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【コリア】JVCと南北朝鮮との関わり~後半~ (2)(会報誌T&Eより)

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JVCの45年の歴史における南北朝鮮との関係やそこでの活動の歴史、今後の展望などについて描いた記事の後編をお届けします。今回は2002年の小泉首相の訪朝以降の展開、ピョンヤン側の担当者とのやり取りやそこから学んだこと、近年の激動のコリア事情と今後の展望などを語ります。 

「【コリア】JVCと南北朝鮮との関わり ~前編~」はこちら

(*前編は以下の3ページ以降をご覧ください。)

「【コリア】JVCと南北朝鮮との関わり ~後半~ (1)」はこちら

本記事は、2025年10月20日に発行されたJVC会報誌「Trial & Error」No.360に掲載された記事です。会報誌はPDFでも公開されています。ぜひご覧ください。

JVC会報誌「Trial & Error」No.360のPDFはこちら

意外な展開

少し戻りますが、また個人的なことですが、金総書記の通訳をしていた人が、私たちの朝鮮訪問で何度も一緒に会合を持ったことのあるF氏であることにも驚きました。最初にF氏と会ったのは、(前編で触れた)万景峰号で運んだコメを、1996年8月に元山市から東側の海岸線の町村で配布し、平壌へ移動した後の会合でした。対文協の中の、日本メディア・団体・労働組合などを担当する部局のトップ。両親は革命第1世代幹部。日本語は堪能で、冷静な人柄に見受けられました。ただしJVCとの会談では、NGO(内容的には「市民による自発的な国際協力団体」)という部分が朝鮮側には分かりにくいようで、お互い意思の疎通には苦労しました。朝鮮側の機関や組織には、①政府機関、②党(朝鮮労働党)の機関・組織、③労働党系の大衆組織、統一戦線系の団体、例えば女性同盟、青年同盟、労働組織など3つの範疇しかなく、日本でいう市民団体、NPO(非営利団体)などにあたる団体はありませんでした。 

また1990年代、2度目に入国した時の受入れ団体の案内人だったソン・イルホ氏が、後の2000年代から10年代にかけて、日朝交渉および国際舞台に重要な責務を負って出てきたのも驚きでした。 

北京から、地球の木代表の横川芳江さんと搭乗した航空機が平壌の順安空港に着陸し、入国審査を受けようとすると、少し遅れて頭と額に血の滲んだ大きな包帯を巻いた男性が「熊岡さん、横川さんですか?」と聞いてきました。それがソンさんでした。気になったので、面倒な入国審査の間と空港から宿泊のホテルへ移動の時にその包帯と怪我のことを聞くと、「JVCの訪問先への連絡と下見のための移動中に、交通事故に遭った」とのこと。当時は雨の後や、雪・氷の季節などに交通事故が多かったことを覚えています。通常なら、数日間休むようなところを入国審査補助のため、必死に空港に来てくれたようでした。翌日からもソンさんの同行で、平壌内の子ども病院、小学校、また朝鮮半島の西海岸の農業地域などを、同じ車で移動しました。 

このソン氏が、2004年の第2回小泉訪朝前後の段階から日朝高官会議の中で、日朝問題の朝鮮側代表(大使)として登場しました。また朝鮮の核問題解決のための国際枠組み「6カ国協議」でも、第1回(2003827日。北京)以降、朝鮮代表大使として協議に加わっていました。2008年の6回目(最終協議)以降は開催されず、朝鮮は2009年にこの枠組みから離脱し、国際的な批判を浴びながら、核開発、ミサイル開発の道に戻りました。ソン氏、F氏などとの微妙な雑談から朝鮮事情を学びました。 

激動の韓国と北朝鮮~2024,25年時点での世界・東アジアの課題と思うこと

昨年12月、戒厳令を宣布した尹大統領が弾劾・罷免されて失職、新大統領が誕生と、激動の続く韓国。そしてその韓国を「外国」「敵」とみなすようになった北朝鮮は、ロシアとの関係深化の一環で、ウクライナ戦争開始後、ロシアへの兵士派遣を始めました。派遣兵士は約1万5千人で、4700人が死傷(うち600人は死亡)したと推定されています。金正恩委員長は829日、ロシアで戦死した兵士たちの遺族と面会し、涙ながらに「彼らの命を守れず申し訳ない。贖罪する」と謝罪しました。異例な光景でした。北朝鮮としては当面、韓米日を相手にせず、ロシア、中国との協力関係重視で動くようです。 

まとめ~いま私たちに何ができるのか、経験を未来に活かすために

東アジアの一角で約30年活動してきたJVCや「KOREAこどもキャンペーン」 は、これまでの日韓、日朝、国連などとの協力関係や人間関係を活かし、対立の歴史を変える一助になりたいと考えています。今年度から対象者を拡大し新しく始動した「2025東アジア次世代ピースフォーラム」プログラムでは、平和を考える日本人と在日韓国朝鮮人などの青年が交流する場、学ぶ場を提供していきます。さらに経験者のアドバイスを活かしながら、青少年自身がリーダーになっていく過程を応援していきます。00年代前半に「絵画展」に参加した子どもたちも、今では30代になっています。バトンは彼らから、さらに若い世代に引き継がれていっています。曲がり角にあるが故に見えにくい未来ではありますが、アンテナを伸ばし、またこれまでの人間関係を活かして、東アジアの平和や共生につながる運動を小さくても続けていきます。 

筆者プロフィール

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代表理事 熊岡路矢

日本映画大学名誉教授: 1980年、カンボジア/インドシナ難民救援活動およびJVC創設に参加し、1981年、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)シンガポール難民キャンプで活動。1984年エチオピアでの短期医療活動支援を経て、1985~1988年JVCカンボジア代表を務める。1990年~1994年ベトナム事業担当。1995~2006年にJVC代表/代表理事を務め、以後、2024年11月まで顧問を務める。2024年11月より現職。

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