スタッフのひとりごとの記事一覧
タイトル通り私は長女ですが、今回は可愛い姪っ子(小3)のお話。
コロナ禍の関係で私は他団体での 海外駐在を引き上げ、この半年ほど実家に居候していました。姪は5月まで小学校が休み、夏休みも含め家で一緒に過ごす時間も多く、「長女のつらさ」を垣間見ることに。
彼女には2歳下の妹がいて、典型的な末っ子気質。甘え上手で、常に家族から「早く食べなさい!」「マスク忘れてる!」と言われても一向に改善する兆しもなく、悩殺笑顔ですり寄られるとついつい「しょうがないなあ」となる。一方、姉の方は小学校から戻ると何も言わなくても手洗い、うがい、宿題、ピアノの練習、と毎日やることを主体的にこなしていく。こちらも典型的な長女気質。遺伝子のなせるわざなのか、同じ環境で育ってもいつの間にか性格の違いが出てくるのが不思議です。
【No.343 炙りだされた課題に JVCは 何を始めるのか (2020年10月20日発行) に掲載】
半年余りの自粛生活。その中で比較的普段通りにできた趣味は釣りでした。2020年4月から新型コロナウイルス対策のため日本に一時避難していましたが、11 月半ばにラオスに帰任することができました。
日本にいる間はほとんど自宅にいたのですが、ときどき千葉県の内房に、ひとりで車で釣りに出かけていました。8月から数回行ったものの、対象魚のスズキは釣れていませんでした。しかし10月のある日、開始後すぐにアタリが。これは逃してしまったものの、続けてアタリが来るくる。一時は入れ食い状態になり、結局3時間で11尾も釣れました。サイズも80cmを超えるものもいました。
【No.344 1980年代と90年代に始めた事業から見える意義 そして教訓を語りつくす (2021年1月20日発行) に掲載】
以前どこかで読んだのだが、世界人口の3分の1はフォークやスプーンで食事をし、3分の1は箸、残り3分の1は手で食べているという。大雑把な数字だが、なんとなく理解できる。箸が3分の1にもなるのは中国の巨大人口があるからだろう。
ここアフリカでは「手」が主流。アラブ圏の影響が強いスーダンも、やはり手で食べる。私も現地スタッフと一緒の食事では手を使う。「素朴」で「原始的」な食べ方に思えるが、そうではない。ひとつの文化だし、それに手で食べるのは思うほど簡単ではないのだ。
【No.323 イラク戦争は共存の社会を壊し憎悪を生み続けている (2016年10月20日発行) に掲載】
娘が3才の頃、2人目を流産してしまった。たまたま、知り合いが子猫の里親を探していたので、寂しさついでに娘と見に行った。白、雌、尾と肉球が黒。娘は大切にしていた「ピンチロ」と名付けたピンクと白の猫のぬいぐるみを差し出し、「交換ね」と言った。遊ぶと体が紅潮し耳がピンクになるので、名前はやはり「ピンチロ」。その後に生まれた2人の息子は、彼女たちの弟として約20年暮らしてきたことになる。
【No.321「紛争経済」が支える避難民の生活を変えるために目指すこと (2016年7月20日発行) に掲載】
とある有名なロックバンドのボーカルが、こんなことを言っていました。「ガキばっかりだまして、 と友達に言われる。でも、俺もガキの頃ロックにだまされたままなんだよね」。私も今年で42歳。昔は、これくらいの歳になったらなにか「高尚な趣味」を持っているのだろう、となんとはなしに思っていました。しかし今の私の趣味は、ボクシング、魚釣り、一番好きな映画は『仁義なき戦い/広島死闘編』、美術館より演芸場、好きな音楽はパンクロック!と、あまり高尚な感じがしません。
まあそんなもんかな、とも思っていたのですが、同年代のカンボジア事業担当のY氏はクラシックをレコードで聴くが大好きで、イラク事業担当のI氏の趣味は美術館めぐりだとか。これは焦ります。
とはいえ、焦ったところで急には変えられません。先日YouTubeで見つけたある無名のアマチュアバンドが、「薄っぺらい世の中でどう生きていいか分からない。もう戦うしかない。僕たちは間違っていない」と歌っていました。なんて薄っぺらい歌でしょう。彼らはきっと負けるし、世間的にみれば間違っているでしょう。それでも私はこの曲を時々聞きます。私も10代の頃からだまされっぱなしなのでしょう。
それでも、ワビサビの入った枯れたロックも聴くようになったし、矢沢の永ちゃんが「演歌ロックと言われようが、ヤザワはヤザワの人生を反映した音楽をやる」と言うことの意味も分かりました。ま、高尚になったのではなく、オッサンくさくなっただけですが。
【No.320 HIV/エイズのスティグマからの解放 (2016年4月20日発行) に掲載】
今年の夏からメダカを飼っています。近所のお蕎麦屋さんの店先から、我が家にやって来ました。最初は6匹でしたが、3匹に減り、そして今は7匹がベランダの小さなメダカ鉢で元気に泳いでいます。
メダカをいただいたお蕎麦屋さんは、家族経営でとてもアットホームなお店で、10年近く通っています。今は2代目がお蕎麦を打っていますが、お父さんの時代は、お寿司屋さんだったそうです。子どもの歳が近いこともあり、家族ぐるみのお付き合いで、ときどき「これ持っていって」とお惣菜などを分けてくれます。ある日、お母さんが、「メダカ、持ってく?」と空き瓶にメダカを入れて、持たせてくれました。蓋の閉まった瓶の中で、メダカが窒息するのではないかと心配で、急いで家に持ち帰りました。そしてその週末、近所の金魚屋さんでメダカ鉢や水草を調達し、正式に我が家の「住魚」になりました。
