
【スーダン】破壊と再生の街 ―3 年ぶりに首都ハルツームへ戻りました―
.png)

オンドゥルマン市場の破壊された建物

破壊・略奪された車が街の至る所に放置されたままになっている
そして以前ハルツーム事務所兼駐在員住居として借りていたアパートにも再訪しました。戦闘勃発時はたまたま全員が出張や休暇で不在にしていたため、何も持ち出して来られず、大家も早々に退避したため、一体どうなっているのか、よく分からないままでした。RSFはハルツームで徹底的に略奪を働いていたので、大家も警備員を雇って建物の入り口にレンガを溶接していました。なので僅かな期待を抱きつつ、でも期待しすぎないようにしていました。
事務所が入る建物に到着すると、銃痕があちらこちらに残されています。戦闘時も避難せず残り続けた住民によると、この建物はRSFが家畜を屠殺する場所として使っていたそうです。
砂埃をかぶった階段を上がり、JVC事務所だった部屋の前まで来ると、通路に面した部屋の窓が取り外されており、ここから侵入されていたのが明らかでした。ドアは破壊されていなかったので、大切に保管してきた鍵を袋から出して、いざ中へ。
やはりほとんどのハルツームの住民が経験したように、徹底的に略奪されていました。壁に掛けていたカレンダーやスケジュールを記載したホワイトボードは2023年4月のまま止まっているものの、金庫やスーツケースはこじ開けられ、現金、携帯電話、デジカメなどは見当たらず、書類や本が床に散乱し、砂とネズミの糞にまみれています。私がずっと心配していたのは学生時代から世界各地を旅したときに撮り溜めた写真を保存したHDディスクでしたが、箱しか見つからず中は空っぽ。床に散乱した手帳や写真は、素手で触るのは躊躇われるほどでしたが、過去の思い出を失わないように一つ一つ拾いあげていきました。

略奪された部屋の様子。RSFだけでなく泥棒も入ったと推察される。
上記事務所の前に住んでいた地区にも再訪しました。ここは少し庶民的で、小さな市場を中心に人々の繋がりが強いです。エチオピア、エリトリア、南スーダン出身者も集まり、多様性を感じられる地区でもあります。避難に係る費用や避難先での家賃の支払い能力が十分になく、残留することを選んだ住民も多くいました。この地区にはRSFの兵士たちが住みつき、市場では略奪されてきた家具や電化製品が安く売られるなど、戦闘中でも一定の市民生活が残り続けていました。
当時のご近所さんに再会し、お茶を飲みながら、この3年間に起きたことを聞きました。その中には、RSFによって命を奪われた共通の知人たちの話もありました。
一人は知的障がいのある青年。夜道を歩いていたところRSFの兵士に呼び止められ、尋問を受けましたが、うまく受け答えすることができず、銃殺されてしまったそうです。私が知る彼は、いつも穏やかな笑顔を浮かべている青年でした。
さらに、戦闘前に私にマグカップをプレゼントしてくれた男性も、RSFの兵士に暴行を受けて亡くなったと聞かされました。そのマグカップは略奪された事務所の台所に残されていたので、回収してきたところでした。
そんな話をしている最中、右腕が不自然な方向に曲がった男性が通りかかりました。彼には聴覚障がいがあります。戦闘中、RSFの兵士に呼び止められたものの、当然ながら声が聞こえず、そのまま歩き続けたところ撃たれたそうです。幸い命は助かりましたが、当時は治療できる病院へのアクセスも限られており、今でも後遺症が残っています。このような暴力の話は決して珍しいことではなく、皆がこうしたつらい経験をしています。
一方でRSFの兵士が多数住んでいたこともあり、国軍からのターゲットにもなっていました。市場が国軍のドローン攻撃の被害に遭い、生きるために働いていた一般市民が無惨にも犠牲になりました。小さな子どもも巻き込まれたそうです。
現在、市場には簡易な建物が建てられ、その中で野菜や果物が売られています。掲げられた看板には戦争で犠牲になった方々の名前が書かれています。知人の写真や名前も確かにここにありました。一体彼らが何をしたというでしょうか。故郷を離れず、毎日をただ生きていただけです。

