REPORT

スーダン

南スーダンの首都、ジュバを訪問して(2) -破綻する経済と車両整備工場-

前回から続く)

整備工場の敷地に入ると、右手に見える整備スペースではエンジンの分解修理が行われています。
私の訪問に驚いている整備士たちと再会の挨拶を交わし、事務所の扉を開けると会計担当のドゥドゥさんが帳簿を付けていました。
「あらまあ、久しぶりだねえ・・きょう来るなんて、全然知らなかったよ」
事前に連絡はしていたものの、確かに日付までは知らせていませんでした。それにしても、そんなに目を丸くして驚かなくても・・と苦笑しながら、
「ドゥドゥさん、元気でしたか?それに、工場のみんなも」
「みんな元気だよ。いま、工場長のサイモンはちょっと留守だけどね、すぐに戻るからね」
「じゃあ、ここで待たせてもらっていいですか?」



整備工場の会計担当、ドゥドゥさん)

工場長を待つ間、2013年12月の市街戦についてドゥドゥさんに尋ねてみました。
「怖かったけどね・・整備工場は無事だったよ。このあたりは、戦闘が起きた場所からちょっと離れていたんだよ」
「ドゥドゥさんの家は?」
「ウチのあたりも大丈夫だったさ。家族も全員無事だよ」
ドゥドゥさんの家は、ジュバの西のはずれにそびえ立つ山の麓にあります。
「じゃあ、どこで戦闘が起きたのですか」
「軍の施設がある、あっちのほうさ」
ドゥドゥさんが指さしたのは、ニョクロンと呼ばれる地域。市の南西部にあたります。
「それと、ムヌキだよ。たくさん人が死んだって・・」

ムヌキは、市街地の北西に広がる住宅地です。南スーダンを構成する多様な民族グループの人々が住んでいますが、その中に、反大統領派リーダーの出身民族である「ヌエル」と呼ばれる人々が多く住む区域があります。大統領の出身民族である「ディンカ」の武装したグループが「ヌエル」を襲撃、または両者が戦闘をしたとの報告が多く寄せられています。殺戮、略奪、焼き打ちが行われ、恐怖を生き延びた人々は国連施設に逃げ込みました。襲撃や戦闘を行ったのが正規軍なのか、民兵、または武装した住民なのか、そしていったい何人が犠牲になったのか、その全体像は今も明らかにはなっていません。

サイモン工場長が戻ってきました。
JVCが運営していた頃から、工場を支えてきた南スーダン人のベテラン整備士です。JVCが撤退して現地スタッフに運営を任せてからは、彼が中心になって工場を運営してきました。
再会の挨拶もそこそこに、サイモンさんはこう言いました。
「あれ以来、何もかも変わってしまった」

工場長の部屋に入ると、壁際の棚には工具や部品がびっしりと並んでいます。
「この戦争が始まってから、経済はガタガタ、お客もクルマの修理どころじゃない。ずっと開店休業みたいな感じだ」 少し怒ったような口調で、サイモンさんは話し始めました。
「でも、クルマがたくさん入庫しているじゃありませんか」
開け放した入口からは、中庭に停まっている何台ものクルマが見えます。
「あの中で、整備中のものが何台か知っているか?1台だけだ。あとはみんな、整備が終わっても客が取りに来ないので、停めてあるだけだ」
整備が終わっても、顧客が代金を払えないため引き取れないのだそうです。個人のクルマだけでなく政府機関の車両であっても、厳しい緊縮財政で支払いが滞るケースが多いようです。
「今は、前払い金を受け取らない限りは修理しないことにしているよ。客の数は減るが、仕方ない」

そんな中で、工場の財政状態はどうなのでしょうか?
「削れる支出は全部削ったよ。整備士だって何人かは辞めてもらった」
「そういえば・・・サミュエルさんの姿が見えませんが」
サミュエルさんは、JVCが運営していた時代から働いていた板金工です。無口で腕の立つベテランでした。
「そうだ。彼もそのうちの1人だ。ここにいても給料が上がらないと説明して、話し合った結果だよ」
サイモンさんはそう言うと、
「でもな、いま最大の問題は、交換部品が買えないことだ。部品が買えなきゃ、整備もできない」
「どういうことですか?」
「うちは純正の部品をドバイから買っていただろ」
交換部品の海外調達は、JVCが整備工場を運営している時に始めたものです。地元で入手できる部品には模造品が多く、それを使って修理すると直ぐに故障が再発するなどの問題があります。なので、中東のドバイから純正部品の調達を始めました。
「だが、戦争の影響で経済が悪くなってから、海外での支払いができないんだ」
整備工場が銀行口座に持っている資金は、もちろん南スーダンの現地通貨(南スーダンポンド)です。しかし海外に送金するにはドルが必要。そのドルが、先にも書いた通り、南スーダン国内では底を突いているのです。つまり、整備工場が銀行に対して、口座にある現地通貨をドルに換金して海外に送金してくれと依頼しても、断られるというのです。

「今でもウチの客には、この整備工場は日本人が支援していて、だから信頼できると思ってクルマを持ち込む人が多い」
南スーダンを走っているクルマの多くは日本車です。
「だから、信頼を崩さないように日本車を純正部品で修理することが大切だ。でも、その部品をどうやって手に入れたらいいのか・・」
途方にくれている、という感じでした。
「JVCから整備工場を引き継いだ時には、自分たちでやっていく自信があった。でも、今の戦争が続く限り自分たちの力ではどうにもならない。どうしろというのか」

続く

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「スーダン日記」執筆者、今井は1年に3回程度のペースで日本に一時帰国しています。その機会に、皆さんのご近所、学校、サークルの集まりなどに今井を呼んで、「出前報告会」はいかがでしょうか。セミナーや学校の授業からお茶を飲みながらの懇談まで、スーダンの生活文化、紛争地での人道支援、「スーダン日記」に書き切れない活動のエピソードなどをお話しさせていただきます。日時や費用、また首都圏以外への出張についても、まずはご相談ください。

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