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パレスチナ

イスラエルにとってのガザとは?

今日は、一つの疑問について、研究者でもある一個人として考えてみたいと思います。その疑問とは、「イスラエルにとってガザ地区とは、いかなる存在なのか」、というものです。

1つよく言われているのは、「イスラエルはガザにはもはや安全保障以上の関心は持っていない」ということです。これは、ガザからのロケット弾やトンネルを通じた武装勢力の進入が、ガザ周辺に暮らすイスラエル人に脅威を与える可能性をなくすための安全保障上の措置を意味します。ガザ周辺の住民の政府に対する風当たりは強く、それに対して政府と軍は、彼らの安全を確保することが強く求められています。

しかし他にも、イスラエルにとってのガザの意味として見逃してはならないのが、イスラエルとヨーロッパ諸国やアメリカなどイスラエルを政治的・軍事的に支えてきた国との関係、およびイスラエルの「西洋的で近代的な国」という自己イメージとの関係です。この2つは相互に関連しており、イスラエルにとってガザがいかなる存在なのかを理解する鍵となります。以降、この2つについてお話ししたいと思います。

国際社会との関係におけるガザの位置づけ

1つ目の、ヨーロッパやアメリカとの関係においては、イスラエルがガザを長年占領し、封鎖し、住民の人権を侵害していることは世界でよく知られた事実となっており、そのため国際社会でのイスラエルに対する風当たりは強くなる一方です。ヨーロッパやアメリカは、イスラエルを「ユダヤ人の国」と見なしているので(実際は20%以上がアラブ系市民ですが)、イスラエルを守ること・イコール・ユダヤ人の安全を守ることであり、それはホロコーストを経験した「自由世界」の義務であるという意識を強く持ってきました。また、アメリカはイスラエルを、中東を支配する上で必要不可欠な同盟国と見なしてきました。

しかし、「ホロコーストの償いとしてイスラエルを守らなければならない」という意識は、ヨーロッパでは世代を経るについて薄まってきており、イスラエルを重要な軍事上の同盟国と見なすアメリカの認識も、中東地域の政治構造が変わっていく中で変化が生じてきていると指摘されています。

そうしたことを背景として、さらにメディアを通じてパレスチナ人に対する人権侵害や虐殺の現実が世界中に伝わるようになり、ヨーロッパやアメリカでも、イスラエルに対する風当たりは強まり続けています。そして、ガザはまさに、このイスラエルの「傍若無人さ」を象徴する場所です。イスラエル政府・軍にとっては、ガザの武装勢力(特にハマース)の抵抗を押さえつけるために攻撃を続ける必要があっても、人口密集地帯であるガザでの攻撃では必然的に市民の被害が出るため、過度の攻撃をすれば世界から非難され、さらに自国の孤立が強まるという矛盾を抱えているわけです。

2014年夏のガザ攻撃では、2,000人を超えるパレスチナ人が無残に殺され、その様子は世界中で報じられました。もちろん、「これは対等な戦争の結果である」という構図でガザの悲劇を伝えるメディアもありましたが、それでもイスラエルとパレスチナの力の差は圧倒的で、誰が被害者であるかを隠す事は難しかったと思います。

イスラエル政府・軍は戦争中、自分たちが「人道的な戦争」をしているとして、盛んに世界にプロパガンダを発信しました。戦後は、そのプロパガンダの「嘘」を隠すため、国連人権理事会が派遣する調査団のガザ入域を拒否してきました。それはまた、戦争を指揮した政治家や軍人が将来戦争犯罪で起訴されることを防ぐための措置だったと考えられます。

また、イスラエル政府・軍は、ガザで「人道的危機」が起こり、多くの人々が餓死したり伝染病で亡くなったりするような事態となれば、ガザを封鎖し、国際法上もいまだ占領国である自国の責任が問われることを強く警戒しています。そのため、ガザの人々に対して集団的な制裁を課し、「生かさず殺さず」に管理して自立と抵抗の芽を取り除く政策を続ける一方、国連機関や人道支援団体の活動と人道支援物資のガザへの搬入を、自国が許可する範囲内でのみ限定的に許しています。

イスラエル政府や市民の多くは、「反ユダヤ主義もホロコーストも止められなかった世界が、ユダヤ人の国を支持し、守るのは当然」と考えています。そして、この世界観の中では、ガザは自国の安全を脅かす「テロの温床」という以上の意味を持っていません。しかし、世界はそうは見ていません。そのことに、イスラエル政府や市民は苛立ちを持ちながら、自国の国際社会でのイメージや同盟諸国との関係をなるべく壊さないように、イスラエルなりに「最善の努力」を払っているのです。それが効果的であるかどうかは別にして。

