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日本 パレスチナ

2020スタッフインタビュー第1回: パレスチナ事業担当 大澤みずほ 

※本記事は2020年度に書かれた書かれたインタビューです。

みなさんこんにちは!国際協力NGO「日本国際ボランティアセンター(JVC)」2020年度広報インターンの金岡です。

2020年度インターンも、去年に引き続きJVCスタッフインタビューを行っていきます✨

過去のスタッフインタビューは東京事務所スタッフ日記の過去記事からご覧いただけますので、こちらもぜひご覧ください!

2020年度インターンによるインタビュー記事の第一回目は、パレスチナ事業を担当している大澤みずほさんです!

座右の銘が「何事も楽しく!」という大澤さんは、テレワークの私たちインターンとJVCスタッフの「昼食雑談会」などを開いて下さり、いつも笑顔で明るい印象を持っています。

(いつも明るい笑顔で話してくれる大澤さん。遠隔勤務のためまだお会いできてないので、いつかお会いしたいです!

はじめに…学生時代はどのように過ごされましたか?

学生時代は、それなりに楽しんでいましたが、当たり前ですが、授業は理論ばかりで、実習に行くと肩身が狭いし、出来ることもすごく少ないしで、早く卒業して働きたいと思っていました。それは早く経験を積んで次のステップに進みたいという気持ちも大きかったです。

看護の道に進もうと思ったきっかけは?

なんとなく海外で緊急医療支援に携わりたいとずっと思っていたんですけど、医者は難しいので看護師になろうと思いました。(笑)

大学の時は国境なき医師団や赤十字に入ることを目指していました。そして卒業後、北海道から東京に上京し、救命救急病院で4年働いていたんですけど、働いているうちにいろいろ思って「違うな」と思い、辞めました。

北海道が大好きなので出たくなかったんですけど、勉強できる機会が多いのはやっぱり東京だと思って泣く泣く上京しました(笑)

(大澤さん看護師時代)

国際医療支援に興味を持ったのはいつごろですか?

私の両親が青年海外協力隊出身で、父はJICA専門家として5年くらい勤めていて、母親は看護師でした。

その両親の縁で、周りの大人の人たちを子どもの時に見ていて、国際協力に親しみがあったんです。その中に日本赤十字の方やWHOの方もいて、そういう仕事があるんだな~となんとなく思っていました。

子どものころにドキュメンタリーで、自分と同じくらいの年の子どもが、大変な状況で生きているのを見て、すごく不平等だなと感じていました。

看護師として働いてみて、現場の人がどういう思い出働いていましたか?

やる気があって自分なりの看護感を持っていた人もいて、そういう人は休みの日も勉強していたし、そうではなく生活ができていればいいやって感じの人もいました。

国際医療支援を目指す人は、大学にも職場にもいなかったので、話を共有できる人がいなくて少し寂しかったですね。。

JVCにたどり着くまではどのような経緯があったのですか?

いくつか段階があってJVCにたどり着きました。

日本の救命救急で働いていた時は、運ばれてくる人の半分くらいは意識が無く運ばれてきていたんですね。その人たちの意思の確認なしに治療を決めていくということに倫理的に違和感を感じていました。

患者さんに意識がない場合、よほど事前に家族に意思表示をしていない限りは、家族の決定で治療方針が決まるのですが、自分の命の終わりも含めて人が"自分がどう生きたいか"を選べないのはおかしいなと感じました。

日本でも難しい話なのに、海外の紛争地などでの救命救急は医療器具や設備がない中で治療を行わなければならないので、さらにそういった現状を目の当たりにしていくだろうなと想像しました。

そして病院での治療が終わると、その人は自分の生活に戻っていく。けれども、障がいなどが残った場合は完全に元の生活に戻れるわけではなく、若ければ若いほどその先の長い人生を障がいとともに生きていくことになります。

