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パレスチナ

ガザの声「自分の家も砲撃で壊されてしまったし、近くにいたお母さんの家も壊された。ベイト・ハヌーンには何もなくなってしまったよ」(7月22日付)

「神が守ってくれる、また会って、一緒にアイスを食べに行こう!」

それが彼女からの今月18日(金)の最後の言葉だった。私がガザで最もお世話になっている人の1人、現地パートナーNGO、AEI(人間の大地)のスタッフであるアマルと、本日4日ぶりに電話連絡が取れた。18日はひっきりなしの銃声と泣き叫ぶ子どもの声が後ろで聞こえる中、私も泣きながら電話した。正直もう駄目かもしれないと思って、電話中涙が止まらなかった。その後の2日間は電話がつながらず、私が送るFacebookのメッセージを彼女が見てくれて既読になっているか?それを頼りに生存を確認した。それでも21日月曜日からはそれもなくなり、気が気ではなかった。

今日、弱々しいようで、でも確かに彼女の声が電話口で聞こえた。「ハロー、元気?」と彼女が私に問いかける。「やった!よかった、生きていた!」私がまず感じたのはそのこと。「元気だよ」と私も思わず笑いながら答えた。アマルは続ける。

「家が壊されて、ベイト・ハヌーン地域は全滅だよ。近所の人が何人も殺されて、道に死体が転がっている。倒壊した家屋に未だに人が残されている。救急車が来ないし、子どもたちも酷い状態の死体を見てとてもショックを受けている。自分の家も砲撃で壊されてしまったし、近くにいたお母さんの家も壊された。ベイト・ハヌーンには何もなくなってしまったよ。私たちも昨日からジャバリヤ市にある同僚の家と、ガザ市のAEIの事務所に避難してきているの」

堰を切ったように教えてくれる。私はあまりの事に涙が出そうだったが「食べ物と水はあるの?」と聞いた。何とかあるとのこと。アマルは、彼女の息子4人と旦那さんとが住んでいた。また少し離れたところにアマルのお母さんも住んでいた。両方の家が砲撃により破壊され、その直後、まさに文字通り命からがら家族全員で逃げてきたと言うことになる。

ベイト・ハヌーンからガザ市までは車で20分はかかる。半分は歩いて、半分はジャバリヤの難民キャンプからの乗合自動車に乗ってきたと言う。「アマルの家まで壊されるなんて」。彼女だけは大丈夫なのではないか、そんな願いの様な幻想は崩れ去った。今のガザに安全な場所など無い。

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5月に新築パーティー

彼女の家は、去年新しく建てなおしたばかりだった。5月の末に新築パーティに招いてもらったばかり。新築といっても決して贅沢なつくりではなくて、窓枠にはガラスが入っていなかったので、布がガムテープで張ってあった。彼女がどんな思いでその家を建てたのか、それを考えると改めて深い深い怒りを覚える。全てを破壊し、何度も何度も人の夢、生きる勇気を奪う。そんなことが、21世紀のこの世に許されていいのか?! 私には到底納得できない。それこそ、ガザの人はなおさらそう思っているだろう。そんなやるせない思いが、ガザを覆いつくし、それでもその現実から逃れられない人々の悲しさ、悔しさ、憤り、虚無感はどれ程のものか?

JVCとAEIの子どもの栄養失調予防の事業は7日から停止したままだ。今後もいつ再開できるか不透明だ。どうにもならない。彼女のように被災しているスタッフ・ボランティアさんもたくさんいると思う。今はただ、全ての人の生存を祈るしかない。

JVCでは停戦合意後に出来るだけ早くガザ入りし、緊急支援を予定している。現地の銀行は全て破壊されて、今は現地に送金さえできない。となると、現金の手渡しか、物資を購入してガザに持ち込む方法しかない。持ち込むなら何がいいか? AEI代表のアドナン医師からは、食材と、医療品の要請を受けている。

私が日本にいるこの間、イスラエル大使館への攻撃停止要請書の提出、岸田外務大臣への要請書の提出、市民を巻き込んだ連帯キャンドルイベントの実施、抗議デモへの参加、各メディアへの情報発信、大学等での講演会、日本で最も効果的にガザへの攻撃を止めるにはどうしたらいいか? そればかり考えて、やれることは全てやってきた。今月29日に現地に戻る。早くガザ入りして、早くみんなの無事を確認して、早く何か届けたい。切にそう思う。

執筆者

金子 由佳 (パレスチナ現地代表)

2011年、国際政治学部・紛争予防及び平和学専攻でオーストラリアクイーンズランド大学大学院を卒業。直後にパレスチナを訪れ、現地NGOの活動にボランティアとして参加。一ヶ月のヨルダン川西岸地区での生活を通じ、パレスチナ人が直面する苦難を目の当たりにする。イスラエルによる占領状況を黙認する国際社会と、一方で援助を続ける国際社会の矛盾に疑問をもち、国境を越えた市民同士の連帯と、アドボカシー活動の重要性を感じている。2012年6月よりJVC勤務。同年8月より現地調整員ガザ事業担当としてパレスチナに赴任。JVCのプロジェクトを通じて、苦難に直面する人々と連帯し、その時間・経験を日本社会と共有したい。

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