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日本 パレスチナ

パレスチナ出張記【5】空爆の記憶をもつ子どもたち

ガザ市内を行く

ガザ地区に入ってすぐの地域は、ベイト・ハヌーンという地域で、2014年のガザ戦争で一番空爆のひどかった場所でした。3年がたつ今も、大きく空爆の跡が残る建物が目につきます。

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(骨組みだけがかろうじて残っている)

リヤードさんの運転する車で、JVCのガザ地区での活動パートナーのNGO「AEI」の事務所に到着しました。AEIは母子の栄養改善に特化したNGOで、JVCは2011年から、彼らとともにガザでの活動を行っています。

事務所には、AEIスタッフ、アマルさんの姿がありました。また、先にガザ入りしていた駐在員の山村と、マネージャーの今井の姿も。ここで堀さん、並木、私と、無事合流です。

と、ここでアマルさんが一言。「せっかくだから集合写真を撮ろう」と、手には既に自撮り棒が。というわけで記念に一枚!

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(残念ながら今井は顔が間に合わなかったようです)

アマルさんの出身地は、この記事の一番はじめに紹介した写真の地域(ベイト・ハヌーン)です。

自分の故郷が空爆であのようなことになっても、前を向きリーダーシップを発揮する彼女の原動力はどこから来るのでしょうか。自分が同じ立場になった時、こんな風に振る舞えるでしょうか。まったく自信がありません。

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(どこに行っても輪の中心にいるアマルさん)

シュジャイヤ地区へ

車に乗り込み、アマルさんの故郷同様、2014年の空爆のひどかった地域「シュジャイヤ」に向かいます。

このシュジャイヤは偶然、今回タクシーを運転してくれているリヤードさんの故郷でもありました。

「あなた達はガザの様子を外に届けるためにここに来た。だから僕は、この街の様子を、あなた達に話す。これは世界へのレター(手紙)だ」という言葉の重みを改めて嚙み締めます。

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(シュジャイヤ地区)

シュジャイヤのまちは空爆から3年がたち、建物は再建されていますが、まだ多く瓦礫が残ります。

何より、ここに暮らす人たちの心にはいつまでも戦争のことが残っているでしょう。目に見える傷より、目に見えない傷の方が深く鋭く、深刻な傷跡を残しているものだと思います。

物流も制限されているため、資材もなく、復興も思うように進みません。

リヤードさんの話

リヤードさんのいとこは、2014年の空爆で車いすになりました。

戦争の日、イスラエルからは「攻撃する」という報せが入っていましたが、ガザを実質支配するパレスチナ自治政府のハマスは「(この地区から)出るな。出たらスパイとみなす」と言っていたそうです。

近所でも逃げる人と逃げない人で分かれ、リヤードさんは「逃げない」選択をしました。

そして、空爆が起きました。

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(2014年空爆直後のシュジャイヤ①)

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(2014年空爆直後のシュジャイヤ②)

当時、シュジャイヤのまち全体が恐怖に襲われ、リヤードさんもやはり3家族で、一旦離れた場所に住む娘さんのところに逃げようとしたそうですが、既に避難民で一杯。急遽息子さんの家に逃れたそうです。

本当に、着の身着のまま、毎日同じ服で過ごしたそう。

生死の境を経験した方の言う「生きたいと思ったから逃げた」という言葉の重み。

当時、ガザ地区の南側、エジプト国境の検問所はまだ開いていました。

リヤードさんはタクシー運転手としてガザ地区外に逃げる人々の送迎などをしていたので、一緒に外に逃げることもできたそうです。

「でも、ここには家族と家もある。死ぬならここで死ぬ」と決めて逃げなかったと言います。

福島でも同じような言葉を聞かせてもらったことがあるな、と思いながら、私は頷くだけで精いっぱいでした。

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リヤードさんの話を聞いているうちに、気が付くと近所の子どもたちが集まってきていました。

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(みな本当に人懐っこい)

空爆の記憶をもつ子どもたち

リヤードさんが率先して、子どもたちに当時の様子を聞いてくれました。

子どもたちは無邪気な顔のまま、こう教えてくれました。

「夜、一気にミサイルが来た」

「病院に逃げた」

「周りで、17人くらいの人が死んだ」

「7階建ての場所に住んでたけど、今はまだ3階までしかない」

「全部壊されてなくなった」

「ミサイルがお父さんの足に落ちた」

なんという記憶でしょうか。

こんな記憶をもつ子どもたちを、これ以上増やしたくありません。

こんなことを無邪気に話してくれる姿にやりきれない気持ちになると同時に、行き場のない怒りが自分の中に蓄積していくのが分かります。

いえ、本当は「行き場のある」怒りです。

こんな異常な生活を強いられる環境をつくっているイスラエルという国の方針と、それを放置し続けている、同じ時代を生きる自分たちへの怒りです。

ここで生まれた子どもたちには、何の罪もありません。

空爆の記憶は、必要ありません。

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リヤードさんに拠れば、このあたりの人は皆、国連運営の病院に避難したそうです。

「それでも空爆で死傷者が出た。でもそこ以外に逃げる場所がないんだよ」

ガザには逃げる場所がありません。たとえ空爆の予告があったとしても、どうすることもできないのです。

空に浮かぶ気球

上を見上げれば、真っ青な空に、白い気球が見えました。

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(赤い丸の中に気球が)

イスラエルとの境界ラインに近いこの場所、この気球がイスラエルとの境界ラインです。

やはりこの状況は、どう考えても異常です。

(今回は4:00~7:10頃までのお話でした。ぜひ映像も合わせてご覧ください)

(2023年10月10日追記)
JVCは2023年10月の情勢を受け、パレスチナ・ガザ緊急支援を開始します。

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