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2017年3月10日 【 その他・未分類

シリアからヨルダンに逃れた
パレスチナ難民を訪ねて

パレスチナ事業担当 並木 麻衣
2017年3月10日 更新

「私の妹が、アンマンにいるのよ。シリアからの密入国で」

タハリーブ。『密入国』を意味するその言葉があまりに自然に出てきたので、思わず「えっ?」と聞き返してしまった。11月のある日の午後、ベツレヘム近郊のパレスチナ難民キャンプで、難民の女性たちと一緒に刺繍製品の品質チェック作業をしていた時のことである。来週ヨルダンのアンマンに出張するの、と何気なく言った私に、女性グループのメンバーの一人・Uさんが教えてくれたのだ。手に持った刺繍製品から、はみ出した糸を切りながら。

イスラエルの建国と占領に伴って発生したパレスチナ難民たちは、現在のパレスチナ自治区から隣国、南米にまで、世界中に離散している。イスラエルが建国された1948年当時、パレスチナ難民の数は約75万人。世代を重ねた結果、現在は500万人以上にも増えている。
シリアに暮らしていたパレスチナ難民の数は、約52万人だった。全体の一割にも達する数だが、シリアの内紛を受け彼らの一部は国内のどこかに避難、もしくは国外に逃れて二重難民化している。シリアの国内でのパレスチナ難民キャンプの状況については、日本でも、二年近く前にヤルムーク難民キャンプの写真がハフポストに掲載された。配給を待つ人々が瓦礫と化した街の中に密集する衝撃的な光景に、息をのんだ人も少なくないのではないかと思う。

そもそもパレスチナ難民と他の難民は、支援を担当する国連機関が異なる。パレスチナ難民は1950年からUNRWA(国際連合パレスチナ難民救済事業機関)によって支援が続けられているし、その他の難民はUNHCR(国際連合難民高等弁務官事務所)が担当する。また難民受入国の政策や、難民発生国との外交関係も、それぞれの難民の状況に強い影響力をもつ。
そういった事情もあり、シリアの戦火を逃れた人々、特にパレスチナ難民への支援は調整が難しい。「どの国籍やアイデンティティを持ち」、「どのルートでどこへたどり着き」、そして「いつどの時点でどの機関に登録されているのか」といった事情で、支援を受けられるかどうか、滞在を認められるかどうかに差が出てしまう。

密入国でシリアからヨルダンへと渡ってきたパレスチナ難民の妹さんは、一体どのように暮らしているのか。「会えるかしら?」と聞いてみると、「ぜひ会ってきて!」と言うUさん。彼女の妹さんの番号を受け取り、訪問のアポを取らせてもらった。

そして12月のある日、私たちはアンマン郊外の自宅にいる彼女を訪ねた。子どもたちに囲まれて暮らす妹のAさんと、夫のBさん(ともに仮名)。2013年夏頃にシリアから逃れてきてから、家の中に引きこもりつづけているという。
Bさんは元々ヨルダンで暮らし、1970年代にヨルダンとパレスチナの間で緊張が高まったのをきっかけにシリアに移ったパレスチナ難民だ。Bさん一家には、ヨルダン国内で認められるIDカードもパスポートも無い。唯一手元にあるシリア内務省の出生証明や婚姻証明は、何の役にも立たないという。シリアから「密入国」した状態であるため、ヨルダン当局に見つかり次第シリアに送り返される危険性と常に隣り合わせで暮らしている。

「IDがなければ、我々は公共の場では何もできないんだよ。公立病院にかかることも手術を受けることも出来ないし、子どもたちを公立の大学にやることもできない。息子たちはきっと、結婚すら出来ないだろうな。家族のために責任を負うことができないんだから」。
Bさんは時折目を伏せながら、パレスチナ難民である彼らを取り巻く状況を一つひとつ説明してくれた。彼が知る限りでも、多くの同胞たちがヨルダン当局に見つかり、シリアへと強制送還されたという。戦火を逃れてきたとはいえ、ここで彼らのステータスは「違法」なのだ。
UNRWAにはヨルダンでのID取得について相談したが、対応が困難であるらしい。Bさん自身が支援物資を受け取りに行くことも、当局に見つかる可能性があるために難しいのだという。
「ヨルダン政府や市民は、パレスチナ人が増えることを恐れているんだろうな。でも、自分は政治的なことには一切関わりたくないんだ。ただ、人間として生きたい。社会の一員になって、普通に暮らしたいんだ」。
そう言うBさんの口からは、何度も「監獄」という言葉が飛び出した。
「ここは監獄と一緒だ。私たちはずっと家の中にいなければならないし、外に出ても見つからないようにしなければならない。子どもたちにも、未来が無い」。

聞き取りに同行してくれた日本人のFさんが、「こうなることを、ヨルダンに入る前から知っていましたか?」とBさんに訊ねた。いや、知らなかった、と言う彼は、密入国の前に様々な手段を試したという。ヨルダン大使館経由でビザを取ろうとして断られ、ザアタリ難民キャンプに流入する形での入国を試みたが阻まれた。比較的安全なダマスカスで暮らすことも考えたが、シリア中の避難民が集まるダマスカスは家賃が高すぎて、住み続けることができない。結局、家族6人のために1,200JD(約20万円)を払い、20日間の準備期間を経て、6時間歩いて山を乗り越え密入国した。
「ヨルダンにたどり着いたら、当然のように難民として受け入れられると思っていたんだ。知らなかったら、ここには来なかったよ。きっと別の国に行っただろう。これからシリアにもう一度戻るのは非常に危ないから、入国し直すこともできない。だからここで、ID取得のために出来ることを片っ端から試していこうと思う。きっとできる。そう信じたいね」。そう、彼は言う。

聞き取りをする私の頭をめぐり続けていたのは、「なぜこの人たちが、政治や紛争に人生を翻弄されて3年もの時間を失わなければいけないのか」という、答えの無い問いだった。陽の当たる道を、可愛い孫たちと心穏やかに散歩することすら、気配を消して「監獄」で生きる彼ら夫婦には許されない。それでも本人が暴力行為を働いたことはないし、政治に関わったわけでもない。彼らには、「罰せられる」理由は全くない。それに本来、一人ひとりが安全に生きる道を模索するのは当然のことだ。
そして受入国であるヨルダンにも多大な負荷がかかっているからこそ、強制送還が行われているのだという事情は察することができる。それでも、人が「安全に暮らす」ことはどんな当局もおびやかしてはいけない権利であるべきだと思う。そのために使われるべき支援、持たれるべき方針が、何かの事情で足りていないのだ。

日本はヨルダンへの公的支援をたくさん積んできた。その金額は2010年から2014年までの5年で3,400億円にも達しており、対ヨルダン支援国トップ5の常連だ。税金を支払った一人の国民として、その行き先や結果をもう少し詳しく調べ、考えてみたいと改めて思った。

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