イスラエルの「西洋的で近代的な国」という自己イメージ

イスラエルという国を作ったシオニストのユダヤ人たちは長年、自分たちのパレスチナへの入植が、農業や医療の近代化をもたらし、パレスチナ人にも利益をもたらしてきたと主張してきました。また、自分たちは常に平和的解決を求めてきたとも主張してきました。イスラエル建国以降も、政府高官やエリートたちは、自分たちがパレスチナ人に利益をもたらし、平和的解決を求めてきたにもかかわらず、パレスチナ人とアラブ諸国がそれを拒絶して自分たちに牙をむき出したから、仕方なく自衛戦争をしてきたのであり、パレスチナ難民の発生や難民キャンプの悲惨な状況に対して自分たちに責任はないと主張し続けてきました。今でも、多くのイスラエル市民は、この物語を信じています。

こういう主張がまかり通る背景には、イスラエルのエリートたちが、「西洋的で近代的な民主国家」という自国のイメージを作ってきたことが関係しています。傍若無人で暴力的な人種差別的な国というイメージは、この自己イメージと決定的に矛盾するため、政治家や大部分のイスラエル人には受け入れることができないのです。

しかし、ガザでの何度もの悲惨な戦争と長年の封鎖政策は、傍若無人で暴力的な国というイスラエルのイメージを世界に売り込むことになりました。しかし、多くのイスラエル人にとって、本当に悪いのは「西洋的な近代国家で平和を求めてきた」イスラエルではなく、「イスラエルの破壊を目論む野蛮な」ハマースです。「西洋的で近代的な国」であるというイメージが強いほどに、それに反比例して、抵抗を続けるパレスチナ人に対するイメージは悪くなるという構図です。

しかし、世界はもはやそういう風には、イスラエルとパレスチナの関係を見なくなってきているように思います。「ハマースは悪いけどイスラエルも悪い」とか、「パレスチナも暴力的だけどイスラエルも同じくらい暴力的だ」というイメージに取って代わりつつあるのではないでしょうか。そして、特にヨーロッパ諸国でのイスラエル批判の強まりは、イスラエル人がこれまで信じてきた「西洋的で近代的な国」という自国のイメージを破壊しつつあります。

そのため、ガザという存在は、イスラエルにとっては安全保障以上の意味を持たないのに、それ以上に国の根幹を揺るがす意味を持ってしまっているがゆえに、イスラエルにとっては大きな頭痛の種、目の上の(前が見えないほどの)たんこぶになっています。それが結果的に、ガザに対する大きな憎しみや恐怖に変わり、過剰な反応を引き出す要因となっているのではないかと思います。

イスラエルの政治家や多くの市民は、ガザは国家の安全保障を揺るがす事態であるのだから、それに対して厳しく対応するのは当然の権利だと信じています。そのため、ガザの扱いを巡る国際社会からの厳しい批判も、「不当」なものだと感じているようです。そして、国際社会、特にヨーロッパからの風当たりが強くなるほどに、その「不当」であるという憤りと、自国の「西洋的で近代的な国」というイメージの崩壊が合わさって、自国はそもそも「民主的」「西洋的」である以前に「ユダヤ人の国」であり、反ユダヤ主義を克服していない世界を信じるべきではないという意識を強める結果となっています。そしてそれは、ユダヤ人は自分たちだけを信じ、一層武装し、敵に妥協せずに戦い続けなければならないという意識をも強める結果となっていると考えることができます。

おわりに

今回の現地便りでは、「イスラエルにとってガザ地区とは、いかなる存在なのか」という疑問に対し、私なりの分析を書きました。

それを簡潔にまとめると、イスラエルにとってのガザは、国家と市民の安全を脅かす存在という以上の意味を持っていないにもかかわらず、世界はそうは見ていないということ、そしてその認識のギャップが、ガザの意味をイスラエルにとって「必要以上に」大きくし、イスラエル社会の苛立ちと孤立と過激化をもたらしているということです。

イスラエル政府・軍は、彼らなりの方法で、国連や人道支援団体を利用してガザでの「人道的危機」を回避したり、ボランティアを募ってプロパガンダを世界に発信したりするなどの「最善の努力」を払っています。しかしそれが、本質的な問題である占領と封鎖を止めるという方向、さらにはパレスチナ問題発生の責任を認めるという方向には行かないため、パレスチナ人の抵抗を止めることができず、国際社会での自国のイメージ低下とイスラエル批判を回避することにもつながっていません。そのため、自分たちの国は「西洋的で近代的な平和を求める国である」という自意識だけが空虚に残り、現実を客観的に認識することを妨げ、苛立ちと孤立化と過激化をもたらすという悪循環に陥っているのです。(完)

執筆者

今野 泰三

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