アジア・中東・アフリカで活動する国際協力NGOです。
  • JVC facebook
  • JVC twitter
  • イベントメルマガ配信中
  • 文字サイズ:大きく
  • 文字サイズ:中くらいに
  • 文字サイズ:小さく
JVC English website

【no.291 特集-3】 「こちら、みなみそうま さいがいFMです」

震災支援担当 楢崎 知行
2011年12月16日 更新

孤立する市民のために

福島県南相馬市の災害対策本部で、被災の状況を示す地図をもらった。南北にやや長い長方形の市域の海に面した東側が、赤く塗られている。津波の被災地だ。その後背地がかなり広いことは、住民の10%前後が亡くなった三陸との明らかな違いだが、それでも福島県の太平洋側の多くの市町で、人口の1%前後の死亡者が出た。南相馬市でも、約四十平方キロに壊滅的な被害をこうむり、約六百五十人の死者が出た。

南相馬市の地図南相馬市の地図

また、市域は二本の線によって南北にほぼ三分されている(左図参照)。事故があった東電福島第一原子力発電所から二十キロと三十キロの距離を示す同心の円弧の線だ。南から、人が住むことができない警戒区域、緊急時にすぐ避難のできる人だけが住むことができる緊急時避難準備区域、そして国からは避難の指示が出ていない区域となった。この三つの地域は、偶然にも南相馬市が合併する前の旧小高町(現小高区、約一万三千人)、旧原町市(現原町区、約四万七千人)、旧鹿島町(現鹿島区、一万二千人)にほぼ重なる。

原発事故が深刻化し、政府は避難や屋内退避を指示した。南相馬市は全域の市民に避難を呼びかけ、避難用のバスも出し た。その結果、三月末の時点で約七万人のうち六万人が市外に出たとされている。その結果、市内への物流ルートが途絶え、ガソリン、食料をはじめ、すべての物資が枯渇し、残っていた住民の生命の危機すらささやかれた。桜井勝延さくらいかつのぶ)市長がユーチューブで世界に救援を訴えたことは、よく知られている。

JVC代表の谷山らが最初に南相馬に入ったのは、その直後であった。郵便、新聞、小荷物の宅配は機能しない。様々な情報を市から住民に伝えようにも、防災無線も市の広報紙を配る自治組織のネットワークも失われていた。このままでは、行政サービスから住民が取り残されかねない。谷山らは、情報伝達の手段として「臨時災害FM放送 ※注(1)」の存在を市に示唆した。

数日後、臨時災害FM局を開局したこと、その体制が貧弱であること、また放送してもそれを聞くためのラジオがないことがJVCに伝えられた。携帯ラジオを集めることから、JVCの南相馬への支援は始まった。

JVC が提供したラジオ。支援者の方々の  協力を得て、品不足の中で台数を集めた。JVC が提供したラジオ。支援者の方々の  協力を得て、品不足の中で台数を集めた。

ラジオが千百台集まった五月の初旬、谷山、私を含めた数人が再び南相馬市に入った。私は初めて見る津波被害の惨状、市民の半分以上が避難したままの町のありさま、そしてなによりも、立ち上げたばかりのFM局「みなみそうまさいがいFM」をほとんどDJ(ディスクジョッキー) 二人だけで運営している状況をみて、ここへの駐在を志願した。

※注(1)大規模な災害が発生した際に臨時に設置できる災害関連情報の放送を目的としたFM放送局。一時的な放送免許が発行される。今回の東日本大震災では、岩手・宮城・福島3県で計24件が免許発行された(8/11時点、総務省資料より)。

より良い放送を目指して

私が支援に入った当時のFM局は、一回一時間、一日三回、土日もなく毎日、市など行政から提供される資料をDJ二人がほぼそのまま読んでいるだけという状態だった。こうした資料は、論旨(ろんし)は回りくどく、表現は難しく、多くは冗長でもあった。これを読みやすく、わかりやすい原稿にすることから、私の仕事は始まった。

