
JVCアフリカボランティアチーム 青木透、鶴渕 鉄平
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5月15日(火)文京シビックセンターで、JVCアフリカボランティアチーム主催の連続講座「アフリカまるわかり講座2007」の第1回講座を開催いたしました。
「アフリカ紛争 入門 〜『なんとなく』を『知っている』に〜」とのテーマを持つ今年のまるわかり講座。その初回である今回は、アジア経済研究所・アフリカグループ長の武内進一氏をお招きして、アフリカの紛争発生メカニズムと先進国の関わりについて学びました。
以下に当日のお話の内容をご紹介いたします。
アフリカの紛争について考えるということ
アフリカの紛争について考えると言うことは、その地の教育・開発・社会に紛争がどのような影響を及ぼしたのか、考えるということである。そして、それを考えることは、アフリカの紛争と我々の生活とのつながりを知ることに結びついていく。
実際、先進国へのダイヤモンドや木材などの密輸・輸出で得たお金で、紛争に使われる武器が購入されている。先進国の消費者の行動とアフリカの紛争は世界市場を通じて繋がっているのである。また、汚職している政府に対する不満は紛争の呼び水になるので、どのような政権に援助を出すかが、ドナー国つまり、税金を払っている我々に問われているとも言える。
1990年代以降のアフリカの武力紛争
リベリア、コートジボワール、ナイジェリアなど、90年代はいろんなさまざまな地域で局地的紛争が起こっていた。紛争の件数・深刻さの両面において90年代は突出している。
どのような紛争が生じてきたのか?
これらは国内紛争であり、国家間戦争ではなかった。国内紛争というのは、究極的には「誰が国家権力を握るか」をめぐった争いである。
アフリカ紛争の原因については、国境線が勝手に引かれたことにより分散された部族を統一するため、あるいは現在の国境線が不満だからということがしばしば言われている。確かに、60年代はコンゴ内乱やナイジェリアのビアフラ紛争など、確かに独立当初は領土をめぐる紛争があった。しかし、最近はアフリカの紛争においては領土的な要求は出てこないのだ。
アフリカにおいて国内紛争が90年代に頻発したのは、国家の統治のあり方をめぐる問題である。
独立以降〜1980年代までのアフリカにおける国家統治のあり方
1960年代〜1980年代頃は一党制や軍政など、非常に少数のものが国家権力を独占していた。そして、支配者が国の資源・財産を自分の都合のいいように使いながら、子分をポストにつけて国を動かしていた。資源を与えるのがパトロンで、忠誠を返すのがクライアントである。重要なのはこれが連鎖しているということで、あるパトロンは同時にクライアントである。このようなパトロン・クライアント関係による統治のあり方を家産制という。これに類する統治のあり方が独立以降のアフリカでしばしば見られた。その過程で政治の中に民族、部族がとりこまれていき、集団間の反目や衝突が起きた。(なお、実際に甘い汁を吸えたのは、大統領など支配者の出身部族皆ではなく、その中でもごく限られた人間であった。)
なぜ独立後のアフリカでは、専制的な統治が多く見られるようになったのか?
アフリカで国家が作り上げられてきた歴史的経緯を見る必要がある。この際に、重要な要素が3点ある。
1.植民地化の影響・・・アフリカは植民地期の国境が今の国境になっているが、200の部族を持つコンゴ民主共和国のように、もともと小さかった社会が、国境線で区切られた大きな国で独立したとき、権力を手に入れたものが親族、友人、知り合いを権力において、自分の権力を守ろうとするのは当然のことのように思える。
2.脱植民地化の過程における問題点・・・第二次大戦後、植民地を持っていることが許されないという国際世論が高まった。アジアのような激しい独立戦争を経ず達成されたアフリカにおける独立は、いわば「与えられた独立」であり、統治の正当性を欠いていた。
3.国際社会の対応・・・東西冷戦体制の中でアフリカ諸国は独立したが、東側も西側も、自らの陣営に加われば、国内で汚職や人権侵害などがあっても口を出さなかった。冷戦体制があったために、家産制的統治、人権侵害についてはみんな気がついていたが、問題とされることはなかったのである。
しかし、1980年代以降、従来のような統治が困難になってきた。
これには3つのインパクトがあった。
1.経済危機・・・この時期には、どの国も長期的な経済危機に陥っている。長期的経済危機が起こったために、パトロン・クライアント関係において分配する資源が枯渇してきて、クライアントの不満が高まった。
2.経済の自由化・・・IMF、World Bankなど先進国援助側が、経済危機の処方箋として、規制緩和、関税減少、国営企業の民営化など、経済自由化政策を課した。構造調整政策と言われるこれらの政策は、市場原理の導入を意味する。支配者はそれまで国の財産を私物化して取り巻きに分配していたが、その時に一番使われるのが国営企業の資本だった。それを撤廃して規制緩和するということは、支配者が経済に介入して、横領し、子分に配分することができにくくなることを意味した。
3.冷戦終結と政治的自由化・・・1990年代半ばにアフリカ諸国はものすごい勢いで複数政党制へ転換している。これは一言で言うと、先進国の援助政策の変化の影響である。冷戦が終わったことによって、それまでは陣営に取り組むために内政に口を出さなかったが、民主化しなければ援助はしないと言うようになった。
1990年代以降、独立後に広く見られた統治のあり方が破綻する中で社会が不安定化し、紛争が頻発したのである。
ここで重要なのは、従来型の統治体制の形成にも、解体していく過程においても国際社会が深く関与したということである。
アフリカの紛争とエスニシティー(部族)
アフリカの紛争を語るとき、しばしば部族が原因だと言われが、アフリカの部族にはいろいろなケースがあるということに気をつけなければならない。部族の起源は古く、伝統的なものだというイメージあるが、そうとは限らない。トゥチ・フトゥは言葉も宗教も同じで植民地期以前はトゥチ・フトゥの区別は曖昧で、集団がはっきりしてきたのは圧倒的に植民地期の政策によるものであった。
また、ケニアのカレンジンは第二次世界大戦中にエリートである高校生が旗揚げし、意識的に作ったグループと言える。
このように、政治的なきっかけから部族ができ、紛争が起こる。部族が動員される紛争を外から見ると部族対立に見えるのである。
平和構築への課題
2000年以降、紛争は収束傾向にある。90年代終わりごろから、国際社会の介入が積極的になっており、それがある程度効を奏していると言える。
現在、より深刻な問題として認識されているのは、とりあえず紛争は収まったが、これからどのように紛争が起こらない社会を作り出していくかということである。
まず、民主的な統治の体制を一から構築しなければならない。それと同時に、経済復興や内戦で傷ついた人々の国民和解も重要である。一つ確実にいえることは、このようなプロセスで平和を打ち立てていくには必ず時間がかかるということである。国際社会は、アフリカにおいて家産的な国家が生まれるときに深く関与したし、解体にも関与してきた。今後の平和構築のプロセスにおいても、国際社会の関与は不可欠である。
終わりに
お話後の質疑応答は、講座終了ぎりぎりまで多様な質問がなされ、武内氏もそれらに丁寧に答えてくださり、より一層、アフリカの紛争について理解を深めることができました。
複雑だと思われてきたアフリカの紛争の状況やメカニズム、今後の平和構築のあり方について、今回の講義は、その複雑さを解きほぐして理解することができるとても有意義なものでした。
「アフリカまるわかり講座 2007」はこれからあと4回続きます!
今後の報告にもどうぞご期待ください!!(ご好評により受付は終了しております)
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