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【no.290 特集-3】 生き続けるという試練をともに

緊急支援担当 下田 寛典
2011年12月 5日 更新

困難の中で立ち上がったボランティアセンター

東日本大震災を受け、三月二十八日、宮城県気仙沼市災害ボランティアセンター(以下災害ボラセン)が立ち上がった。災害ボラセンの母体は気仙沼市社会福祉協議会。そこに近畿地域の社会福祉協議会、シャンティ国際ボランティア会をはじめとするNGOも協力して運営してきた。災害ボラセンの目的は、気仙沼市民が復興に向けた第一歩を踏み出せるよう、ボランティア活動を効果的にそして効率よく展開させることである。

JVCは三月三十日から災害ボラセンの運営支援として入った。私も運営支援にあたるスタッフの一人として、この時から約三ヵ月間、災害ボラセンにお世話になった。振り返ってみると、当初の災害ボラセンの活動は、津波で被災した家屋を清掃するといった水害対応と、避難所をはじめとする被災者に対する生活支援に大別できたと思う。ただ、そうした分類ができないほど初期の災害ボラセンは様々な困難に日々直面していた。水害対応ひとつとっても、作業に必要な道具が足りない、ボランティアを派遣する車両が足りない、外部からの問い合わせに答える電話が足りない、雨露をしのぐためのテントが足りない、なにより運営を支えるマンパワーが足りない、といった「ないない尽くし」の中でのスタートだった。

母体である社会福祉協議会も本部事務所が被災して使用不可能な状態にあり、本体事業の再開に加え、事務所の再建という大きな課題を抱えていた。職員の方たちは声には出さなかったが、そういった状況の上に、さらに災害ボラセンという新たな活動が加わり、職員の方たちは普通では考えられない超業務過多の中にあり、まさにてんてこ舞いだったと思う。

本来、社会福祉協議会は地域福祉の推進を目的として福祉・介護サービス事業や障害者支援などを本業としてきた組織である。災害時のボランティア活動が通常の活動ではない。なによりも、社会福祉協議会の職員その人自身が家屋の流出を被った被災者であった。

見えてこない在宅避難者

漁具の清掃を行なうボランティア。漁具の清掃を行なうボランティア。

こうした中でJVCの役割は、災害ボラセンの円滑な運営を進めるための協力と、もうひとつ、別の役割を意識して入った。それは、見過ごされがちな在宅避難者への対応である。初期の災害ボラセンは、水害対応のためのボランティア活動にかかりきりだった。一ヵ月後に大型連休を控えており、全国から来る大勢のボランティアに対応できる組織力を蓄えることが第一目的だった。一方、発災後最大で百ヵ所を超える避難所において約一万九千人が避難生活を送っていたが、それとほぼ同じ規模の被災者が、被災を免れた知人宅などに身を寄せていた。在宅避難者と呼ばれる人たちである。避難所は特定の場所に多くの人が身を寄せている分、外部からの支援は入りやすい。しかし在宅避難者の場合、一見なんら被害を受けていない家の中で「避難生活」を送っている。活動している中では、元々五人家族の家に親戚・知人合わせて三十二名が身を寄せていた例もあった。

外からは見えづらい在宅避難者が支援から取り残されないよう、実態をつかみながら、彼ら/彼女らの生活ニーズに応えていく。在宅避難者の実態がつかみづらいことによる行政の対応の遅れを見るにつけ、こうした活動の緊急性は高いと感じた。そして、それは地域の人間関係を良く知る社会福祉協議会だからこそ効果的にできる活動だと思った。とは言え、水害対応で手一杯の災害ボラセンにそこまで手を回す余裕はなかった。こちらのアイディアだけで社会福祉協議会に過大な負担を負わせるわけにはいかない、と思った。

どう関わったか

私が気仙沼で活動する中で初期から重視していたことがいくつかある。ひとつは、JVC全体に共通する「住民主体」という姿勢。特に社会福祉協議会の意思決定の主体性を重視してきた。社会福祉協議会はこれからも地元に残っていく団体だ。これから長く続く復興のプロセスを住民とともに歩んでいくことになる。だからこそ、社会福祉協議会が災害ボラセンの活動に対するオーナーシップを持つことが重要だと考えた。

