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スタッフインタビュー第16回:元気仙沼事業担当/現支援者・会員担当 横山和夫

※本記事は、2016年度に書かれたものです。現在、横山は嘱託職員となり、支援者・会員担当を務めております。

こんにちは。広報インターンの清水です。本日のインタビューは気仙沼事業担当の横山さんです。岩手県盛岡市で生まれ、大学進学で東京に来るまで、福島県や宮城県で育った横山さん。どのような経緯で現在の仕事へ就くことになったのでしょうか。色々聞いてみたいと思います!

(小さい頃からラジオを1から作ったり、モノづくり一筋だったという横山さん。)

この仕事に就く前は、一般企業で技術者としてキャリアを積み上げてきたと聞きました。大学時代はどんなことをしていたんですか?

大学進学とともに宮城県から上京をしてきたので、はじめの頃は家賃1万6千円のボロボロのアパートに暮らしていました。お風呂もなくトイレも共用という、いわゆる貧乏学生でしたね(笑)

(学生時代は、今よりも体重が10kg以上軽く人生で一番痩せていたそうです。ちなみに隣は奥様!)

大学では、工学部電子通信工学科というところにいて、卒業論文は音声合成の装置を製作しました。当時はコンピューターが今のように発達していなかったので、電気回路を組んで喉の形状をシミュレーションし、電気的に声を発生させていました。徹夜で回路図を書くこともありましたが、小さい頃からモノづくりや工作が大好きだったので、夢中になってやっていました。今でもJVCでイベントをやる際、画用紙を切り貼りしたりことがあるんですが、そういう作業をする時、ワクワクしてしまいます。

ちなみに学生時代はどんなアルバイトをしていたんですか?

土曜日に実験があったりしていたので、知り合いの紹介で引っ越し屋をしていました。だから荷物の梱包や段ボールをまとめるのが得意です。あと、単発で家を壊すアルバイトをしたこともあります。壁を打ち抜いたり、ほとんど力仕事でした。というのも、実は、人と話すことがあまり得意じゃなかったんです。会社で営業の仕事をするようになって、「やろうと思えばできないことはないな」と気づいたのは、随分あとのことで30歳過ぎくらいですね。それまではモノとお話ししている方が楽しかったんでしょう...。(笑)

卒業後はどのような進路に?

工学部の学生は卒業後はほとんどメーカーに就職します。僕も同じようにメーカーに回路設計の技術者として入り、電子回路の設計をしていました。はじめは、マイクロコンピューターとかを使って機械を制御する基板を作っていました。5年ほど経って一通り技術が身についた頃から、次は30年間ほどソフトウェアを作るようになりました。朝から晩まで工場にいて、働き詰めな時もありました。

東日本大震災が発生した時は、どこで何をしていましたか。

新富町にある「印刷会館」の会議室で、印刷の色やデータの標準化についてのISOのセミナーに出席していました。六本木のミッドタウンにある会社に戻ろうと思ったのですが、電車が動いていなかったので、銀座や虎ノ門を通って歩いて帰りました。その後、しばらく待機し自宅には夜中1時すぎに着きました。その後ニュースや新聞をみて、東北は高校卒業までを過ごした土地ということもあり、何かしたいと思っていたのですが、会社勤めをしていると土日もぐったりしちゃって、なかなか行動に移せなかったんです。寄付とかは出せても直接的なことができなくて、ずっと心に引っかかっていました。

そんな悶々とした日々を過ごしているうちに、勤めていた会社で、人員整理をすることになったんです。当時、僕は管理職だったので部下を辞めさせる立場になってしまい、それならばこのタイミングで自分が辞めよう、と思って退職を決めました。

退職後はどのように過ごしていたんですか?

いわゆるボランティアバスに乗って宮城県や岩手県、福島県での活動をしていました。震災から1年半ほど経った頃でしたが、いまだ瓦礫が残っていて、僕も畑の瓦礫を取り除いたりしていました。このボランティアと並行して次の仕事を探していたのですが、探す中でやはり震災復興に関わることがしたいなと思うようになりました。

しかし震災のあった地域では、会社自体が被災してしまっているところも多く、そもそも求人がなかったんですよね。そんな時にNPOやNGOといった組織が現地に入って震災復興の活動をしている、ということをたまたま知りました。そんなの道があるのか!と思って、まずはあるNGOのイベントへ参加し、そこで初めてJVCを知りました。その頃JVCでは、ちょうどインターンの募集をしていて、締め切り間際でした。それまで他のNPOの職員募集などにも応募をしていたのですが、これまでの仕事とは別世界で年齢もそれなりにいっていたので、なかなかハードルが高かったんです。面接まで至らないことも多く、中高年の再就職は大変だなと感じていました。(笑)

インターンとしてNGOであるJVCと関わりをもち、1つステップを踏むことで次の展開が見えてくるんじゃないかと思い、締め切りギリギリに応募しました。ちなみに、インターンの同期に広報の大村さんがいるんですが、彼女もギリギリに応募したようですね(笑)。インターンとして入ってもそのあとの職が保証されていたわけではないので、期間中も求人情報をチェックしたり、復興庁の現地に派遣される職員の臨時募集などに応募したりもしていました。たまたま、1年のインターン期間を終えるころに、気仙沼事業担当の募集があり、そこに応募し採用をされて、今にいたります。

スタッフになるにあたって、不安はありませんでしたか?

