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パレスチナ

ガザ:ザイトゥーンの幼稚園児の傷跡

一時的停戦がイスラエル・ハマス双方から発表された1週間後、ガザに入り、ザイトゥーン地区にあるJVCの支援先の幼稚園に行きました。ザイトゥーンは最も攻撃が厳しかった地区の一つだったので、幼稚園と園児のことがとても心配でした。出迎えてくれた園長先生に早速幼稚園と園児の様子を聞きました。幸い幼稚園は爆撃を脱がれたとのこと。園長先生が窓を開けていたので、風圧で窓が割れることもなかったそうです。そして、133人の園児も無事だと聞いてホッとしました。しかし、多くの家は損傷したり窓が割れたりして、一時的に親戚の家に避難していた家族も多いとのことです。そして、親族に死傷者がいる子供たちも少なくないとのことでした。

ある男の子は、イスラエルの軍事侵攻中に彼の身に降りかかった出来事で表情を失くしていました。園長先生の話では、イスラエル兵が彼の家に入ってきて、お父さんを縛り上げ、暴力を振るったそうです。そして、縛られたお父さんの前で、男の子にも暴力を振るい、銃を向けたというのです。お父さんは「撃つなら俺を撃て!」と叫び続けたといいます。男の子は幸い怪我もなく、30分ほどで解放されたそうです。しかし、それからほとんど言葉を発しなくなってしまったのです。

園長先生は園児が書いたお絵かきも見せてくれました。空には無数の爆撃機が舞い、爆弾が家の上に降っている絵です。子供たちにとって最も大切な家族の住む家を破壊しようとする爆弾。その恐怖が心の傷になっていることを表しています。

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(子供の書いた爆撃機の絵)

現地のプロジェクト・マネージャーと一緒に子供たちの声を聞きました。「爆撃は怖かった?」との問いに、一斉に手があがり、「怖かった」という返事が返ってきました。「誰か怪我をした人を知っていますか?」との問いには、「知らない」という答えが返ってきたので、質問を変えて「誰か殉教した人を知っていますか?」と質問したら、「アフマド、ムハンマド、マジディ、サーミル、アラ」とたくさんの名前が次々出てきました。もちろん、怪我した人はその何倍もいるのです。今回の軍事侵攻で、家族が影響を受けなかった人はいないと言われていますが、それが確認された形となりました。

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(最初の一週間は遊びが中心)

幼稚園は先週の土曜日から再開したそうですが、最初の一週間は子供たちには勉強させずに、遊びながら、精神的に安定するのを見守っていくとのことです。園長先生は、「ザイトゥーンはガザ市でも最も貧しい地区でもあるのに、国連機関の食糧支援は入ってこない」と言います。毎日の食事に事欠く家庭の子供たちに取って、JVCが支援提供している牛乳とビスケットは、毎日のとっておきの時間であり、幼稚園に来る楽しみにもなっているとのことでした。

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(今日の牛乳はチョコ味)

執筆者

小林 和香子 (パレスチナ現地代表)

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