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パレスチナ

「テロ」の本当の被害者は誰か――「自衛」としてのエルサレム・インティファーダ

関西地方で活動する市民団体、「パレスチナの平和を考える会」 の会報誌『ミフターフ』42号(2016年1月刊行)に論説記事を寄稿しました。この記事では、昨年10月から多数の死傷者を出しているパレスチナ/イスラエルでの情勢悪化について解説しています。以下、この記事を転載いたします。

パレスチナ人が怒る本当の理由

10月1日から11月17日までの48日間に起こった、イスラエル軍によるパレスチナ人のデモ隊に対する弾圧や病院の襲撃、パレスチナ人によるイスラエル兵や入植者に対する殺傷事件(未遂事件含む)により、パレスチナ人の死者は84人、負傷者約1万人、逮捕者1,670人、イスラエル人の死者は14人、負傷者282人に達した(Al-Hayat Paris、2015年11月17日付記事)


エルサレム旧市街に礼拝に向かうパレスチナ人の出入りを制限する、イスラエル軍検問所。2015年10月16日撮影。)

今回の衝突の発端は、イスラームの聖地であるアル・アクサー・モスクと岩のドームのある聖域「ハラム・アッ・シャリーフ」(ユダヤ教では「神殿の丘」と呼ばれる)へのイスラエル人入植者や兵士の強引な侵入が繰り返され、パレスチナ人に対する入域制限が強化され、それに対してパレスチナ人の怒りが爆発したことにあると言われる。欧米や日本のマスメディアでも「聖地エルサレムを巡る対立」が原因だと報じられる事が多い。

確かに、9月後半のハラム・アッ・シャリーフを巡る対立が、今回の一連の事件の発火剤にはなった。だが、大半のパレスチナ人にとって、ハラム・アッ・シャリーフに対するイスラエル入植者や軍の侵入は、1948年から続くパレスチナ人に対する弾圧と収奪を象徴するものでしかない。

私は3年間エルサレムに住み、自分たちに向けられる際限なき暴力と不正義に対して常日頃からパレスチナ人が持つ不満や怒りやストレスを感じてきた。その経験から言えることは、今回の一連の事件において本当にパレスチナ人が怒っているのは、イスラエル兵士や入植者が無実のパレスチナ人を数多く殺害し、銃撃した負傷者を助けもせずに放置し、それらを「殺傷事件」の犯人だからと断定して事後調査もせず、加害者の罪も一切問われない、不公正な政治構造そのものに対してであるということだ。

例えば、10月初めに東エルサレムでの最初の殺傷事件が起き、イスラエル人が殺された直後、エルサレム旧市街では、ポケットに手を入れて歩いていただけで青年が兵士によって殺され、ヒジャーブ(イスラーム教徒の女性が頭につけるスカーフ)をつけた女性が検問所でそれを脱ぐのを拒否して銃殺されたとされる事件などが相次いだ。こうした事件も、イスラエル警察や新聞は「テロ行為」「殺傷未遂事件」であると断定し、事後調査も加害者の責任追及も行われなかった。

ガザではイスラエル軍の空爆で2才の赤ん坊と母親が殺され、病院への道中に検問所で待たされている間にイスラエル軍の放った催涙弾で呼吸困難に陥って亡くなった老婆もいた。イスラエルと海外の人権団体の共同声明でも、イスラエルの政治家や軍高官が、パレスチナ人が攻撃してきた時は逮捕するよりも殺害せよと呼びかけていることが事態を悪化させており、ユダヤ人が同じ事をしても殺されたケースはないと指摘した。

他方、パレスチナ人の友人は、「イスラエルは、この事態を利用してパレスチナ人の民衆をさらに怒らせ、攻撃して追いつめ、エルサレムの支配を強めるためにパレスチナ人を追い出そうとしている」と言い、より大きな政治的構図を理解する必要性を私に説いた。

こうした様々な情報があったにもかかわらず、日本の多くのマスメディアは「殺傷を試みたパレスチナ人を殺害した」というイスラエル政府の公式発表や英字新聞の情報だけをつまみ食いし、たいした検証もせず横流しし、悪いケースでは、あたかもイスラエルが一方的にパレスチナ人からの「暴力の波」に晒されているという構図でニュースを発信した。

