REPORT

スーダン

南スーダンの首都、ジュバを訪問して(1) -繰り返される内戦-

スーダンにいる私のもとに、日本の新聞社から立て続けに電話が入りました。

「安全保障法案が可決されて、政府はさっそく、南スーダンに派遣している自衛隊に『駆けつけ警護』の任務を与えようとしていますが、それについてお話を聞かせていただけませんか?」
「ちょ、ちょっと待ってください。私がいるのはスーダンで、南スーダンではないのですが」
「はい、それは分かっていますが、でも、何かコメントを・・」

確かに、私は2007年から3年間、JVCの駐在員として独立前の南スーダン(当時はスーダンの一部)で生活をしていました。その後も「隣国」になったスーダンにいるわけですから、南スーダンの情報は色々と入ってきます。
今年6月には、久々に南スーダンの首都ジュバを訪問しました。今回の「現地便り」(4回連続)は、ジュバ訪問記を中心に自衛隊や「駆け付け警護」についても少し触れてみたいと思います。

機内から一歩出ると、全身を包み込む熱風。

ジュバはいつも通りの暑さで私を迎えてくれましたが、しかし、空港に広がっている光景は、明らかに以前とは違っていました。
平屋の待合室しかない小さな空港には不釣り合いな大型の輸送機が、重なり合うように何機も駐機しています。機体には国連や赤十字国際委員会のロゴ。食料や生活用品など、大量の援助物資を運び込んでいるのです。この「世界で一番新しい国」は、援助という点滴を受けてやっと命をつないでいる赤ん坊のようにも見えます。

タクシーで向かった市内は、私がいた5年前とは様変わりしていました。
多層階のホテルや商店、舗装された道路、信号機・・・。どれも、2011年の独立後の建設ブームで完成したものです。

「ジュバは、ずいぶん変わったよね」
何気なく言った私に、運転手からは、
「そりゃ、独立してずいぶん変わったさ。だけど、今の戦争でまた台無しだろ」
ちょっと突き放したような反応が返ってきました。
「苦しんでいるのは、みなオレたち庶民だ。戦争が始まってから、物価はどんどん上がる。ガソリンの値段もそうだ。値段だけじゃない。何時間並んだって手に入らないことだってある」
もともと経済を石油だけに頼っていたこの国で、内戦によって多くの油田が生産を縮小、停止。外貨獲得の手段は失われ、現地通貨の南スーダンポンドは実勢レートでドルに対し半分に下落。多くの生活物資を輸入に頼るこの国では物価が急上昇するだけでなく、外貨不足のため輸入さえできない状態も起きています。国家財政は破綻の危機に瀕しているとも言われます。
「みんな、この戦争のせいだ。戦争が続いている限り、この国はダメだ」

「戦争」とは、2013年12月に始まった大統領派と反大統領派による内戦のことです。2005年から続いた比較的平穏な時代は、再び内戦の時代に戻ってしまいました。
スーダンの歴史は、まさに内戦の連続です。独立から1970年まで続いた第一次の南北内戦に続き、「アフリカ最長」と言われた第二次南北内戦。2005年にようやく終了し、南部スーダンには大幅な自治権が与えられました。同時に、周辺国に逃れていた50万人もの難民の帰還が始まります。

            
                                                       (元JVC整備工場、現在は南スーダン人の整備士・スタッフにより運営されている)

私たちJVCは2006年からジュバで車両整備工場を運営し、帰還支援の活動を行う国連の車両を整備するとともに、元難民の若者たちへの職業訓練を開始。多くの若者が車両整備の技術を身に付けて巣立っていきました。それは、もっとも希望にあふれた日々だったかも知れません。2009年頃には帰還もほぼ終了します。JVCは、整備工場の運営を南スーダン人の整備士やスタッフに引き継いで事業を終え、ジュバを離れて活動地をスーダンの北部に移動しました。
その後、2011年には住民投票が行われ、歓喜の中、南部スーダンは独立国家「南スーダン共和国」としての歩みを始めます。しかし・・。

独立から2年半が経過した2013年12月、南スーダンは首都ジュバの市街戦を皮切りに全土で内戦に突入しました。背景にあったのは、大統領とそれに対抗する与党幹部との政治闘争。対立がエスカレートする中、国軍は大統領派と反大統領派とに分裂、戦闘が始まりました。大統領の出身民族集団と、反大統領派リーダーの出身民族集団との間の敵対感情が煽動され、軍に限らず、民兵や武装した住民が「敵対」する民族グループを標的に一般市民への襲撃を始めたと言われています。
首都ジュバは間もなく政府軍が制圧し、表面上は落ち着きを取り戻しました。しかし、国土の東北部(ユニティ州、ジョングレイ州、アッパーナイル州)を中心に各地で激しい戦闘が繰り返され、多くの命が奪われ、そして多くの人々が家を失いました。
国連によれば現在150万人が避難民となり、国民の半数近くが食料難に瀕しています。スーダン、エチオピア、ケニア、ウガンダなど周辺国に逃れた難民は50万人を越えています。たった1年半で、20年以上続いた南北内戦時と同じ数の難民が生み出されたのです。

タクシーを降りてホテルに荷物を置いた私は、さっそく元JVC車両整備工場へと向かいました。
今回の内戦が始まって以降、整備工場が無事だとは電話で聞いていましたが、実際にその目で確かめたわけではありません。ジュバの治安が一定の回復を見せて訪問が可能になった今、整備工場の「その後」を確認することが今回の出張の目的です。
政府庁舎が建ち並ぶ脇を通り、4年前に華やかな独立記念式典が行われた広場を抜け、噴水が止まったままの交差点を過ぎると、露店や食堂で賑わうバス発着場に出ます。その隣に、整備工場の門が見えてきました。

続く

お知らせ:一時帰国する今井の「出前報告会」はいかがでしょうか?

「スーダン日記」執筆者、今井は1年に3回程度のペースで日本に一時帰国しています。その機会に、皆さんのご近所、学校、サークルの集まりなどに今井を呼んで、「出前報告会」はいかがでしょうか。セミナーや学校の授業からお茶を飲みながらの懇談まで、スーダンの生活文化、紛争地での人道支援、「スーダン日記」に書き切れない活動のエピソードなどをお話しさせていただきます。日時や費用、また首都圏以外への出張についても、まずはご相談ください。

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