プロサバンナ事業に対し、これまでその事業内容の改善だけではなく、事業策定プロセスへの小農の「意味ある参加と対話」を求めて活動してきたが、3月末、プロサバンナ事業の青写真となる「マスタープラン」の「ドラフト・ゼロ」なるものが突如として公表された。そして翌4月に、この200ページ以上におよぶ文書に対して「小農たちの声を聞く」ために、小農や市民社会が準備時間を取れないほど直前の連絡の後、「公聴会」が実施された。私も急遽現地に飛んで参加したが、そこに小農たちの意味ある参加はなかった。※注①
日本の畑を歩くモザンビークの研究者
6月半ば、プロサバンナ事業の「マスタープラン・ドラフト・ゼロ」に関する公聴会の「やり直し」を求める声明を現地NGOらとともに出した、モザンビークの「農村モニタリング研究所(OMR)」のジョアオン・モスカ教授が緊急来日した。モスカ先生は、同国の農業・農村開発の研究に40年間携わっている。一週間弱の滞在期間に、研究会や議員訪問、NGOとの会合などが詰め込まれているなか、千葉県成田市三里塚を2時間だけ訪問することができた。この短い訪問を、「わんぱっく野菜」を運営される有機農家の石井恒司さんが、ご多忙ななか、快く受け入れてくださった。
農民が残したいものとは
話題は、互いの国の農業や人びとの暮らし、土地に関する法律、成田空港建設反対運動とモザンビークの土地収奪など多岐に及んだ。今回、石井さんは自分の畑を見せてくれながら、自分が農業をやめた後に誰にどんな風に使ってもらいたいか、そのアイディアをモスカ先生に熱く語っておられた。次世代に渡したいのは「土地を所有すること」ではなく、あくまでも「使い続けていく」ことで、石井さんがこれまで慈しんで手入れをして育ててきた「土=畑」なのだという思いが、通訳をしている私にも伝わってきた。
一方、モザンビークをはじめとするアフリカの多くの国、特に農村部では、(状況に多少の差があるものの)農民たちに土地の所有権はないが、慣習的に「利用すること」が認められ、後世に引き継がれていく。※注②人間は、生きている間にその土地=場を使わせてもらうだけの存在で、言ってみれば自然の循環の一部にすぎない。このため、農民にとって「土地を引き継ぐ」とは、「土」をより良い状態で次世代も使えるようにして渡すことで、自分の生産のことだけではなく、その先のために耕し続ける。モザンビーク北部の小農たちは自分たちの周りにあるどの土地にどの作物が合うのかを実によく知っている。土を見て判断するのだという。
今回、車で空港周辺を案内しながら、石井さんが会ってすぐのモスカ先生に「土地紛争と農業、どっちにより関心があるの?」と聞いた時、モスカ先生は即座に「農業」と答えた。このとき私は浅はかにも「あれ?」と思った。いまだ「ドラフト・ゼロ」から大規模な海外農業投資の促進とそれによる土地収奪の可能性が消えていないと懸念している先生は、土地紛争の歴史に関心があると思いこんでいたからだ。けれども、モスカ先生はわかっていたのだ。農民が、何をどんな風に耕し、何を考え、暮らしているのか。「土(畑)」のことを聞かずして、「土地(場)」について語っても意味がないと。農民が生きてきた歴史と未来は、彼らが生涯をかけて手をかけてきた「土」に込められている。
「土」を変えることの重み
プロサバンナ事業には、この姿勢が決定的に欠けている。私も「ドラフト・ゼロ」を読んでみたが、正直そこに暮らす人の顔が一切見えてこなかった。昨年、高橋がJICAとともに調査をした際には、彼らは現場に行ったにもかかわらず畑すら見なかったという※注③。しかし、6月18日に開催したモスカ先生の講演会で、JICAの担当者は「これからも皆さんの声も聞いて、マスタープランに反映していきたい」とはっきりと発言した。もしこの発言が本当であるならば、現地で小農たちが耕す土に触りながら、彼らと語り合ってほしいと心から願う。「ドラフト・ゼロ」が目指すような「いまの農業のあり方を変える支援」は、そこで人びとに脈々と受け継がれてきた「土」を変えることを意味する。その重みを、まずは実感すべきだ。
※注②モザンビークでは、土地法の下で「10年以上その地で耕してきた者」には「その土地を利用する権利」が付与される。