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パレスチナ

PMRS巡回診療(アッサムーニーエ)[2]

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巡回診療車の前で。子どもたちは元気だが、衛生状態も心配

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PMRSの医師が子どもに呼ばれて裏にある家に駆けつけると、どうやら女性が骨折をしたようです。小さな赤ちゃんを抱えて泣き続ける女性を囲んで、皆が心配そうに立っていました。お母さんは「身体的にも精神的にも疲れきっていて転んだの」と、親戚の女性は言います。すぐにモハンマド医師が手当てをして、また後で病院に行くように、とお母さんに伝えました。しかし、「病院はまだまだ重症の負傷者の対応に追われていて、骨折は診てもらえないかもしれない」とし、その場合はPMRSのクリニックに来るようにと伝えました。

この女性が大切そうに抱いている子どもは、攻撃の中、1月3日に生まれたばかりでした。スジュードちゃんと名づけられた女の子はとても美しく、私が手をのばすと小さな小さな手でぎゅーっと力強く掴んできました。この家には、攻撃が始まってから80人もの人々が避難していたそうです。たまたまその中に助産婦さんがいたため、スジュードちゃんはその「避難所」の中で生まれてきました。しかし、ぎゅうぎゅうに人が詰まった部屋だったので、洋服などでカーテン状にして見えないようにし、清潔な水もない中での出産だったとのこと。家から全員出て行くようにイスラエル兵から言われて避難した時に、スジュードちゃんはそのまま病院へと運ばれました。そして今は、元気な泣き声をあげているのです。無事に生まれてきてくれたことを、感謝せずにはいられません。「とても綺麗な子ね」と伝えると、お母さんは「ありがとう」と涙声で少し微笑みました。

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スジュードちゃん。

この家では、多くの人が避難していたため、食料も水も尽きて4日間食べるものがない状態が続いたそうです。また、避難してきた人々の中には負傷した人もいたそうです。PMRSから以前、救急法のトレーニングを受けたサナさんが、その中で負傷者の手当てを行いました。「以前にトレーニングを受けていたし、救急セットも家にあったから、なんとか手当てをすることができた人もいた。それでも、亡くなってしまった子もいるの。2歳の子どもで、恐らく頭を撃たれたのか頭から血を流している子どもがいたのだけれども、どう対処したらよいのかわからず、また閉じ込められていたので病院に連れて行くこともできず、その子は亡くなったわ」とサナさんは言います。病院に連れて行くことができれば助かった命かもしれないことを考えると、悲しくて仕方がないといいます。しかし、サナさんが救急法を知っていたお陰で、怪我の手当てをできた人々もいるのです。PMRSの、これまでの地元に根付いた活動が生きたのです。

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PMRSの救急法トレーニングを受け、負傷した人々の手当てを行ったサナさん(中央)

PMRSガザ代表のアブ・フーサ氏は、「多くのボランティアが、それぞれの住んでいる地域で怪我人の手当てや搬送に活躍した。もちろん、そのような『活躍』の場、つまり人々が負傷するということは望ましくない。でも、またこのような事態は起こるかもしれない。だから、常に人々がお互いに助け合うことができるよう、ボランティアの救急法トレーニングや地域グループの強化に取り組んでいかなければならない。また、ガザの人々全員が、心理面でのケアを必要としている。心理ケアについても、地域をベースに行っていく予定だ」と言います。攻撃がおさまり負傷する人々が減ったとはいえ、人々が厳しい状況での生活を続けながら生活の再建が始まろうとしている今、PMRSの活動もこれからが「本当のチャレンジ」と言います。人々が生きていこうとする努力を、しっかりと見守っていければと思います。

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