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JVCは1980年2月27日にタイのバンコクで設立され、今年度は45周年にあたります。これを一つの節目として、かつてスタッフとして活躍された方々の中から7人の皆さんにご寄稿をお願いすることになりました。当時の記憶や思い出、そうした経験を経たうえでの現在に至るまでの活動、またはJVCへのメッセージのようなものを、2回にわたってざっくばらんに書いていただきました。さらなる社会の分断や排外主義の深まるいま、OBOGの経験を手掛かりに、次の一歩について、皆さんと共に考えていければと思います(編集部) 

本記事は、2026年1月20日に発行されたJVC会報誌「Trial & Error」No.361に掲載された記事です。会報誌はPDFでも公開されています。こちらより、ぜひご覧ください。 

JVC会報誌「Trial & Error」No.361のPDFはこちら

代表理事 熊岡路矢より

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2026年年明け、米国トランプ政権はベネズエラへ軍事攻撃をしかけ、大統領夫妻をニューヨークに強制連行しました。米国がしばしば他国を非難する「軍事力による体制変更」そのものでしょう。 

 昨年が戦後80年とはいえ、冷戦時代から局地代理戦争の連続でした。戦争が続けば人権・人命は疎かにされ、人々の貧困化と環境破壊は避けられません。 

 今回、文章を書いていただいた7人は、それぞれに異なりますが、アジア・アフリカ各地域で具体的な有機農業の普及や森林など環境改善、また相互扶助の仕組みの普及の活動、平和への活動を地道に行ってきた方々です。それぞれに現在は新しい地域、あるいは日本に戻り、同様の趣旨の活動を続けています。狭い意味でのJVCという枠の中にいなくても、JVCが各時代に創ってきた「場」とそこから生まれた人のつながりを財産として、いまの場所での新しい活動と生活につなげています。 

 今回、それぞれ初めて会った時から10年20年30年が経過し、共に年をとった現実を確認し、相変わらず「ピーノーン=姉妹兄弟」と思える懐かしさも感じました。 

~メッセージ1人目~「エチオピアで見たこと、ベトナムで聞いたこと。」伊藤幸子 

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2つの国で 

もう39年も昔の話。標高2850mのエチオピアのマーシャ村で見えたのは、禿山・牛や羊・草原・丸い家。そこに暮らす人々は、雨季に麦と豆を作り、家畜を飼って暮らしていた。女性は、かめをしょって水辺から水を運び、家の中の石で粉を引き、食事の準備。草でカゴなどを編み、牛糞で燃料を作る。男の子は家畜を外に出し、草を食べさせる。大雨季に雨が降らないだけで、その年の食糧がないことになる。同時に草も枯れあがり、家畜はガリガリになる。家庭訪問していた時に「夫の許可なしで出歩いて夫に殴られないのか」と聞かれた。子どもを産まなければ夫から捨てられるとも聞いた。 

32年前のベトナム。ベトナム戦争が終わり、経済発展の前段階の時期だった。初対面で名前も聞かれないうちに「給料はいくらだ。そのカメラはいくらだったか」と質問された。そして「日本はお金と物があって幸せだ」と言われ、誰もが日本のように「豊かに」なりたいと考えていた。そのたびに私は「日本では年に3万人も自殺する人がいる。それが幸せなのか」と答えていた。 

日本で農業という暮らし

日本に戻り茨城で有機農業を始めたのは23年前。四季がある素晴らしさ、一年中雨が降る豊かさ、草が生える生命力。虫にやられ野生動物に荒らされ、大雨や強風にやられながらも、自然の中で営む農業はこんなもだと。有機農業は、土の中の微生物たちに活躍してもらう。そのために餌として堆肥や緑肥を入れる。微生物のためには頻繁にトラクターで耕さない方がいい。プラスチックを使うことも控えた方がいい。マーシャ村で見たような、すべてが土に還るという人々のくらしは理想的だ。頭と口だけでなく、手も足も使って働く面白さ。鳥の声を聴きながら、心地よい風を体に感じながら働く喜び。 

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移住当初、村の人からは「農業がおもしろいという人を始めてみた」と言われた。その村の人たちからは、不要になった農機具や生活用具などたくさんの物をいただいた。畑も田んぼもただで借りている。いつもお礼は野菜だ。お金のやり取りではない物々交換。助け合うことが普通にある。 

自分の足で立ち、意見を言い、互いに支え合う 

最近の日本では、子どもの自殺が増えているという。人の目を気にしたり、人の意見に惑わされたり、苦しんでいる。外から来た女性の新規就農者にも、村人にいろいろ言われて悩む人がいる。自分の意見を言い、自分の足で立ち、お互い支え合うには、早めに「正しいおばさん」になることだ。おばさんは強い。 

伊藤幸子プロフィール 

2002年4月に茨城県常陸太田市里美地区に移住し、有機農業で野菜・米・お茶を栽培している。関東地域の個人に宅配で届けている。JVCには、1986年1月から89年5月までエチオピア・マーシャ地区農村復興プロジェクト、1993年4月から2001年8月までベトナム・フエ省農村開発プロジェクトに夫と共に農業担当として参加。 

社会は必ずよい方向に変えることができる

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自爆攻撃…128名の方が亡くなったという。文明の交差点、多様な宗教・宗派があるパキスタン、そしてアフガニスタンとの国境に近い都市ペシャワール。しかし、多様性への攻撃、悲惨な事件も起こってきた。この自爆攻撃はペシャワールにあるキリスト教の教会で起こった。 

