難民キャンプを行く【1】
国連は難民が60万人は出るだろうと見積もった。ヨルダンにも国境に2箇所の難民キャンプができた。ヨルダン政府はイラク難民の受け入れを拒否してきたが、直前になって、イラク難民を受け入れる意向をしめした。取り急ぎ二つのキャンプに1万人づつは収容できるようにと大急ぎで工事が始まった。ひとつは、UNHCRが運営するキャンプでイラク難民のためのもの。もうひとつは、ヨルダン赤新月社の運営するキャンプでイラク在住の外国人の避難のためのものだ。外国人の場合は72時間以内にヨルダンから出国することになっている。
3月28日金曜日、久しぶりに晴れた。友人のジャーナリストとともにルウェイシェッドという場所の難民キャンプを視察に行くことにした。砂漠の道を約3時間、車で走るとルウェイシェッドの町に着く。そこからさらに数十キロ離れたところにキャンプが設営してあった。
ともかくほこりっぽい。砂だらけになってしまう。難民キャンプは、避難所だけではなく、イラク人がヨルダンに流れてこないようにせき止める意味もある。こんな居心地の悪いキャンプでは、出てくる気持ちがしない。UNHCRのキャンプでは、昨日の強風でテントが吹き飛ばされてしまった。ただ、イラク難民は今のところゼロ。壊されたテントを直す必要もなく、200張りほど張られたテントも半分はたたまれてしまった。
ハイテクのテントで野戦病院も作られていたが、ともかく砂埃が大変だ。そんな中で出迎えてくださったのは日本人の金田医師である。
「難民の出ないことはいいことです。私たちは最悪の場合に備えて最高の準備をしておかなければいけない」
という言葉が印象的だった。まもなく日本政府が1600人分のテントをさらにUNHCRへ寄付するという。‘最高’のテントが届くのに違いない。
米英が激しい攻撃を加えて難民が出ないということは、イラク国内がかなり大変な状態になっているということだ。何とかしてイラク国内のライフラインを確保しなくてはならない。

難民キャンプを行く【2】
今度は赤新月社が運営する難民キャンプを訪れた。さらに数キロはなれたところにある。
赤新月社のスタッフやボランティアが一所懸命テントを張ったりとあわただしい。今までに500人以上の外国人が逃げてきた。多くはスーダン人である。ちょうどわれわれが訪れたときはソマリア人の学生がバスに乗ってアンマンへ行くところだった。モガデシューに帰るのだという。
「バグダッドは食料はまだ何とか足りています。でも物価がどんどん高くなっていてやりきれない。爆風で窓ガラスも割れるし」
ほとんどはすぐにキャンプを立ち去り200人くらいがテントの中で休んでいた。子どもたちもその辺を走り回ったり、赤新月社月のボランティアとサッカーをしたりと元気な姿を見せている。

ルウェイシェッド
この町は、イラクに今まで2回行ったときに、ヨルダン側の最後の町になるので飯を食った場所だ。しかしやたらと高かったのを思い出す。一箇所ぐらいしかレストランもない。
戦争が始まってから、この町は毎日のように新聞に取り上げられる。ジャーナリストは一箇所しかないホテルに泊まりこんだ。民家を借り切ったプレスもいた。おかげで物価がさらに高騰したという。プレスセンターもできて、インターネットもできるようになっているそうだ。興味半分でホテルに連れて行ってもらう。しかし、戦争が始まって10日たってもほとんど難民は出てこず、取材するようなネタも尽きてしまったということでほとんどのジャーナリストは引き上げてしまったという。私の訪れたのはもとの寂れたまちだった。
スターホテルは、一泊80ドルもするがぼろホテルで看板も強風で吹っ飛んだまま。もうしばらくはジャーナリストがやって来るであろうが、かつての景気はそれほど期待できず、夢のかなたへと通り過ぎたようだ。