だが、パレスチナ人の青年たちは、たとえ殺される可能性があったとしても、国際メディアで「テロリスト」と非難されようとも、イスラエル人を刺し、イスラエル軍に投石することをやめようとはしない。そして、こうした行為はいつのまにか、「アルクッズ(エルサレム)・インティファーダ」と呼ばれるようになった。この新しい名称が意味するのは、青年たちの命を張った行為が、イスラエルからの圧倒的な暴力に対する「自衛」、かつ自分たちの感情や主張を世界から無視されている状況に対する「抵抗」であり、力の不均衡と差別的な政治構造を変化させる「革命的行為」と見なされていることを意味する。

部外者である私たちは、いくつかの殺傷事件だけを取り上げてそれが死者87人、負傷者1万人の全体を代表しているかのように報じるイスラエルの政府発表やマスメディアの情報操作を鵜呑みにするのではなく、命を危険に晒される不公平な状況に日々置かれるパレスチナ人たちが、それに抗う手段として殺傷事件や投石に関わっているということを、まず理解しなければならないのである。


エルサレムのパレスチナ人居住地域に移動を制限するために設けられたコンクリート・ブロック。2015年10月19日撮影)

「テロ」の本当の被害者は誰か

「テロ」という言葉は危険である。なぜ危険かといえば、「テロ」や「テロリスト」という単語は、どんなに残虐なことを一般市民に行う国家に対しても使われることがなく、常に個々人、普通の市民の行為に対してのみ使われるものだからである。

民衆の抵抗が非暴力的であることに越したことはない。だが、その人々が、唯一主体的に選択できる手段が暴力でしかない時、それを否定する権利が誰にあるというのだろうか。とあるパレスチナ人は、「毎日頭を押さえつけられていれば、誰だっていつか怒りが爆発するのだ」と言っていた。そういう最後の手段に訴える以外の手段を奪われた民衆の行動を「テロ」と見なし、その背景となっている暴力的構造を無視する時、私たちは、自分自身が抱える問題の全体像をも見逃し、自らが持つ社会改革への可能性をも潰すことになるのである。

だから、私たち日本の一般市民は、現在のパレスチナでの事態を看過し、「テロ」という説明を鵜呑みにしてはならない。それは、元国連職員の高橋宗瑠さんが『ミフターフ』42号(2016年1月発行)に寄稿した論説記事「安保法とパレスチナ:『我々は皆イスラエル人になった』」で論じるような、ネオコン主導の新自由主義と経済の軍事化が広がる世界で、それがもたらす不公正・差別・暴力に対して声を挙げ、主体性を取り戻すための手段を自ら奪うことにも等しいからである 。日本の私たちもまた、現政権が進める新自由主義と経済の軍事化に対して反対の声を挙げて行動を起こす時、パレスチナ人と同じように「テロリスト」というレッテルを張られ、無視され、超法規的な殺害や拷問の対象とされる事態が目の前に迫っているからである。



(エルサレムと西岸地区を分断し、パレスチナ人をエルサレムから外に押しやる分離壁)

10月からの混乱の中、イスラエル政府は東エルサレムのパレスチナ人居住地域に新たに分離壁やコンクリート障壁を置き、検問所をいくつも設置し、住民の移動を厳しく制限した。勝手に東エルサレムを併合し、そこの住民を差別・抑圧しておいて、散々痛めつけられた住民たちが反抗したら「ああ、パレスチナ人はやっぱり怖い。凶暴だわ」と言って、また壁を作って見えなくする。こうした抑圧と抵抗と分離の悪循環は、米国のネオコンが進めてきた富裕層のための世界の新自由主義化と軍事化の矛盾を覆い隠すための手段でもあるため、すぐにでも日本でも起こり得ることである。いや実際に起こっているのに、私たちは気づいていないだけかもしれない。

パレスチナ人はすでにこうした世界の矛盾と暴力に気づき、一致団結して抵抗し続けているのである。それゆえパレスチナ人は、「テロリスト」ではなく、人権と尊厳を持つ人間であるということが、イスラエルと国際社会によって認められる必要がある。その日が来なければ、今回の状況がたとえ落ち着いても、またすぐに同じことが繰り返されるだけである。そして、こうした状況が世界で繰り返されないために、私たちもパレスチナ人と連帯し、彼らの主体性を尊重し、より一層協力関係を深めていくべきなのである。それは、国家や大企業の前に常に弱者である、私たち市民一人一人が自分を守るための手段にもなりうるのである。

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