私は今、JVCでの仲間たちと立ち上げた団体「平和村ユナイテッド」で代表者として活動をしている。パキスタンでは、青少年は過激主義の影響を受けやすいともいわれる状況も踏まえ、青少年が平和を学び合い、自ら平和活動を発案・実施する活動をサポートしている。そうした青少年の活動の一つとして、様々な宗教施設を訪問し、多様性を学び、平和を訴える活動が実施された。上記のキリスト教の教会、破壊や冒涜行為の被害も受けたことがあるというヒンドゥ教の寺院、イスラム教のモスクを訪れた。他宗教・宗派排斥、暴力もある中での決意の行動。教会の神父さんは、自爆攻撃を受けたときに真っ先に駆けつけて助けようとしてくれたのはイスラム教徒だったこと、たくさんのイスラム教徒が献血に協力してくれたことを話してくれたという。 

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アフガニスタンでは、タリバンが実権を握って以降、女性への権利制限が次々となされ、教育では、女性は小学校までしか学べない。その過酷な権利制限下、ひそかに、しかし決意をもって学ぶ女性たちがいる。「地下学校」ともいわれる「学校」があるのだ。当団体はこうした「学校への連帯、サポートを行っている。当局による尋問、査察、拘束、さらには暴力という事態にも及んだが、活動は継続されている。関係者は、毎日の学びは小さな抵抗の行動だと語っている。 

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紛争、暴力、人権侵害、不正義…絶望的とも思われる状況。それを変えようと闘っている人たちがいる。その行動は自身やまわりの人たちに希望と変革をもたらし、また、新たな変革の行動にもつながっている。    

「問題の根本にこだわる」をうたうJVCは、こうした人たちの仲間だ。私自身もJVC在職時には、アフガニスタンの人びとが平和を学び合い、自ら平和活動を発案・実施する活動をサポートすることに携わった。 

社会は必ずよい方向に変えることができる。そこに変革を求めて行動する人がいるから。希望と変革をもたらしているから。 

<自己紹介>

「一般社団法人平和村ユナイテッド」代表理事。紛争に脅かされる命や暮らし…人道支援などの活動だけでなく、そもそも平和をつくる、紛争を止めることを目的とした活動が必要との思いから、活動を展開。複数のNGO勤務を経て、当団体を2019年に設立。現在、アフガニスタンとパキスタンにて活動を実施。JVCでは2012-18年度にアフガニスタンでの活動に従事。 

人間性を教えてくれた場所 

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私が最初にJVCと出会ったのは2017年でした。来日していたイラクのNGOインサーンのアリーさんとサミアさんの通訳を頼まれたのです。この仕事は、当時、悲嘆と絶望に暮れていた私を助けてくれました。私は通訳をしに行っただけだったのですが、とても大切なことに気づかせてくれる結果となりました。それは私の祖国と同じように困難を抱えている人々に対する、日本人の共感です。イラクの人々の声を聞き、それに心から共感して対応する人々の姿を目にしたことで、それは全ての人ではないかもしれませんが、まるで私の痛みが理解され、遠くに感じる先進国の人たちも、私たちを人間として見てくれていることに気づかせてくれたのでした。 

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この日をきっかけに私はボランティアとなり、やがてプロジェクト担当者になりました。私の仕事は人権擁護、地域開発、平和構築でしたが、こうした本などに書かれた言葉をはるかに上回るものをJVCから学ぶことになりました。共感することの大切さ、コミュニティの大切さ、チームワークの大切さを学びました。人々を信じること、彼らがもつ知恵と忍耐力、そして保護と機会さえあれば、誰でも成長できるという力を信じることです。 

イラクとアフガニスタン事業で働き、私は現実に目を見開かされる思いをしました。ピースヤードプロジェクトは、表面上は素晴らしい計画でした。子どもたちが互いの違いを乗り越えて交流し、偏見を捨て、心のなかに平和の種をまくというものでした。しかし、資金の限界が事業のポテンシャルを大きく下げました。3カ月の計画だった事業期間が1カ月に削られ、最後には資金をつぎ込んでもそれに見合う結果が得られず、私は事業の終了を提案せざるを得ませんでした。 

地域開発を通して、私は共感や同情、善意だけでは決して十分ではないことを知りました。地域を力づけるためには、しっかりした調査と計画、それに地域の能力向上が必要です。人々を助けることは単純ではありません。そのためにはよく調整された取り組みと有意な協力関係、いくつもの小さな親切が大切です。 

私がJVCで得たもっとも大切なことは、視点の変化でした。他者の困難に向き合う時は、自分の幸運に感謝するのではなく、自分の幸運を相手と分かち合うこと。弱いコミュニティに出会ったら、そのような境遇を作り出した構造的な不公平に目を向けること。そして何かを行う必要があるなら、誰かがやってくれるのを待つのではなく、自分から行動しなければならないということを学びました。 

JVCが私の中にまいてくれた種が、私の新しい住み家となったパナマで芽を出しています。今、私は図書館で読書サークルを開いたり、周りから疎外されたグループの子どもたちの学習支援をしています。私にとって、JVCは単なる職場ではありませんでした。そこは私が人としてたくさんの学びを得た場所だったのです。 

45周年にあたり、JVCがこれからもよりよい世界を作るため、若い世代を導いていってくれることを願っています。(原文英語) 

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<自己紹介> 

2017年にJVCボランティアとなり、後にスタッフとしてイラクおよびアフガニスタン事業を担当したシリア人。地域社会や平和構築、弱い立場の子どもたちの支援に携わった。現在はパナマに住み、JVCで学んだ価値を、教育支援活動を通して地域社会のために役立てている。 

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