REPORT

パレスチナ

ガザ:アル・ガレムのテント村

ガザ市の北部にアル・ガレムと呼ばれる地区があります。住民の多くがガレム一族であることからその名前がついています。訪れたこの地区は、イスラエル軍による軍事侵攻が最も激しかった地区の一つで、破壊された家屋の残骸が残り、国連のテントが立ち並んでいます。JVCが緊急支援しているガザのPMRS(パレスチナ医療救援協会)は、軍事進行中から移動診療を続けてきましたが、高まるニーズに応える形で、北部ガザで4つのテント・クリニックを設置したうちの一つがこの地区にあります。社会の弱者である女性たちにも配慮し、産婦人科の医師の診療も受けられるのが特徴です。

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(クリニックに集まった女性達)

診療を受けるために集まってきた女性達に話を聞きました。「この地区には約350の家が建っていたの。多くはガレム家とハムーダ家の人達よ。でもイスラエル軍の空爆が始まった初日に完全に破壊されたわ。この通りよ。」まさにあたり一面は瓦礫の山と化しています。「軍事侵攻で37人が死亡したの。負傷した人もたくさんいるわ、手足の切断をされた人もいるのよ。」「侵攻中はとても怖かったわ。特に子供たちが怯えて心配だったわ。」と女性達は話します。

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(破壊された家屋の前で佇む男性達)

女性達に「皆ここのテントで暮らしているの?」と質問したところ、「彼女はここに住んでいるわ。でも、私達は昼間はここに来るけど、夜は別のところに寝ているわ。だってここは、水も電気もないし、トイレだって一つしかないのよ。とても住めないわ。」「それに、雨と風でテントは壊れちゃったの。これじゃ住めないでしょ。」ここ数週間、ガザは嵐に見舞われ、大雨と突風が吹き荒れる日が何日も続きました。そのため、多くのテントは吹き飛ばされたり潰れたりして無残な姿をさらしています。「じゃ、どこに住んでいるの?」と聞くと、「向こうの方に寝る部屋を借りているの」と言います。侵攻中や直後は、親戚の家に身を寄せる人もいたようですが、大家族で親戚の家にいつまでもお世話になるわけにいかず、親戚の家の近くに部屋を借りている人が多いとのこと。「でも家賃が高くて大変よ。」どうやら家賃の一部には支援がついているそうです。また、食料などの緊急支援物資の配布は受けているようです。しかし、現金収入がほとんどないので、生活には事欠いています。女性達に「お金の支援をして欲しい」と嘆願されましたが、「私達はここでのテント・クリニックを支援しているのよ」と説明したところ、「あら、そうなの。それはありがとう」と言いつつ、少しがっかりした様子でもありました。

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(テントの多くは使えなくなってしまった)

診療にやってきた女性の1人にイテダルさんがいます。彼女は4人の男の子と4人の女の子のお母さんです。彼女の12歳の息子、ムハンマド君は、その日コカコーラを買いに家を出たところ、空爆で命を落としたそうです。突然のことでとてもショックだったそうです。今、イテダルさんは妊娠7ヶ月です。「男の子?女の子?」と聞いたら、「多分男の子よ」と答えました。そして、「もし男の子だったら、亡くなったムハンマドと同じ名前をつけるつもりよ」、と言いました。息子を失ったのにもかかわらず素敵な笑顔をみせてくれたのは、きっと新しい命に亡くなった息子の分も生きて欲しいという希望を託しているからなのでしょう。私も「元気な赤ちゃんを産んでね」と励ましました。

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(息子を亡くしたイテダルさん)

集まってきた女性達の多くも妊娠しています。ほとんどは軍事侵攻後に妊娠がわかったそうです。ガザでは早くも戦後ベビーブームが始まっています。悲惨な軍事侵攻後、彼女達は新しい家族の誕生という明るいニュースに励まされているようです。でも彼女達は劣悪な環境で新しい命を育てていかなければなりません。一日も早く人道支援物資と家屋の修復に必要な物資の制限が緩和され、彼女達に安心して子供を産み育てられる環境が整えられるようになることを願うばかりです。

執筆者

小林 和香子

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