君を探しに行った。
バクダッドが陥落する2日ほど前、疎開していた母親の実家の前で叔父(父親エマドの兄)と共に車の横にいたとき、ムスタファ君の十数メートル先に米軍の爆弾が投下された。その破片はムスタファの左脚太腿を貫通、叔父は頭部を割られ即死したという。彼はアルカルク病院に入院しているということだった。
サダム政権が崩壊してから、周辺のイラク人に迫害を受けて家を追い出されたパレスチナ人は4000人に達している。サダム政権下では優遇されてきた彼らは、バラディアートと呼ばれる地区でそこそこ立派なアパートがあてがわれていた。
イラクの夏はまだまだ始まったばかりである。それでも朝には少しは心地よい風が吹くようになった。金曜日は休日なので、早朝は人通りも少ない。しかしガソリン不足が昨日辺りから始まって、早朝からガソリンスタンドに向かって車の列が続く。
イラクは暑く、いまだに混沌とした状況が続いている。
経済制裁、戦争、略奪...そしてこの前までは試験で苦しんでいた子どもたちを励まそうと、イラクボランティアチームが乗り出した先は音楽・バレエ学校。
ナーム、ナーム(アラビア語でそうだ!そうだ!)
あの懐かしい声が戻ってきた。
そう、サダム・フセインの口癖である。サダムはヨルダンのヒシャーム・ヤニス劇場に現れたのだ。開戦前夜、私はイラクにいて、サダムフセインがともかく毎日テレビに出てきた。しつこいくらいテレビに出てくるのである。
彼の部下が敬礼して何かを報告する。それを「フム、フム」とうなづきながら聞いている。そして最後に何か洒落た冗談をサダムが言って「わっはっは」と笑って終わるのだ。
1991年の湾岸戦争以後、白血病や小児癌の子どもたちが増えている。原因は1991年に米軍が使用した劣化ウラン弾ではないかといわれている。そして今回のイラク戦争でも米軍は、前回を上回る量の劣化ウランを使用したという。