それ以来、ベランダの鉢に顔を近づけてはメダカを眺めるのが毎日の日課となりました。あるとき、体調3ミリほどのメダカの赤ちゃん数匹を見つけたときは、感動しました。あまりの小ささに見つけるのも一苦労で、ある日見つけられずに「食べられちゃったかな」と思っていると、翌日にひょっこり現れて「おお、生きてたか!」と一喜一憂です。3歳になる息子は、「毎日ママは長いことメダカ鉢をのぞいて何をしてるんだろう...」と思っているはず。このメダカたち、たくさん増えたら、癒やしのおすそ分けをしたいと思います。
【No.319 TPPは日本と海外の市民をどこに導くのか (2016年1月20日発行) に掲載】
JVC に入って、気付いてみたら約10 年になります。2006 年に小学生になったばかりの息子のことをこの『ひとりごと』欄で書きましたが、今回は今年中学1年生になった娘について書きたいと思います。
娘は、私にも妻にもなぜか似ず、とてもまじめで何事にも手を抜かない性格です。中学に入った際、「まじめな先輩が一番多かったから」という理由から娘は吹奏楽部に入りました。そして、本人の希望と選抜試験を経て、トランペットを吹くことになりました。息子はサッカー部でしたが、そちらよりも吹奏楽部のほうが「ザ・体育会系」で、肺活量はじめ体力も使い、練習時間が長く大変です。夏休みも練習が厳しく、「勉強する時間がもてない」と悔しがり、中学生の頃なんてそこそこしか勉強していなかった私を不思議がらせています。
夏くらいになると、発表会も増えてきます。きちんとしたコンクールで吹くこともありますが、それよりも小中学校や地域のイベントに呼ばれて演奏する機会がかなりあります。数回しかまだ見ていませんが、あっという間にジブリ映画の曲をはじめ多くの曲を吹いていました。親バカと言われるでしょうが、素直に「すごいな~」と思いました。「数ヵ月前に始めたばかりなのに、こんなにできるなんて」と。近所の公園や駅前広場でトランペットを吹く娘をみて、私自身(これまでJVC でどれだけのことができてきただろうか...)と自問したところ、「まだまだですね」という答えを聞こえた気がしました。
【No.313 今も続く紛争、その中で何を目指すのか (2014年12月20日発行) に掲載】
パフェ、ケーキ、ジュース、チョコレート、果物、かぼちゃ、さつまいも、 栗...。これらがあれば生きていけるくらい、私は甘いもの好きです。逆に、砂糖なしのお茶やコーヒー、ピーマン、お酒などの苦いものが好きではありません。飲み会ではあっという間にお札が消えてしまいますが、いつも(そのお金があったらケーキバイキングに行けるのにな...)と思います。
以前私がいた某国のケーキやチョコレートのまずかったこと! パンはスカスカで、フレンチトーストにしようと液に浸けたらパンが溶けてしまいました。「日本に帰国したらケーキバイキングだ!」と想いは膨らんでいったのでした。ところが、2年数ヵ月経って日本に帰ってみると、私の胃はすでに甘いものをたくさん食べることを受けつけなくなっていました。結局ケーキバイキングは行かずじまい...。ただ、舌は今も甘くておいしいものを好んでいます。
【No.316 軍事優先の思想への対置として国境を超えた市民協力を (2015年7月20日発行) に掲載】
JVC に入職して、通勤が横浜から1 時間半の「長旅」となりました。オフピーク通勤であることと、関内駅からの乗車で混む前の京浜東北線という絶妙な組み合わせで、ほぼ座って通勤することができますが、ただ座っているわけではありません。席を譲ることを前提に席につかせていただきます。これすなわち「譲り道( ゆずりどう)」。
いつ、誰に、どのタイミング席を譲れるか。これがなかなか難しい。妊婦マークを付けてくれていると助かりますが、「的な人」も結構いらっしゃるので、「ヒールが高いので多分違う」など総合的な判断を求められます。譲りたいけれど遠くて、なんとかこちらの譲る気持ちを目ヂカラで訴えたりもします。見返りはもちろん求めていませんが、「ありがとう。すみませんねぇ」など声をかかられるとやはり嬉しいし、アメやポケットティッシュをもらったことも。
【No.318 アジアにおける外部環境の変化のなかでJVCは何ができるか (2015年10月20日発行) に掲載】
今から30 年以上前、地方から出てきたばかりの貧乏な学生だった頃、たまたま地図を見ていて、当時住んでいた世田谷のアパートの前を通っている水道道路(地下に水道管が通っている)をたどって北東方向にまっすぐ進むと、高円寺をぬけて当時友人の住んでいた中野駅近辺までたどり着けそうではないか、と気づきました。
その距離わずか(?)8kmあまり、1kmを15分で歩けば「2時間あれば友人宅に遊びに行ける」と思い、歩きました。どういう訳かまったく苦痛とは感じず、単純に達成感のみが得られたのです。
このような嗜好は今でもまったく変わりません。数年前には、自宅付近を流れる川沿いに北上して某ショッピングセンターまで歩きました。真夏の炎天下、途中で購入したペットボトルで水分を補給しながら、途中での昼食時間を含め、なんと往復で7時間半! この時の目的は、もちろん「買い物」です。
【No.312 変わりゆく風景と暮らし (2014年10月20日発行) に掲載】