REPORT

パレスチナ

ガザの現実(4)- 戦争中の避難所の様子(EHSTの聞き取りから)

2014年7月7日~8月26日までの50日間にわたるパレスチナ・ガザ地区へのイスラエルからの軍事行動は、パレスチナ側に、死者2,205人(市民1,483人)、負傷者11,099人の被害を出しました。

戦後、ガザでの失業率は50パーセント近くまで膨れ上がり、一日12時間以上の停電が今も続いています。また、封鎖以降の度重なる攻撃への人々の疲労と絶望が色濃い状況から、引き続き人道支援と問題の抜本的解決が望まれています。

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(ガレキを運ぶ男性。ガザ北部にて)

JVCは、戦争開始の7月中旬から12月14日まで、ガザ地区のディール・アル・バラフ避難所で活動していた医師と看護師のボランティア・チーム(Emergency Human Support Team:以下EHST)に、医薬品や医療物資を支援しました。EHSTは、活動当初は外部の支援なしのボランティアで、その後はJVCからの支援を受け、国連の支援を受けられなかったディール・アル・バラフ避難所の人々を対象に、(1)一次医療診療および健康診断、(2)医薬品の配布、(3)衛生教育、(4)子どもの心理カウンセリングを実施しました。

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(JVCが支援を行ったディール・アル・バラフ避難所。国連が運営する学校が避難所となりました)

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(避難所では、狭い教室に、多くの人々が押し込まれて生活していました)

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(JVCが支援したEHSTのメンバー、ディール・アル・バラフ避難所の中心メンバー、およびJVC金子(写真中央))

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(JVCが支援したEHSTのメンバーと、JVCの今野と金子)

ディール・アル・バラフ避難所は、国連難民救済事業機関(UNRWA)の中学校に、安全な場所を求めて人々が自主的に集まった避難所でした。12月1日までは、UNRWAに、公式の避難所としては認可されず、支援も受けられませんでした。そうした中、支援物資が届かず、衛生状態も劣悪だったこの避難所をJVCが支援したことの意義は大きかったと感じています。

戦後、JVCスタッフが、EHSTのメンバーに聞き取りをしました。支援の効果や課題を明らかにするためでした。この聞き取りでは、以下のような戦争中の緊迫した様子が伝わってきました。

「避難所には戦争当時、家を破壊されて避難してくる人々に加えて、空爆を恐れて避難してくる住民も多く、また夜のみ避難する家族もあり、避難者の数は日々変わり、正確な避難者の数は把握できないような状況にありましたが、とにかくあふれんばかりの人々でした。

医療チームで主に対応した問題は、けがの手当て、子どもの消化器系疾患への対応、大人については高血圧・糖尿病などへの対応が中心でした。当時、夏季であることも影響し、胃腸炎にかかる子どもが多かったですが、幸い、人々の教育レベルが高く、ある程度の健康に関する知識もあったため、避難所全体の問題になるような伝染性のものではありませんでした。大人については感染性の疾患についてはほとんど見られませんでした。

結核を疑うケースが1件ありましたが、すぐに学校の別の部屋に隔離し、病院に搬送しました。他方で、のみ、シラミなどに起因する皮膚疾患が多かったです。当時は、とにかく医療的な処置に忙しく、保健指導・衛生教育に時間を取ることはできませんでした」

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(JVCのパートナー団体AEIとEHSTが合同で行った診療支援の様子)

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(避難所では、AEIを通じて衛生キットも配布しました)

また、8月末の停戦から2ヶ月間の様子は、次のようなものでした。

「停戦により戦争は終わりましたが、家を失った人が多く、また停戦への不信感からくる不安を抱える住民も多く、避難所では約1,400人が生活を続けていました。水については、ANERAなどから1日6,000リットルが配給されましたが十分ではありませんでした。

私たちが行っていた診療では特に、生活習慣病といわれる糖尿病や高血圧などの診療が多かったです。また、健康面では、避難者の衛生に関わる問題が最重要課題となり、衛生教育にも力を入れました。水を十分に確保できない状況下での教育だったので、水が配給されたときに手洗いや体を清潔することを徹底するように指導し、水がない時は、換気やマットレスを干すこと、爪を切ることなどを指導して、状況に合わせて工夫しました。

特に、EHSTの看護師スタッフが活躍しました。また、EHSTのメンバーは、これまで赤新月社のスタッフとして緊急時対応のワークショップなどを受けていたので、それらの知識と経験を活かして、子どもたちへお絵かきなどを中心としたワークショップを実施しました。絵をかきながら子どもたちが感情を表現していたのがよく伝わってきました。この時期が保健指導・衛生教育や心理サポートにおいては非常に重要な時期でした。

11月からは、UNRWAから家を破壊された人々への住宅手当や住宅再建への補助が始まりました。第1弾として自宅を半壊された人々、第2群としてかなり破損の激しい半壊の自宅を持つ人々、第3群として自宅が全壊になった人々という順番で実施されました。これに伴い、避難所から出られる人々が増え、11月末には避難民の数は900人程度になりました」

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(避難所の子どもたちを対象に行われた心理ケア・セッションの様子)

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(EHSTの心理ケア・セッションに参加した女の子)

JVCスタッフは、EHSTのメンバーと戦争中から連絡を取り合い、現地の様子を知らせてもらっていました。ボランティアで活動する彼らを少しでも支えたいという思いから、11月からEHSTへの支援を正式に開始しました。支援開始後の様子を、EHSTのメンバーは以下のように話してくれました。

「JVCの支援を受けたことで、予算も確保され、記録に基づく継続的な治療と個別対応を充実させることができました。

診療では、大人は生活習慣病、子どもは呼吸器感染症が多かったです。重度の貧血の子どもをJVCのパートナー団体であるアルド・エル・インサーン(AEI)に紹介したケースや、糖尿病のため足の指が壊死を起こしかけていて、切断しかないと言われていた高齢者の女性に適切な処置と施し、継続的にケアしたことで治癒し、切断をまぬがれたケースなど個別具体的な成果もあり、それがスタッフのモチベーションにもなりました。

家屋破壊の程度が激しかった住民が避難所に多かったこともあり、子どもたちへの心理サポートとしてのお絵かきや遊びなどのグループ活動も非常に重要なものでした。また、EHSTメンバーが、UNRWAのスタッフに採用され、衛生に関して9月から工夫しながら続けてきた活動をその後に生かすことができました」

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(EHSTの適切な処置により、指の切断をまぬがれた高齢者女性の治療の様子)

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(JVCスタッフが、避難所での活動を視察した際の様子)

JVCは、ボランティアで外部からの支援もなしに避難民を助けていたEHSTの活動に感銘を受け、物資面・精神面でのサポートを提供しました。その意義は大きく、活動における記録や管理のシステム化、さらにスタッフの能力開発においても大きく貢献することができたと感じています。

JVCのガザ緊急支援にご寄付いただいた皆様に、改めてお礼申し上げます。これからも、復興が進まず困窮するガザでの活動を続けて参りますので、どうぞ宜しくお願い致します。

執筆者

今野 泰三

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