REPORT

パレスチナ

「それが神のご意志なら」と、どこまで我慢しなければならないの?

「Inshallah(インシャッラー)」というアラビア語を、中東では沢山耳にする。日本語に訳せば「それが神のご意志なら」という意味で、「明日会える?」「間に合う?」といった日常会話でもよく使う、返しの言葉だ。中東を旅行した人には馴染みの深い、大らかな現地文化を象徴する言い回しだと思う。
でも、パレスチナで人々が口にする「Inshallah」は、時に悲しい諦めを帯びているように私には聞こえた。「暮らしは良くなるんだろうか?」「仕事は見つかるんだろうか?」「この子たちは元気に生きていけるんだろうか?」という、押しつぶされそうな不安。終わらない占領と封鎖、一向に良くならない暮らしは、間違いなく政治の誤り、「人災」の結果だ。
その不安を、彼らは「Inshallah」で締めくくる。「(国際社会が、アラブ社会が、イスラエル社会がパレスチナに対する態度を変えないのも、その結果として自分が一度きりの人生を人間らしく送れないのも、)それが神のご意志なら」という、燃えるような憤りを自分の中に飲み込んだ後の深い諦め。返す言葉がなく、ロクな信心を持たない私は毎回押し黙ってしまう。そして、思う。「神さま、この人たちへの試練は大きすぎませんか」と。

今年4月から、特にガザの人々は更なる試練に晒されている。封鎖が始まって10年が経とうとしているが、状況は壊滅的だ。各家庭のみならず病院や浄水場にすら、電気は1日2〜3時間しか届かない。元々、2014年の戦争でガザ唯一の火力発電所がイスラエルの攻撃によって破壊されてから、電気は1日8時間しか届いていなかった。詳細は過去の記事にまとめているが、ガザでは需要電力の半分も満たされておらず、手に入る電力も6割弱をイスラエルから購入していた。1.5割はエジプトの電気、3割弱がガザの発電所によるものだ。
その電気が更に来なくなってしまった理由は、政治である。まず、トルコやカタールの3ヶ月にわたる燃料支援が4月半ばで終わってしまった。発電所は、ファタハ率いる西岸のパレスチナ自治政府から課される税金のため、追加の燃料を購入することは出来ないという。その結果、電力の8割をイスラエルから、2割をエジプトから購入する体制が始まっていた。
ガザ戦争後、カタールは国際会議で約束された支援金全体の約2割を占める、ガザ復興の大口ドナーだった。だが、湾岸諸国をはじめとした制裁が課されている現状の中で、カタールが再びガザ支援に動くことはしばらく難しいだろう。カタールとガザの実質政府(ハマース)との繋がりが、サウジアラビアやエジプトから見れば大きな不満だからだ。
さらにパレスチナの内部抗争が、ガザの人々の困窮に追い打ちをかけた。ファタハが率いるパレスチナ自治政府が、イスラエルに対するガザ内部電力料金支払いを止めてしまったためだ。ガザの実質政府であるハマースに和解を迫るというのがその理由だが、果たして信頼醸成にはつながるのだろうか。これで、ガザ内部でのファタハへの信頼はぐっと下がってしまうことだろう。なにしろ、電気が届かなければ人々の生活は成り立たなくなってしまうのだから。

4月下旬、ガザを訪ねた私に、パートナー団体「人間の大地」スタッフのハイファが笑いながら話してくれた。「私の生活に電気は必要ないんだって、毎日自分に言い聞かせているの!」。朝5時には起きて家事を済ませるワーキングマザーの彼女は、家事のすべてを手仕事でこなすようになった。食事の準備にも、冷蔵庫は使えない。1日2時間、それもいつ来るのか分からない電気では、これまでの暮らしは送れない。
日本で暮らすガザ出身のSさんに「家族と連絡は取れてる?」と聞くと、苦笑いしながらこう答える。「なかなか取れないよ。だって、向こうは電気が無くて、携帯電話が充電できないんだもの」。家族が心配な気持ちはあっても、もはや神に祈るしかないという。
電気が来ないガザの病院では、携帯電話のバックライトを使って手術をすると聞いた。糖尿病患者のための人工透析器は、自動では回らないので看護師が手動で回す。限られた電気が届くたびに「今だ!」と治療を始めてもすぐに電気が切れてしまうため、不安定な電圧を受ける医療機器は壊れやすくなってしまった。
そして人々の不安やフラストレーションが溜まれば緊張感も高まり、暴力や家族間抗争の事件も増加する。2014年の戦争後、人々が暮らす家々の建て直しすら終わっていないのに、一部では「今年、また戦争が起こるのではないか」という不安もささやかれている。どんな理由をつけるにしろ、電気を止めるということは、こういう暮らしを人々に強いるということだ。


(ガザの家庭を回る、保健指導員のハイファ)

「Inshallah、そのうち状況が良くなる日が来る」。人々の困窮ぶりを想像できない政治指導者たちの判断を受けて、ガザの人々は今日もじっと耐え続けている。頭上の遥か上で、指導者たちがお互いを罵り合っているのを聞きながら、電気が無くなっても、病院で治療が受けられなくても、そして戦争で家が壊され家族が殺されても、200万人の人々はひたすら耐え忍ぶ。日々を何とか営み、お互いに支え合い、何度でも建て直しながら。
でも、もう十分だ。これ以上、私たちは彼らの忍耐力をもって「これからも何とかなる」なんていう展望を描いてはいけない。「人のための政治」に立ち戻ること以外に、ガザの人々を本当に解放する方策はないのだ。
神の意志ではない。人の心をもった人間の意志を、ガザに向けてもらいたい。1万キロ離れた日本から、ニュースを追いながら切に願っている。

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