どういうわけだか、再びスバイリエンに来ています。ベトナム国境沿いのこの地で活動を行っているIVYという団体にお世話になりました。なんと今回は2週間にわたる農場での研修。フィリピン人農場長のセルナンの仕事ぶりを見学しにスバイリエンに出向きました。研修にはJVC試験農場の農場長のソカーと共に行ってきました。ソカーは1週間のみの滞在で、セルナンもクリスマス休暇で2週目はプノンペンへ行ってしまいました。
そういえばそんな季節なんですね。セルナンの仕事ぶりを見学させてもらうはずが、なぜか2週目は自分一人だけがスバイリエンに取り残されました。セルナンと共に働く農場ワーカーと2人で仕事をすることに。彼は現地の農民ですので、全く英語は通じません。なんでしょう。これは完全に試されてるなと。カンボジアに来て4カ月で自分のクメール語がどれだけ上達したかを試すにはまさに絶好のチャンスとなりました。まぁ、結果的にほとんど会話は成り立たなかったのですが...。
そんなことはよしとして、セルナンの仕事の取り組み方は興味深いものでした。彼の働きぶりを間近で見させていただき、そこから彼のこだわりやカンボジアに対する思いを垣間見ることが出来ました。まず彼は暑いのが大嫌い。暑いのが嫌ということで朝は日が昇り切る前から働き始め、11時にはいったん切り上げて昼食をとります。お昼はのんびり休んで午後は遅い日だと15時から仕事を再開する日もあるのだとか。
暑い時間にはなるべく動かなくていいように。無論、農業は定時でやるような仕事でもないですが、何時から仕事しようとどれだけ休憩しようと農場に関することはすべてセルナンに任されているということから、いかに彼が信用されているかということが分かります。そんな彼が作業中に頻繁に口にする言葉がありました。
「It's simple. Just plant more.」
とにかく植えりゃいいんだよと。植えないことには何も始まらないんだということを彼は常々自分たちに言い聞かせるように話しました。技術的なことはあとでいいからまずは植えることから。JVCもIVYもテクニックなんかはさほど変わらないし、やるかやらないかの問題だと言います。確かにIVYにはものすごい先進的な技術が導入されているわけではありません。彼の知識が豊富であることは別にして、これまでそうしてやってきた経験からのアドバイスであったと思います。
セルナンは、てきぱきと農作業をこなしつつもしつこいほどの自分たちの質問に嫌な顔一つせずていねいに対応してくれました。農場のワーカーとはどのようにコミュニケーションをとっているのか、水やりはどのように、1日に何回するのかなど。一つ一つの質問にはきはきと答えてくれました。英語が苦手なソカーも一生懸命質問しようとするのですがなかなか伝わらずもどかしそうでした。
セルナンもなんとかソカーの言いたいことを汲み取って答えてくれるのですが、ソカーの反応はいまいち。ちゃんと伝わっているといいのですが。
一緒に仕事をしたのはたった1週間でしたが、彼が農場でさりげなく語った言葉がとても印象に残っています。
「There is limitation here. We will leave. They should stand alone. We can help them」
セルナンは、自分は決していつまでもカンボジアにいるわけではないと言います。国際協力という分野で仕事をするにあたって必ずぶつかるであろう壁だと思います。自分たちはいつか現場から離れるのだという事実。もちろんずっとそこに留まって活動する人もいるでしょう。
ただ、国際協力の仕事に従事する人の多くがいずれは自分の国に帰るという前提の下で仕事をしているのではないかと思います。だからこそあるプロジェクトが終わった後も現地の人々の力で継続できるようなシステム作りが必要になってきます。セルナンはそのことに非常に強いこだわりを持っていました。自分がカンボジアを去ってもこの農場は独立してやっていけるようにならないといけない。そうなるために自分の持っている知識をすべてカンボジアの人々、特に若い世代に伝えたいと話してくれました。
最後にもうひとつ。農業分野は非常に成果が見えにくい分野だと自分は思っています。活動自体は地味で明確な結果というものも数字では図りにくいです。これまでわずか4カ月だけですが農業分野での活動を直に体験させていただいてその難しさを痛感しているところです。
間違いなくカンボジアという国の人々の生活の根本には農業、広い意味での自然との強いつながりがあります。自分たちの活動はカンボジアの人々の生活に何らかの影響を与えているでしょう。良くも悪くも。その影響はすぐには、またはっきりとは目に見えるものではないということも理解したうえで活動しなければいけないと思います。
ややこしいことは正直よくわかりません。これはあくまでも個人的な意見です。多くの方から支援をいただいて活動している団体というのは少なからず結果を求められます。そのためどうしても「目に見える成果」に意識がいってしまうのでしょう。そのこと自体が悪いということでは全くないと思うのですが、それありきの支援にどれほどの意味があるのだろうかと考えてしまいます。
自分たちの活動はあくまでもカンボジアの人々、また支援の対象としている人たちのために行っているものです。「目に見える成果」に目をくれることなくひたすら「この人たちのために」という強い思いを持って活動しているセルナンの姿に自分たちの本来あるべき姿を見たような気がしました。