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パレスチナ

【ガザ空爆】現地の声・人間の大地(AEI)2

今日も一日中、ニュースはガザの状況を伝えています。夕方、JVCエルサレム事務所には来客があったのですが、「今、345人って言った?」と、犠牲者の数を伝えるテレビ画面を、ずっと皆で見つめていました。心配になっていたところ、JVCが栄養失調児の支援を行うAEI(=Ard El Insan、人間の大地)の代表、イテダルから電話がかかってきました。今朝電話で話した時、夜にまた連絡を取り合う約束でした。仕事にもいけず、自宅でじっとしている彼女は、電話で話すことで少し気がまぎれるのかもしれません。

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東エルサレムの“目抜き通り”も全て閉まっている。人通りもなく閑散としている

イテダル(ガザ)20:00頃 ランドラインで通話

「今日の午後は北部、ジャバリアやベイト・ラヒアが集中的に攻撃を受けたわ。多くの戦車、兵士がボーダー付近に待機していると聞いている。1967年の六日戦争の時だって、こんなにひどくはなかった。私はその時10歳だったけれども、よく覚えている。攻撃はあったけれども、メーンストリートでの攻撃が主で、その時は今の状態みたいにどこもかしこも、誰もが攻撃されるかもしれないというわけではなかったもの。

フブス(パン)を買うのに人々はベーカリーに何時間も並んでいる。空爆の中で。それでも、食べるものがないの。野菜と、マカロニなど乾燥食材で食べつないでいるわ。UNRWA(=United Nations Relief and Works Agency、国連パレスチナ難民救済事業機関)は難民への食糧配布をストップしていると聞いている。もう難民に配る十分な小麦粉、砂糖などのストックがないのよ。その代わりに、わずかな在庫のある小麦粉をベーカリーに回しているとも聞いているわ。

子どもたちは毎晩、眠れない夜に眠りにつくときに、いつでも避難できるようにバッグを準備して、外に出られる服装をして寝ている。私の姪も15歳だけれども、「殺される時にパジャマ姿じゃ嫌。綺麗な服を着ていたい」って出かける時の服を着て寝ているの。15歳の女の子がよ。

今、ガザの多くの人たちの家に、「今から空爆を行うから家から退去せよ」というメッセージの電話がイスラエルからかかっていると聞いているわ。そうして退去した人たちは、家が見える通りに家族で立ち尽くして、家が爆撃を受けるのを見ているのよ。彼らはいったい、どんな気持で見ているか。それに家からは何も運び出せないし、一度壊された家財などは、今のガザには買えるものはないし、そんなお金もないわ。

明日も職場もAEIの栄養センターも閉まる予定。この仕事を20年以上やってきたけれども、仕事ができない、センターが開けられない、こんなに悔しくて不安なのは始めてよ」

イテダルとの長い会話を終えた後、JVCがもう1つガザで行っている、子どもの栄養改善事業で一緒に働くNGOのスタッフに電話をしてみました。

モナ(ガザ)22:00頃 ランドラインで通話

「昨日の夜は、1:30から2時ごろにかけて、近くが激しい攻撃を受けたから、眠れなかった。私の家も爆撃の振動でしばらく揺れていたわ。娘が目を覚まさないか不安だったけれども、精神的に疲れていて寝ていたみたい。イスラエル軍がイスラミック大学を攻撃したのは、象徴的な狙いよ。

うちにはラジオがないの。いつもは車のラジオがあるし、家にはテレビがあるもの。でもテレビはもちろん、電気が来ている時にしか使えないから、電池を使うラジオを買わなきゃ。ああ、今は電気が来ている。シャワーを浴びることができるかしら。

ガザ事務所とエルサレム事務所のスタッフ間で、毎日連絡を取っているわ。(彼女は国際NGOのガザ事務所で働いている)今日も、明日は事務所に出勤しないようにという連絡があったの。コーディネーターのヘバの家は、空爆を受けたモスクの近くにあったから、窓が全て割れてしまって、彼女は親戚の家に移っている。もう1人のコーディネーターのラシャはラファに住んでいて、集中攻撃を受けたトンネルに近いから、彼女も親戚の家に避難したわ。

幼稚園児に配る鉄分強化牛乳(JVCも共同で支援を実施)は、相変わらずガザに入ってきていないの。とはいっても、子どもたちはもちろん、幼稚園に来ることもできていないけれども。ガザはマーケットにも物がなくなって、私の家のガスタンクは、泥棒が入ってきて全て持っていってしまった。一缶400NIS(=約10,000円。以前は約60NISだった)もするのよ。だから、料理ができないの。窓は爆風で割れるのが心配で開けているから、寒い夜にコーヒーも作ることができないのが、本当に精神的に疲れるわ。

(JVCが東京で、30日に抗議行動を予定していることを伝えると)すごいことよ。ガザの人たちを思って行動してくれる人たちがいることを嬉しく思う。何百万人という人たちが今、世界中で通りに出てガザの人たちのために声を上げている。何かが変わることを祈っているわ」

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いつもは沢山の露店と買い物客などで活気があるダマスカス門も、無言の抵抗

一方、東エルサレムでは、お店などがストライキに入って3日目。旧市街のムスリム・クオーターのお店等も軒並み閉まっていて、不気味なほど静かです。観光客らしき数人が、通りかかったアラブ人の男性に聞いていました。「どうしてこの辺りは全てお店が閉まっているのですか」「ガザだよ。虐殺が起こっている」と、男性は悲しみと苦しみのこもった声を張り上げて答えました。その肩越しに、旧市街のダマスカス門の前に立つイスラエル警察が見えます。東エルサレムの人々は、無言の抵抗を続けています。

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