簡易市場の看板には「殉教者」の名前が記されている。
痛ましい現実はあるものの、ハルツームへの帰還者は増加しています。電気がない地区では太陽光パネルを活用する世帯も目立ちます。戦闘前から停電が多かったため、会社や裕福な家庭の多くはジェネレータを設置していましたが、イスラエル・イラン戦争による燃料費高騰も相まって、太陽光パネルのニーズが高まっています。屋根の上に新しいパネルが設置されている家も珍しくありません。さらに、電動自転車や電動バイクも以前より多く見かけます。電力事情の変化に合わせて人々の生活様式も少しずつ変わっているように感じます。

車を所持しているが、近距離はもっぱら充電式電動自転車で移動している男性。
略奪された家を清掃するサービスや家具屋も次々に再開しています。住民が戻ってくるにつれ、略奪された家具を買い揃えたり、荒れ果てた家を住める状態に戻したりする需要が生まれているのです。

清掃アイテムの販売だけでなく清掃サービスを提供する店
レストランやカフェも再び営業を始めています。ポートスーダンで人気となった店がハルツームにも出店しているほか、戦闘前から営業していた店が改装を経て再オープンしている店もあります。店内には家族連れや若者の姿も見られ、人々が日常の時間を取り戻そうとしていることが感じられます。

再オープンの日は全品30%オフのキャンペーンをした有名イエメン料理屋。
もちろん、一部地域では電気や水道などのインフラが十分に復旧しておらず、生活は決して楽ではありません。それでも人々は工夫を重ねながら暮らしを再建しようとしています。破壊の跡が残る街の中で、こうした小さな変化の一つ一つが、再開する店の灯が、暗いハルツームの夜を照らしています。
カドグリ事務所のスタッフとも3年ぶりの再会を果たしました。カドグリが包囲され、外部からアクセスすることが出来ない中で、現地スタッフが毎日コミュニティに訪問し、補習校運営や種子支援を行ってきました。カドグリの情勢が悪化する中、スタッフはそれぞれ別々のルートで1週間かけて避難してきました。地域によって支配する武装勢力が違うため、道中連絡が取れないときは本当に心配でした。

再集結したJVCスタッフ
約5年ぶりにJVCに復帰したスタッフもいます。彼女は、戦闘勃発後もハルツームに残留していましたが、同居していた妹を砲撃によって失いました。現在、妹の残した小学校から大学までの5名のお子さんを育てながら、フルタイムで働いています。
ハルツームでは今年から本格的に学校が再開しています。朝早い時間に子どもたちが学校に向かう様子が目に入ります。徒歩で向かう子もいれば、お父さんの自転車に乗せられている子もいます。こうした何気ない光景にこそ励まされます。
5月には中学校の卒業試験の発表があり、成績上位者はメディアでも取り上げられ、大きなお祭りのようでした。ネットで結果を確認することができますが、保護者は嬉しそうに結果をスクリーンショットして共有し、子どもたちも何点だった?と聞き合っている様子が見られました。

砲撃によって被害を受けた学校で勉強する生徒たち
戦闘や避難、精神的負担、家庭の困窮など勉強を続けることの障壁はいくらでもありますが、それを乗り越えて試験を受けた子ども及び家族には拍手を送りたいです。同時に勉強を続けられなかった子どもたちにこそ目を向けなくてはいけません。さらに学校が軍事基地として使用され、空爆、砲撃、ドローンによって多大な被害を受けています。また避難民の居住地として利用されたことで、校舎や設備が損傷した学校も少なくありません。ハルツームでは学校再開の動きが進んでいますが、安全で適切な学習環境の確保はいまだ大きな課題です。
JVCでは日本政府の支援のもと、UNICEFと協働して、ハルツームでコミュニティを中心とした教育へのアクセス・環境改善プロジェクトを開始しています。戦闘によって翻弄されてきた子どもたちが、再び安心して学び、一人でも多くの子どもが学ぶ権利を取り戻せるよう取り組んでまいります。

スーダン事業現地代表/イエメン事業担当 今中 航
京都府出身。大学でアラビア語を専攻し、在学中にイエメンに留学。留学中に「アラブの春」と総称される民主化運動が始まり、ライフラインが脆弱化し、国が混乱に陥っていく様を目の当たりにする。卒業後は途上国・新興国の根幹を支えられるようなインフラ支援に携わりたいとの思いで、メーカーにて発電プラント事業を担当。退職後、現地の人々により近い距離で可能性が広がることに尽力したいという思いが大きくなり、2018年JVCに入職し、以降スーダンに駐在。イエメン事業立上げに参画し、2022年よりイエメン事業担当も務める。