2015年12月の記事一覧
(アフガニスタンからサラーム、今回は第六回のナビ・ジャンさんに続き二人目の運転手シャー・ムハンマドさんを紹介します。多くの日本人が経験したことのないような過酷な時代を生きてきたシャー・ムハンマドさん、そのことばには重みがあります。現地から届いた英語の原文を訳しながら、わたしたち東京事務所スタッフも心を動かされました。)
つらかった子ども時代
私はナンガルハル県のザルショエ村カマ地区で生まれました。公務員をしていた父は私が3歳の時に亡くなり、一番上の兄が家族を支えるようになりました。私が3年生の時、ソ連がアフガニスタンに侵攻するという噂が流れ、人々はパキスタンに避難をはじめました。ソ連に対するジハード(聖戦)がはじまり、標的は政府関係者にも向かいました。公務員だった兄もムジャヒディン[注]から仕事をやめるようにと警告を受けるようになりました。
私はムジャヒディンが家にやってきて入り口のドアをノックした夜のことを忘れることができません。母はそれがムジャヒディンだとわかっていたので、子どもたちを起こし、藁の下に隠れさせました。そして決して泣いたりしないようにと言い聞かせました。もし声を聞かれたら殺されると。しかし母が私たちを藁の下に隠したとき、一匹のさそりが私を噛みました。私は叫びたい気持ちを必死でこらえ、痛みをがまんしました。ムジャヒディンは爆弾でドアを壊して家に侵入し、家財道具をすべて持って行ってしまいました。この事件のあと私たちはジャララバードに移りましたが、移動の途中で私は誤って川に落ちてしまったのです。3日後に家族が病院にいる私を見つけたということです。
やがて上の兄はバティコート地区で仕事を見つけ、下の兄は軍隊に勤めはじめ、私が13才で家族を支えるようになりました。ある日、私はバティコート地区に兄を訪ねるためバスに乗りました。40人くらい乗客が乗っていましたが、途中の道にしかけられた爆弾が爆発、30人が死亡、他の乗客も負傷しました。幸い私は無事でした。
[注]ムジャヒディンは、イスラム世界へ侵略する勢力に対抗してジハード(聖戦)を遂行する組織。「イスラム聖戦士」とも訳されます。