そう思ったとき、病院の中で一時的に関わるよりも、予防という観点を含めて継続的に関わることのできる地域保健分野に興味をもったんですね。

その後、青年海外協力隊に応募し、パラグアイの14床くらいの小さい病院に配属されました。活動内容は、病院の医療サービスの向上、生活習慣病の予防啓発などでした。

日本の看護師免許しか持っていないため、協力隊員は医療行為(注射など)ができません。

病院で一緒に働いている人たちは各々看護師としてのプライドを持っていて、「どうしてあなたは医療行為をしないの!」とか、ボランティアの自分の立ち位置があまり伝わっておらず、そのなかでの活動は本当に難しかったです。

もともと病気になった後に病院で治療するよりも、自分たちの体のことを知って自分たちで予防できるように、健康啓発活動をしたいと思っていたので、1年くらい経ったときに、子どもたちに健康教育をしたくて病院での活動と並行して学校で健康教育を始めました。

校長先生は思ったよりも気さくで、「やってくれるの?いいわよ~!」とすぐに受け入れてくれました(笑)

教えていたことは、手洗いや歯磨きのことなどベーシックなことです。パラグアイにはあまりそういった習慣が浸透していなくて、調査を読んだら9割の子供に虫歯があるんです!

子供たちは本当に素直だったし、歓迎してくれたので、半分先生のような期間で本当に楽しい時間を過ごすことができました。

(パラグアイの子どもたち。みんないい笑顔ですね!)

海外のNGO、NPOなど、現地で働き続けようと思ったことはありますか?

協力隊の時は思いませんでしたね。

パラグアイに行って思ったことは、パラグアイの人々はお互いに助け合って生きていける雰囲気があるということです。

彼らは自分たちの政治、文化、歴史などについてよく知っていて、日本のこともよく聞かれました。そのおかげで、今まで意識していなかったことに気が付くことができました。

自分は保健医療の分野でと思っていたけど、パラグアイで過ごす中で、人の健康を害する要因は、保健医療だけでなく教育、経済、色んな問題と絡まっているということを改めて感じて、この辺で、保健とか医療の分野にこだわらない活動をしたいなって思うようになりましたね~。

幅広い仕事をしたくて、日本に帰ってきたんですね。

そうですね。次どうしようかなって思っていたんですけど、NGOは未経験者が入るためのハードルが高いイメージがあって、まずはインターンをしてみたいと思い、緊急支援をメインでやっているNGOで半年間インターンをしました。

その後、就職先を探していたら偶然JVCのポストが空いていて、調べてみると団体の透明性が高く、職員のプロフィールが公開されていているような「顔が見える」組織である点が好印象でJVCへの応募を決めました。

(JVCは現地事務所スタッフも顔写真つきプロフィールを掲載しています(画像はカンボジア現地事務所)。)

意外と職員の顔写真が公開されているNGOって少ないんですよ。ましてや、JVCみたいにローカルスタッフまで載せてるところはほとんど無いと思います。

応募したポストは東京事務所でのスーダン担当だったんですけど、実はスーダンへの強いこだわりはありませんでした。

というか、私は元々地域とかイシューへのこだわりがあまりないんです。政治とか権力とか、自分たちがコントロールできない人為的なことで、理不尽に傷ついたり苦しんでいる人をサポートできたらと思っているので。

その後すぐに、パレスチナ事業を担当されるんですよね。

半月くらいオリエンなどをした後、急に2か月間パレスチナに行くことになり、帰ったあとに代表と事務局長に呼び出され「え!クビ!?何かしでかしたっけ...」と思ってドキドキしていたら、パレスチナ事業の東京担当の引継ぎを打診され、自分でよければと受けることにしました。

私はずっとNGOとかで働くなら現地が良いと思っていたのですが、家族のこともありしばらくは日本にいることに決めていていました。でも、JVCで働く中で、現地駐在だけではなく、日本でからできるサポートもたくさんあるし、重要だなと感じています。全然海外駐在するだけが仕事じゃないな~って。

私は、意図せず現地で働くのと日本の事務所で働いた期間がちょうど半々くらいってことに、今振り返ってみて気づきました(笑)

国際協力の現場で働いている時の大変さはなんですか?

