2015年11月の記事一覧
こんにちは。広報インターンの清水です。
スタッフインタビュー第4回目は、カンボジア事業担当の山崎勝さんです。山崎さんは私(清水)の通う大学で、「国際NGO論」という国際協力のあり方やNGOの活動について学ぶ授業の教鞭をとっていたこともありました。先生に取材できる機会なんて滅多にありません。生徒の一人としてグイグイ探っていこうと思います!
まず、国際協力に携わろうと思ったきっかけは何ですか?
高校生の頃から漠然と海外に行きたいと考え、大学では国際関係を学びました。大学時代はアルバイトでお金を溜めては海外へ行ったり、自転車で国内を旅行しました。もう20年も前の話ですが、初めて行ったパキスタンで体調を崩してしまい、サッカルという中部の街で、たまたまバスで隣に座った方にとてもお世話になりました。自分たちの食べる分を削って、私の食事の世話もしてくれました。その時に初めて、海外に行くのであれば、「自分で食べるものは自分で作りたい」と思うようになりました。これが農業に興味をもったきっかけです。
大学三年生になってはじめた就職活動では、海外で仕事をしたいという思いから船会社に就職したいと思っていたのですが、不景気の影響で採用の枠がほとんどなく、「この際、学生のうちに農業してみるか」と大学を休学して栃木県にある農村指導者養成専門学校のアジア学院へ行くことにしました。小さいころから親が家庭菜園をしたこともあり興味はありましたが、この決断にいたったのは、やはりパキスタンでの経験が大きいですね。
広報担当の大村です。
11月19日に渋谷で行われた七尾旅人さんのワンマンライブ「兵士A」に行ってきました。七尾さんのライブを初めて見たのはもう10年くらい前で、透き通る声と予定時間を一切無視した構成にとても驚いたことを覚えています。それからワンマンは間があいて、2回目。今回のライブで、七尾さんの奥歯は折れて右手は骨折したそう。そりゃ、そうだろうなあ、という渾身のステージ。歌声以外、演者も観客も一言も発することはありませんでした。
こんにちは。パレスチナ事業東京担当の並木です。
連載枠としては続けての投稿、しかも堅い話題になってしまいますが、一人のアラビスト女子として、パリの事件に寄せて思うことを綴りたいと思います。
個人的な話になりますが、私は19歳の頃から12年間、アラビア語と中東を学び、現地の人々と関わり続けてきました。渡航し、暮らしたこともあります。
「中東って危なくないの?」とよくいわれますが、私はこう答えます。
「中東の人たちも私たちと一緒で、日々笑ったり泣いたり怒ったりしているけれど、政治と暴力に翻弄されすぎて、ごくたまに振り切れた人が出るだけだよ。
私たちはどうなの? 日本人に、暴力に走る危ない人はいないの?」
こんにちは。広報インターン渡辺です。スタッフインタビュー3回目は事務局次長の細野純也さんです。
現在東京事務所で、総務や労務になど幅広い業務を担っている細野さん。実は細野さん、NGO職員には珍しい(?)元SE(システムエンジニア)。SEという、いわゆる「技術屋」であった細野さんが、国際協力への道に進むことになったのはどんな理由が隠されているのでしょうか?じっくり聞いていこうと思います。
こんにちは。広報インターンの渡辺です。スタッフインタビュー2回目は、事務局長の長谷部貴俊さんです。NGOの事務局長ってどんな方なのでしょうか。深く探っていこうと思います。
長谷部さんは現在、東京事務所で勤務をしていらっしゃいますが、以前はJVCの事業地の一つであるアフガニスタンで現地代表をしていた時もあるそうです。現在、治安の関係上、日本人が入国するのが困難なアフガニスタンに長年携わっていた長谷部さん。色々なお話が聞けそうです!
国際協力に携わろうと思ったきっかけは何ですか?
正直に言うと、大学入学時には、これといってやりたいことがありませんでした。大学二年生になった頃、先生から教えられて、ひょんなことから在日外国人のボランティアを始めました。東南アジア、イランや南米から出稼ぎに来ている方々に日本語を教えたり、法律アドバイスを行うボランティアでした。その時に接した方々から、本当は自分の生まれた場所で暮らしたいのだけど、経済的な理由などでどうしても出稼ぎをせざるを得ないのだと、苦しい状況を直接聞く経験をしました。
パレスチナ事業担当の並木です。期間限定ゆるブログ記事、記念すべき第一回を担当します。以前、台風による暴雨のため決壊したとある川の流域に、休日を利用してボランティアに行きました。その時の気持ちを、記します。
「もう少し、ゆっくり考えても大丈夫ですよ」
あちこちに乾いた泥がこびりついた家の中で、ある男性が被災者のお母さんに向け、さらっと発したこの言葉。この一言に、隣にいた私はハッとしました。
台風による暴雨のため決壊した、とある川。その泥水が流れ込んだお宅での、災害ボランティア活動中のことです。
このAさん(仮名)という老夫婦のご自宅に私がお伺いしたのは、被災から1ヶ月以上経過していた頃。この日、すでに家の一階部分の床板は剥がされ、乾燥のために石灰が撒かれていました。
泥水に浸かったはずの窓ガラスは綺麗に磨かれ、台所には一つ一つ拭われた食器が丁寧に重ねられています。しかし、壁には私の身長と同じくらいの高さまで、所々黒いカビが生えていました。聞けば、泥水は160cmの高さまで押し寄せたのだそうです。壁の中の断熱材が、すでに水を吸ってしまって久しいのでしょう。
お母さんはこの日、私たちボランティアに「二階の家具やお布団を、すべて一階に降ろして欲しいの」と依頼していました。もうこのお家には夫婦では住めない、子どもたちの家に世話になろう......そう考えての、自宅の整理作業でした。
もしお願いできるなら...この家具は捨てて、この服も捨てて...と、ボランティアに依頼したい作業を遠慮がちに口にするお母さん。その場面で、私たちボランティアを率いるピースボート災害ボランティアセンターのスタッフさんが、彼女に言ったのです。「もう少し、ゆっくり考えても大丈夫ですよ」と。