また、行政から与えられた情報だけではなく、自主取材での原稿を徐々に増やしたり、地元新聞の記事を要約して紹介するコーナーを作るなど、聴取者が楽しめる放送に近付けようとした。そのかたわら、音楽放送用のパソコンの導入など、機器の充実も図った。聴取者参加型のラジオにするためにメールでの投稿を呼びかけ、運営体制の弱さを補強するためには放送でボランティアを募集した。

DJは全員が南相馬市民。地元の言葉で話すことで伝えられることもある。DJは全員が南相馬市民。地元の言葉で話すことで伝えられることもある。

市外に避難している人からは、市内の情報を望む声が数多く市当局に届いていた。しかし、災害FM局の電波は市内にしか届かない。そこで、市外へも放送を届けるためにインターネットを通じてのラジオ放送をサイマルラジオ ※注(2) を通して実現させた。これで、パソコンさえあれば、世界のどこにいても、放送を生で聴くことができるようになった。県外に避難した人に実際に放送を聞いてもらおうと、群馬県の避難所で試みた。

ついで、神戸の「FMわぃわぃ ※注(3)」の協力で、放送の同時録音も可能になった。パソコンや放送に強いボランティア二人のおかげで、その同時録音を使って、午後九時から再放送すること、新設したホームページから過去の放送が聴けるようにする ことも可能になった。その他にも、ホームページには市内の様子を写真入りで紹介した記事やラジオ放送を文字に起こした記 事も掲載して、市外に出ている人への情報提供に努めた。

七月からは、国の緊急雇用事業を活用することでスタッフの数も増強され、FM局の運営も軌道にのってきた。より聞きやすく充実した放送や、地元の人間だけで運営が可能になることを目指して、スタッフのスキルアップや運営体制の改善を図っている。

※注(2) 各地のコミュニティFMや災害FMの放送をインターネットを通じてリアルタイムに配信するサービス。 http://www.simulradio.jp/

※注(3) 阪神淡路大震災をきっかけに生まれた多言語・多文化コミュニティFM。他地域における災害の際にも、ラジオ放送の外国語への翻訳や運営支援などの活動をされている。http://www.tcc117.org/fmyy/

分裂した市民に向き合って

大震災から半年がたち、九月末には緊急時避難準備区域が解除されたが、約三万人が市外に避難したままだ。そして、市内に住む人の表情は暗い。放射能に対する不安、未来に対する不安、賠償額への不安...。

外からは見えにくいが、もっとも厳しいのは、市民が分断されてしまったことだ。最初に述べた三つ(あるいは六つ)の地域の差は、東電の賠償金額や義援金の分配における利害の相反に直結する。避難すべきかどうか、専門家の意見も違うことを、市民一人ひとりが自己責任で判断しなければならない辛さもある。そしてそれは、家族内での亀裂を生む。孫との同居を望み自分で作った野菜を食べさせたい祖父母と、避難や安全を重視する若い親が対立する。仕事を続けたい夫と、子どもと避難したい妻が対立して、別居する。友人知人とも分裂する。懊悩(おうのう)の末に残留や帰還を選んだ母親に、「子どものことなんか、何も考えていないんじゃないの」と心ない言葉が投げつけられる...。こうした状況にあって、FM放送に何ができるのか。

ひとつは心を癒すことだろう。心なごむ内容や、積極的に喜びを得るためのイベント情報をさらに充実させたい。もうひとつは、再生・再興に寄与することだろう。行政にも民間にも、この災害FM放送を「コミュニティFM」に拡充し、市の振興を図ることを望む声がある。放送局を支える市民の輪を広げるために、「FM放送を考える市民の会(仮)」の創設も想定している。

文字通り、狂瀾(きょうらん)既倒(きとう)に廻らす術はない。一歩一歩、前に進む手伝いをしたい。

No.291 生き残った私たち2 (2011年10月20日発行) に掲載】

※後日、掲載年月別一覧を用意します。

団体案内
JVCの取り組み
11ヵ国での活動
イベント/お知らせ
現地ブログ
あなたにできること
その他
特定非営利活動法人 日本国際ボランティアセンター
〒110-8605 東京都台東区上野5-3-4 クリエイティブOne秋葉原ビル6F 【地図】
TEL:03-3834-2388 FAX:03-3835-0519 E-mail:info@ngo-jvc.net