REPORT

コリア

【コリア】JVCと南北朝鮮との関わり~後半~ (1)(会報誌T&Eより)

e243fe56d540cd20b36a84ba5782af85-1764909213.png

JVCの45年の歴史における南北朝鮮との関係やそこでの活動の歴史、今後の展望などについて描いた記事の後編をお届けします。今回は2002年の小泉首相の訪朝以降の展開、ピョンヤン側の担当者とのやり取りやそこから学んだこと、近年の激動のコリア事情と今後の展望などを語ります。 

「【コリア】JVCと南北朝鮮との関わり ~前編~」はこちら

(*前編は以下の3ページ以降をご覧ください。)

本記事は、2025年10月20日に発行されたJVC会報誌「Trial & Error」No.360に掲載された記事です。会報誌はPDFでも公開されています。ぜひご覧ください。

JVC会報誌「Trial & Error」No.360のPDFはこちら

前編の終わりで触れた、1996年のコメの配布や農場への人道支援と、平行して行った絵画展につながる小学校への絵画提供依頼も最後の段階のころ、私も現地訪問していました。2000年6月韓国の金大中大統領の訪朝、南北首脳会談より後のJVC訪朝では、朝鮮でも韓国でも人々の表情が緩み、明るくなったことを実感しました(写真1)。それは1995年の現地訪問時、「オスロ合意」後のパレスチナ、イスラエルの人々の変化にも似ていました。そして、日朝間にもそのような変化が期待された、大きな出来事がありました。 

096f1c2abb6ef580e25edefce0f28b93-1764908825.jpeg

写真1:2002年9月、荒川区にある朝鮮第一幼初中級学校を韓国の子どもたちが訪問。南北首脳会談により韓国人が朝鮮学校にも足を運べるようになり、子どもたちの交流にも南北融和のよい影響があらわれました 

日朝交流、成果と衝撃

2002年9月17日の小泉純一郎首相の訪朝、金正日労働党総書記との初会談開始の日の夕方だったでしょうか。突然、映像とニュースが平壌から飛び込んできました。私は日朝関係が決まる機会として、画面を見続けていました。小泉首相も金正日総書記も、とても緊張しているように見えました。長期の対立関係のなか、戦争責任と賠償問題、国交回復、核・ミサイル開発、拉致問題など重要課題を話しあう会談で、「命がけ」のものとなるだろうと察しました。 

《 成果 》 

①日朝平壌宣言への調印。対立の関係を清算し、国交正常化を目指す基盤をつくった。
②拉致事件に関して、金総書記が認め、謝罪。5人の拉致被害者の帰国を認めた。 

《 問題 》 

①情報の不透明性。拉致問題の全体像は分からず、拉致被害者の現状が不明。 
②核開発問題は進展なし。 
③朝鮮側から上記5人以外の拉致被害者8人が死亡と発表され、修正されなかったことへの国内の批判。日本側からは調査の不十分さへの批判などが起きました。首相への批判もありましたが、この訪朝の準備交渉を担った外務省の田中均アジア太洋州局長(当時)への批判、攻撃が過激化していきました。 

この直後の同じ9月、渋谷の東京都児童会館(2012年閉館)で開いた「南北コリアと日本のともだち展」にも何らか妨害があるかと心配しましたが、それは無事に開催できました。 

2002年11月のJVCの朝鮮訪問時は、朝鮮のトップが小泉訪朝時に拉致事件を認めた後だけに、受入れ団体の朝鮮対外文化連絡協会(対文協)の人々も神経質になっていました。「朝鮮から日本に帰国した5人の方はお元気ですか」と聞かれました。この時には、東部江原道の被災農村(写真2)や順安地区の協働農場を訪れ、保育室の灯り、暖房を行う太陽光発電の確認を行いました(写真3)。またルンラ小学校を訪れ(写真4)、先生方と絵画の提供・交換などに関しても話し合いました。 

6a634a1acc017ca7d2fcce4edcc41cab-1764908837.jpeg

写真2:2002年11月、江原道安邊郡を訪問しました

2ca89da28140898697d1619fb490f197-1764908844.jpeg

写真3:2002年11月、テガン協同農場の託児所を訪問。安定的な電気の供給が難しいなかで、夏は冷蔵庫や扇風機、冬はかんたんなカーペットなどが使えるよう託児所に太陽光発電を支援しました 

39286040cd2cf5736ad1b14e7f78e193-1764908851.jpeg

写真4:2022年11月、平壌市のルンラ小学校を訪問。長年にわたって絵画交換を続けている同校を訪問し、出品してくれた絵画が日本でどのように展示・紹介されているかを報告した 

2004年の小泉首相の2度目の訪朝時には、前回帰国者の家族5人の帰国実現、日朝平壌宣言の再確認、人道支援の実現などの課題がありました。核開発問題の進展がないこと、拉致問題の解決がストップしたことで、国内では1度目以上に大きな批判が起きました。この2度の訪朝以後、首相交代が続き、日朝関係は一切進まなくなりました。個人的には、政治的な課題の難しさを理解しつつも、国交回復などへの道筋がつけば、軋轢や警戒心があって時間がかかっても、相互理解ができる日もくるのだろうと思っていました。日韓関係でも歴史認識問題は外せませんが、音楽や映画など文化を軸に、若い世代の交流から徐々に変化してきました。(続く) 

「【コリア】JVCと南北朝鮮との関わり~後半~ (2)」はこちら

筆者プロフィール

2b94730560b88055199a558b27836888-1764910042.jpg

代表理事 熊岡路矢

日本映画大学名誉教授: 1980年、カンボジア/インドシナ難民救援活動およびJVC創設に参加し、1981年、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)シンガポール難民キャンプで活動。1984年エチオピアでの短期医療活動支援を経て、1985~1988年JVCカンボジア代表を務める。1990年~1994年ベトナム事業担当。1995~2006年にJVC代表/代表理事を務め、以後、2024年11月まで顧問を務める。2024年11月より現職。

一覧に戻る

関連記事

【おすすめ本紹介!】済州島と四・三事件を知る(会報...

【コリア】済州4・3事件に学ぶ旅 (2) ~歩いて...

【コリア】済州4・3事件に学ぶ旅 (1) ~次世代...

2025冬募金