インターンをはじめる時に、担当スタッフと面談があり「事業が1年間どういうかたちで動いているのか、全体の流れを知りたい。」ということを相談しました。やりとりされているメールで差し支えないものを転送してもらうなど、どこでどういう動きをしているのかをほとんど理解することができて良い経験になりました。重要な会議や打ち合わせにも同席させてもらえて、意見を述べる機会もありました。そのような1年があったので、スタッフになるのに特に不安はありませんでした。しかし実際に、自分でやってみるのは違いますね。この4月で3年目となりますがようやく慣れてきたかなと感じています。

(2013年度のインターン集合写真。横山さんは後列左から2番目、前列右端は現在の広報担当大村さんです。2人はスタッフになったタイミングも同じ、縁深い同期です!)

働いてみて、JVCの特色のようなものを感じることはありますか?

色々なNGOをターゲットに就職活動をし、情報収集をする中で、やはりJVCのやり方に共感する部分は大きいです。JVCでは、こちらで一方的に決めたプログラムを現地に持ち込み、そのプログラムに沿った活動を行うということはなく、具体的なプログラムを決定しない状況で現地に入り、現地の人の声をとにかく聞くという姿勢をとっています。本当に現地の人のためになることは何かを考えると、とても良い方法だと思いますね。インターンをする中でそのような姿勢にとても惹かれていたので、JVCで求人が出た時(しかもインターンをしていた気仙沼事業)は、迷わずJVCで働きたいと思って応募しました。

すごいご縁ですね。ちなみに休日はどのように過ごされていますか?

スタッフコラムにもありますが、歩くことが楽しくて、楽しくて、休日は気が付くと何時間もあるいていたりします(笑)出勤時も、雨が降らない限りは毎朝歩いてきています。私は半蔵門線を利用しているのですが、神保町・大手町・三越前の三つ選択肢があってどの駅からもJVCまで30分くらいで行けるんですね。いつも色々なことを考えながら歩いて出勤しています。

何日かお休みがある時には、キャンプにも行かれるそうですね!

子どもがまだ小さかった頃に、自然に触れさせたいなと思って始めたのですが、最近は子どもたちも独立したので女房と2人で自然の景色をぼーっと眺めながら、のんびりお酒を飲んでいます。長野県にある上高地は、昔からのお気に入りのスポットです。

家族でキャンプへ行った時のお写真。テントも張って本格的ですね!

ラグビー観戦もお好きと聞きましたが、ご自身もされるんですか?

はじめは、高校の体育でやっていたくらいです。そもそもラグビー観戦をするようになったきっかけは、通っていた大学がラグビー強豪校だったから。卒業後も休日を利用してラグビーの試合観戦をしていて、みているうちに「自分の子どもにもやらせてみたいな」と思い、近くのラグビースクールに連れていったんです。(横山さんの娘さんは、現在女子ラグビーで活躍しているそうです!)スクールでは、体を当てたりする練習があるので、それを受ける手伝いをしているうちに、自分も講習を受けてコーチの資格をとりました。当時は中学生の指導をやっていたのですが、40歳を過ぎたころになって自分でもやってみたいと思い、まずは家の周りを走って体力づくりをはじめました。指で数えるほどですがラグビーの試合にも出たことがあります。40歳を過ぎると「ここでやらなかったら一生やらないだろうなぁ」とか「この先もうやらないだろうなぁ」といことが、感覚的に見えてくるんです。でも後悔はしたくないので、身体が動くうちにテレマークスキーやスノーボードなど、色々挑戦しています。

インタビューをしてみての感想

今回のインタビューを通して、生まれ育った東北への真摯な想いや40歳を過ぎてもなお、様々なことに挑戦し続けるアクティブな横山さんを知ることができました。私も横山さんのように、自分の興味対して行動を起こせる人になりたいと思いました。インターンの私たちにもいつも気さくに話しかけてくださるので、「実は人と話すことがあまり得意ではなかった」という過去のお話は意外なものでした。

(手を口に当てて笑う横山さん。なんだか可愛らしい一面を見ることができちゃいました!)

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