スタッフのひとりごとの記事一覧
「長い間ほんまありがとう、今日でもう俺ら終りやな」
思い出せば長いものでかれこれ15年以上の付き合いでした。私は新しい恋人と共に歩もうと決意したその日、涙声でそう呟きました。
貴方を初めて抱いた日の朝、しつけ糸の取り忘れがつい昨日のようです。きめの細かい貴方の素肌に酔ってワインをこぼしたことも。通勤中に自転車のチェーンが貴方を傷つけたこともありました。思い出は尽きません。貴方のその肌触り。ダークブルーの生地。高めのゴージライン。華やかな印象を与えるピークド・ラ ペルの襟えり。こんな性格の私を知的に演出してくれましたね。一枚の布から作られた貴方は、まるで私の皮膚のように限りなくフィットしてくれました。
【No.297 HIV/ エイズを「死に至る病」でなくすために
南アフリカでの取り組み (2012年8月20日発行)
に掲載】
自宅のある高円寺で、今年から阿波踊りを始めた。私の持ち場は締太鼓だ。中年の素人が20年以上のベテランに交じって練習する。皆地元の人なので話の輪に入るのがなかなか難しい。何々ちゃんがどうのこうのと、他のチーム(連という)の人の噂となるとまったくついていけない。それでも歯を食いしばって毎回練習と飲み会に出ている。
もうひとつの趣味は、PARCが主催する『東京で農業』の研修だ。今年で3年目に入った。毎年30種類近くの野菜を作る。一畝(約1アール)程度の畑を5~6人のチームで耕すのだが、鍬を振るう時は腰にくる。夏のキュウリやトマト、ナスはいつも食べきれずに難渋する。でも土に触れると元気が出てくる。
【No.294 新事務所で森の暮らしにふれる (2012年4月20日発行) に掲載】
「スマートフォン(スマホ)」を買ってみた。携帯電話にパソコンの機能を付加したようなもので、通話だけでなくネットが見れたりできる。あまりに流行っているので「俺は持つまい」と意地を張っていたけれど、使ってみるとこりゃ便利。すばやく簡単に情報を得ることができる。
先日の仙台出張の際、最終の新幹線に乗り遅れてしまった。ホテルを探さなければいけないが、土地勘も無いし観光案内所も閉まっている。そこでスマホだ。「ホテル」「仙台」と話しかけると、自分の周囲のホテルを値段とレビューつきで表示して、GPS で道案内までしてくれた。おかげで、安くて駅から近いホテルを見つけることができた。
【No.293 「ちょっとしたこと」が明日をつなぎとめる (2012年2月20日発行) に掲載】
総会が終わったとたん、東京に暑さがやってきた。かなりの早足、しかも世の中いずこも節電体制である。会員の方から、「JVCの節電モード、大丈夫ですか?くれぐれもご自愛を」「ムームーのようなものを着て熱中症対策を」といったメッセージが次々寄せられる。心配してくださるなんて...と胸が熱くなる一方 で、すでに工夫を凝らしておりますよ、と苦笑も禁じえない。
M嬢は、机の下に怪しいブランド模様の入ったビーチサンダルを完備。帰宅時にそのままはいてきて、「しまった!でもコレ、ヴィ○ンですからネ」と平然としたもの。「マッチ売りの少女」たちも登場。頭頂部を冷やすと効果的とかで、保冷剤を頭や首に巻きつけているのだ。しかもその写真を撮って、「冬にこのなさけない姿を見て、暑さを思い出しながら寒さに耐えようね!」と励ましあっている。
【No.290 生き残った私たち (2011年8月20日発行) に掲載】
だいぶ前に見たテレビでこんな場面がありました。ある先生の出張授業。最後にひとりの主婦が「先生、私のこと見て何か感じませんか?」と切り出しました。その先生はしばらく黙って、そしてにっこり。「...ずっと感じてましたよ。26年前、○○市立○○中学校3年5組 旧姓○○△△さん。今回、テレビ局に届いた手紙、あなたが書く"と"という文字、2画なのに一筆書きなところがちっとも変わってない。教師にとって生徒は子どもなの。あなたもお子さんがいらっしゃるでしょ。親が子どものこと忘れますか?忘れないでしょ」気がついたら涙がぽろぽろ流れていました。そして、ある先生のことを思い浮かべました。
