ガザと蜂蜜キャンディーの思い出
蜂蜜100%のキャンディーが好きで、パレスチナ駐在中にも日本から持参していた。疲れた時に頬張るのだが、最近は食べるたびに、あるガザの姉弟のことを思い出してしまう。
2016年11月のある日、一人でのガザ出張を終えた日のこと。ガザとイスラエルを隔てるエレズ検問所を出て、イスラエル側で迎えの車を待っていた私のところに、同じくガザから出てきた小学生くらいの姉弟がやってきた。病人でもない親子の姿をエレズで見るのは本当に珍しく、初めてだった。誰かの結婚式にでも参加するのか、可愛くおめかしをしてはしゃぎ回っている。同行するのは大人の女性3人、祖母と母と叔母で、汗を拭きながら人数と同じ数だけの大きなトランクを何とか引きずっていた。
姉弟が、無邪気に話しかけてきた。「あなたはどこへ行くの?」
「ガザで仕事を終えたから、エルサレムの家に帰るんだよ」と答えると、彼らは「エルサレム! 私たちのエルサレムは綺麗なところでしょう?」と『パレスチナの首都』を語って得意げだ。人懐っこくて可愛らしかったので、私はポーチにしまっていた蜂蜜のキャンディーを5個取り出して、「皆で食べてね」と渡した。「ありがとう」とはにかんだ笑顔で受け取った姉弟は、それを握りしめて女性たちのところに駆けて行く。
ところが、その姉弟が今度は「水、水は持ってない?!」と駆け戻ってきた。どうやら飴が甘過ぎたようで、向こうの方では女性たちが「喉が渇いた!」と訴え、水を探している。要らないおせっかいだったらしい。
近くのドライバーからイスラエル製のペットボトルの水を貰い、回し飲みする女性たち。飲んだ後に、何だか顔をしかめている。姉弟も水を受け取って飲むなり、「うえっ、まずい!」と大げさなリアクション付きの大きな声で言い放った。
「知ってる? イスラエルのものは、何でもまずいんだ。この水だって、まずいだろ? ガザとは比べられないよ。食べ物も飲み物も、パレスチナのほうが絶対に美味しい」
手の甲で口を拭いながら、弟の方が私に熱心に訴えてきた。美味しいだろうか。私には、分からない。
それでも、この子たちの物心がつくころから、ガザはイスラエルによってずっと封鎖され、3回の大きな戦争を経験してきた。「ガザの人間だから」という理由で彼らに課された、10年にもわたる集団的懲罰。何千人が殺されても、何万人もが大切な何かを奪われても、イスラエルからの謝罪は無い。どこの誰が殺されたとか、誰が職を失ったとか、悪いニュースばかりが続く。状況も一向に改善されることがなく、その底には個々人の涙ぐましい努力ではどうしようもない政治・経済情勢が横たわり続けている。
小学生にも染み付いた、『あっち側』と『こっち側』を明確に区別し差をつける視点は、その中で養われてきたのだろう。その重みを考えると、私が見たものに基づいて何かを言い返したい気持ちは、全く湧いてこなかった。
「ガザの外に出たけど、ガザには戻る予定なの?」そう聞くと、お姉ちゃんが「ううん、戻らない」と小さな声で、けれども即答した。「本当は戻らないといけないんだけど、戻りたくないの。ガザで何が起こっているか、知ってる? 子どもだって、殺されるのよ。危ないの。だから、これから西岸で暮らすの。西岸の学校に通うのよ」
やがて、女性たちとタクシードライバーの料金交渉が終わったらしく、子どもたちの名前が呼ばれた。「またね!Facebookに、『プリンセス』って名前で登録してるの。探してね!」と言いながら、姉弟は駆けて行った。
世の中には「プリンセス」が多すぎて、その後は彼女たちと連絡を取れていない。子どもらしい日々を送っているだろうか。ガザの水のように汚染されてはいない西岸の水を飲み、ガザのように停電を気にせずテレビアニメを見ているだろうか。
そうであってほしいな、と願いながら、ガザ人口200万人の半分を占めるという子どもと若者の暮らしを思う。集団的懲罰が終わらない限り、彼らがイスラエルのものを心から「美味しい」と言う日は、来ないかもしれない。
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