チームでは働いていることはどこで仕事をしていても常に意識しています。JVCは、現地パートナーと提携して事業を行っていますが、現地パートナーとの、約束事や調整をすることが非常に苦労していますね。

東京事務所では、全体を見てマネジメントすることと同時に、支援者さんとのやり取りが特徴で、とても楽しく仕事をさせていただいてますね。JVCのスタッフは代表や事務局長も含めてみんなとても気さくでサポーティブで、本当に恵まれていると思います。

支援者さんとお話をする機会や、担当しているパレスチナ事業への反響をいただける機会が多いのは、とても嬉しく、やりがいを感じています。

パレスチナでの人権教育についてお聞きしたいです。

金岡:大澤さんが書いたパレスチナのサマーキャンプの記事「JVC - 学生たちのディスカッション」で、男子に女性の人権問題についての質問を聞いていました。私は、すぐに答えは出ないけど、質問をすること自体に価値があると思いました。パレスチナの女性が、女性のエンパワーメントをどう捉えているかについてお話を伺いたいです。

東エルサレムで一緒に活動しようと思っている団体は、代表も女性で、女性の人権意識をとても大事に考えているところですね。

しかし、社会では女性の人権の現状に対して、男女関係なく「このままでいい」と思っている人がいます。

パレスチナでは、「女性は弱いから男性が守るべき存在である」という考えから女性の権利が制約されている面があるけど、それでいいと思っている女性がいるのも事実です。

(パレスチナ事業の一枚!)

そのような女性たちにエンパワーメントを訴えるのは、おせっかいになってしまう可能性がありますね…。

私個人に意見としては、色んな考え方があることを知ることができればいいんじゃないかと思います。

最終的にどう思うのかは本人が選ぶことなので、女性のなかで色んな選択肢が生まれたらいいのではないかと思います。

現地の女性たちと話すときに気をつけていることはありますか?

何かを決めつけて話すことは絶対にしないようにしています。自分がやられても嫌ですよね。

当たり前のことですけど、相手の家庭の話など、パーソナリティに深く入る話には注意を払いながら話すようにしています。

パレスチナは住みやすかったそうですね!

パレスチナの人たちは親日でとても優しいですね。なぜ親日かというと、アニメやテクノロジーの面で日本が知られていることが大きいと思います。

でも驚いたのは、第二次世界大戦で原爆を落とされたという事実を彼らは知っていることです。「ヒロシマ」「ナガサキ」などの単語を使って話をしてくれました。戦後復興が成功していることや日本が70年間戦争を行っていないことへのイメージの良さがあるのだと思います。

パレスチナの占領と封鎖は現在進行形で進んでいるので、より「平和な国」への印象が良いんです。せっかくパレスチナ人が良いイメージを持ってくれているのだから、日本は日本にできるアプローチをしていってほしいと思います。

国際協力には、様々な関わり方があるが、大澤さんは国際協力に「こう関わったらいい!」という理想像のようなものはありますか?

少し難しい質問ですね...。とりあえず現場に飛び込んでみるというのは今までを振り返るとあるのかもしれません。現場に飛び込むというのは、とにかくチャレンジしてみるということですね。

私は、路頭に迷ったら南の温かい島に行けばなんとかなるだろういいやって楽観的に物事を考えています(笑)よほど特殊な事でない限り、チャレンジしたからといって死ぬわけじゃないですからね。

でも私が自由に行動できる背景には、チャレンジしてダメなら医療の道があるしっていう考えがありました(笑)

未来を深く考えすぎて一歩踏み出せないる若者も多い気がするけれど、どんどんチャレンジしてほしいです!ただ、こういう仕事をしようと思うと身に付けておいた方が良いことはたくさんあるので、色んな人の話を聞いて準備することをお勧めします。

そして、職員として働くことだけが国際協力ではありません。ボランティア、インターン、寄付など、色々な関わり方があるので、自分の生活や人生設計に合った方法でできることを続けていくのが良いと思います。

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