もうひとつは、「仕事を選ばない」という姿勢だ。仕事の選り好みをせず、一番困っているところに入っていくようにした。私自身、ある時は受付の電話番、ある時はデータベースづくり、ある時は避難所調査、ある時はイベント企画、といった具合に、状況変化に応じた役割を担うようにした。外部からの応援スタッフの入れ替えが頻繁に行なわれるため、役割を変えられる柔軟性が一番、役立つと感じたからだ。

そして、「寄り添う」ということ。被災地の状況変化はめまぐるしかった。急激な変化に食いついて対応すべく、試行錯誤を重ねる毎日が続いていた。一日の休みも取れない社会福祉協議会の職員は疲労の色が濃く、悩みも深いように映った。それは私自身も同じだったように思う。私もこの先の展開が明確に描けず不安だった。現地に入ってから一ヵ月経っても、瓦礫は山積みのまま、焼け焦げた船が陸に押し上げられている町の風景は変わらなかった。長引く避難所生活に不満を募らせる住民にも出会った。在宅避難者からは支給されない生活物資を渇望する叫びを聞いた。仕事場が流された、義援金は下りてこない、家の片付けがいつになったら終わるのかわからない――。

緊急期をしのいだ先に多くの人が見たものは、未来を射す光というよりも、先の見えない暗闇のようなものだったと思う。

私自身も「JVCに一体、何ができるのだろう」と自問してきたが、答えはそうすぐには現れない。災害ボラセンのスタッフと共に悩み、打開策を考え、試し、反省し、次に活かす。その時その時を共有し、ともに乗り越える、そうした「寄り添う」という方法でしか、この場には居られない、とさえ思えた。

「生」を共有するために

この三ヵ月間、どんなことをしてきたのかを列挙するのは簡単だ。電話の応対マニュアルや避難所調査のデータベースをつくった。災害ボラセン内の事務作業の環境を整えた。断水地域での給水支援を行なってきた。仮設住宅では自治組織づくりのためにお茶飲みサロンの場を提供した。数えだすときりがない。しかし、それらをもって「これだけやれました」という自負や達成感を伝えたいのではない。「大変な困難を前に人はそれをどう乗り越えるのか」という命題がいま私たちに突きつけらている。

ひとりの女性が涙を溜めながらゆっくりと言葉をしぼりだした。「あの日あの時間、なぜ家に残っていたのだろう。なぜうちは高台に家が建っていたのだろう。眼下に流されていく人たちを前にして、なぜ私だけ生き残ってしまったのだろうって、自分の境遇を恨みました。こんなこと誰にも言えない。言えないと思ったら、苦しくて胸がつかえて救急車に運ばれてしまって。それが情けなくって――」。

最後に「ありがとう」と小さく言って、暖かいインスタントコーヒーを私に淹れてくれた。

ある漁師は言う。「漁師から海を取ったら何も残らないんだ。俺はもうリタイアしたんだけどもう一度やる。それは、自分のためじゃない。俺が続けることで、若い人が必ず戻ってくる。そう信じている。だから、もう少しだけ居てくれよな。うまい秋刀魚食わせるから――」

そう言って彼は船を出した。

鹿折地区の沿岸部では、家屋の9 割が流出したという。鹿折地区の沿岸部では、家屋の9 割が流出したという。

生き残ってしまった苦悩を抱える人たちがいて、一方で、あきらめない志を持つ人たちがいる。この現実をどう受けとめたらいいのだろう。あの日を境に、多くの人が人生の岐路に立つことになった。そして各々が、困難を乗り越えようと模索している。その姿に「生」を見出すこともできるだろう。しかし、試行錯誤の「生」を傍観して評するよりも、「生」の手触りを共有したい、と思うのだ。JVCは七月より災害ボラセンから一歩外に出て、住民の声に耳を傾けJVCにできる協力を注ぎ住民の想いに寄り添い続けていこうとしている。今日も海辺で明日への模索を続ける人がいる。そんな彼ら/彼女らと時間を共にして、災害に負けない新しい「生き方」を探していきたい。

No.290 生き残った私たち (2011年8月20日発行) に掲載】

※後日、掲載年月別一覧を用意します。

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