【No.304 国境が引かれ、対立と不信が残された後で (2013年8月20日発行) に掲載】
パレスチナに赴任した直後の頃に最大のミステリーのひとつだったのが、「女性はどんな髪型をしているのか?」ということだった。いつもヒジャブと呼ばれるスカーフで髪を覆い、髪型が一切見えないからである。活動の一環でガザの家庭を突撃訪問するようになり、自宅でヒジャブを取った女性たちの姿を初めて見たときは、マジマジ見入ってしまったのを覚えている。
ガザ女性たちは結構な割合で髪を染めている。茶色だったり金髪だったり、いわゆる派手目な色を好んで、既婚者は大概セミロング、若い女性たちはロングで、一本の三つ編みにしていたり、大き目の髪飾りを付けたりする。日本人に比べると、くせ毛や天然パーマ(いい具合にくるくるしている)が多く、目鼻立ちもしっかりしていて、まつ毛も長いせいか、ヒジャブを脱ぐと素晴らしくゴージャスな感じが漂う。
【No.302 アジアを包みこむ新しい貿易協定の行方 (2013年6月20日発行) に掲載】
先日、外出中に携帯電話が鳴って、出ると宅配の人からだった。「お花が届いているのですがご在宅ですか?」と言われ、一瞬きょとんとした。花なんて、誰かにもらう筋合いがあったかしら? 誕生日でもないのに? 送り主を尋ねると、聞き慣れない会社名の「なんとかグリーン」さんで、住所が神奈川県だった。ますます訳がわからない。とりあえず不在票を置いてもらうことにして電話を切った。花というのを聞き間違えたかも? 誰かと間違えてるんじゃないのかな? ...考えても考えても、全然思い当たる節がない。
帰宅して不在票を確認すると、やはり「なんとかグリーン」さんから「私」宛に「花」のお届けがあることになっていた。再配達までの間も、頭からハテナが拭えない。
【No.299 変わるラオスで 変わらないラオスで (2012年12月20日発行) に掲載】
この8月に結婚をした。同時に7歳の男の子の父親となった。9月のある日、東京で働く妻と息子が私を訪ねて初めて気仙沼へやってきた。大雨の日曜日のほんの数時間ではあったが、今も残る大震災の爪痕の一部を車で見せて回った。
仮設商店街で遅めの昼食をとり、建物の基礎ばかりが残された平坦な市街地跡を抜け、その平野に不自然に座している大型漁船の前を通過し、校庭に建てられた仮設住宅団地を垣間見るなどした。
これらの光景が息子の目にはどう映ったのだろうか。それとなくたずねてはみたが明確な返答はなかった。何か言いたそうではあったが。
【No.298 「アラブの春」から改めて中東を考える (2012年10月20日発行) に掲載】
先日、アフガニスタンでの活動を行なう別のNGOの皆さんと「いっしょに卓球をしよう!」という話になって、体育館の設備を借りたことがありました。実はJVCにはかつて学生時代に鳴らした強豪選手がいて、その圧倒的なパフォーマンスは体育館中の注目を集めたのでした。
さて、なぜ「卓球」なのかというと、そのNGOの皆さんはアフガニスタンに入れない時や経由の際に隣国のパキスタンなどで気晴らしで卓球しているんですよ、というところから盛り上がったのです。紛争地での活動と卓球!? ちょっと結びつかないですが、忙中閑あり(忙しい中にもわずかな暇はあるものだ)でしょうか。
【No.301 生き残った私たち3 (2013年4月20日発行) に掲載】
はたらけど はたらけど
猶わが生活
楽にならざりぢっと手を見る
(石川啄木「一握の砂」より)
人口に膾炙した啄木の歌が、時折こころに浮かぶ。啄木が人の生活を見つめた時、ふと視線を向けたのはその手であった。
私の手はお世辞にも格好のいい手ではない。幼い頃から治らない爪をかむ癖が、なおさらそれを不格好にしている。無理をして机に向かった時にできたペンだこが中指に残ったままだ。めっきり楽器を手にしなくなったために、指先はふにゃふにゃしている。今はただ、少しばかりヤニばんでいるだけの手だ。
【No.295 「復興会議」と農村での取り組みをつなぐ (2012年6月20日発行) に掲載】