◎濱まゆみラオス・ノート

濱まゆみさんが、06年10月〜12月、JVCラオスのインターンとしてラオス訪問しました。
首都ヴィエンチャンや活動地のカムアン県の様子、
JVCラオスの現地スタッフ、ナムトゥンダムなどに関して精力的に追う報告してくれました。

●濱さんのプロフィール
農学部4年生、農村・農業に関わる政策的課題や歴史の勉強をしています。
ラオスは初めてで、目下ラオス語の勉強中です。

「先進国」といわれる日本がさまざまな問題を抱えていることは、誰もが認めるところです。
そしてその「先進国」同士が戦争の火をあおり、環境問題の解決を遅らせています。
私たちができることは何でしょうか。
私は人間の命の源である農業に鍵があるのではないかと思いました。
そして「先進国」と離れた立場にある「途上国」といわれる国々との関係に
現代の状況を打開するきっかけがあるのではないかと思っています。
しかしこれはあくまで空想ですので、まずはここラオスで
JVCのみなさんにお世話になりながら現場を経験していきたいと思っています。
またラオスの多様な文化にも多く触れたいです。

趣味は、食事・睡眠・「簡単な」農作業・読書・料理・音楽鑑賞・チェロとピアノの
演奏・銭湯・ジョギング、です!

◎JVCラオスのスタッフ(続編は後半に付け加えています)
(ブンシンさん、クンサンの写真がソフトの不具合でアップできません。お許しください)

家族をビエンチャンにおいて一人暮らし
マニコーンさん
(本名 マニコーン・テプスムバット)

29歳。夫、娘1人、勤務歴2カ月)

−なぜJVCで働くのですか?
「農村地域の開発問題に取り組むのが好きで、村人の生活向上に貢献したいからです。
また農村女性が彼女たちの役割と自己表現を学ぶ手助けもしたいと思っています。
これらの活動を通じて私自身の能力を向上させたいです」

−仕事の内容は?SRI(幼要一本植え農法)に関すること全般と米銀行、
果樹園、堆肥づくりの支援活動を担当しています」

−何haの土地があれば農業をしますか?
「10haあれば農民になりたいです」
−農業では土地以外に何が必要ですか?
「農業と家畜の飼育のためのお金が必要です」
―将来農民にどうなって欲しいですか?
「今の生活の状況、生活スタイルが改善して欲しいと思っています」

−一人暮らしは寂しくないですか?
「寂しいです。ビエンチャンにいる家族とは月に一回会っています」
―一番怖いものは何ですか?
「仕事がなく、家族のために働いてお金を稼げなくなることです」
−日本のJVC関係者にメッセージを。
「(応援してくださって)ありがとうございます」

「スタッフの自主性を認めてくれる」
ビリーさん
(本名 ビンリー・チャイタチョングチアサイ)
28歳。独身。JVC勤務歴 11カ月)

−なぜJVCで働くのですか?
「農村開発に携わりたいからです。
村人が土地と森林の管理の仕方を理解するのを助けたいです」
−仕事を担当は?
「森林チームで、土地森林委譲(LFA)と
 非木材林産物(NTFP)に関する仕事をやっています」

−村での活動で嬉しいことと大変なことは?
「嬉しいことは、村人が私たちの農業と森林の活動に関心をもち、
実行やデータ収集に協力してくれることです。
大変なことは、いくつかの村が洪水の被害にあってしまうこと。
そこでは農業支援を実施することができません。
また乾期に乾燥しすぎても、農業はできません。

JVCで働いて考えが変わりましたか?
JVCで働くようになって、農村発展のためにたくさん仕事をすることで、
村人に私たちの活動を理解してもらい、
それによって将来の彼らの生活に役立てて欲しいと思うようになりました」

―将来村人にどうなってもらいたいですか?
「自分たちの力で土地と森林を管理できるようになってもらいたい、
そしてそれは可能だと思います。
なぜなら彼らがその土地にずっと暮らしてきた人たちであり、
村の自然を守る術をすでに知っているからです」

JVCのどういうところが好きですか?
「気が置けないスタッフと一緒に開発の仕事ができることと、
仕事がスタッフの自主性にまかされていることです」

−あなたにとって一番大切なことは?

「いい仕事に就き、農村の人々の助けになることです」
―日本のJVC関係者の方にメッセージを。
「ラオスの持続的な農村開発のために
JVC
ラオスを支えてくださって、大変感謝しています」


「一番大切なのは家族と健康」
トゥイさん

(本名スックニーダ・ヨングチアロサオトゥキー)
23歳、独身、JVC勤務歴 2年)

−どうしてJVCで働くのですか?
「農村で村人と一緒に働き、いろいろな行事に参加するのが好きだからです。
そこで村人のためになることを多く学びます。
ワークショップや話し合いでも村人から多くのことを学べます」

−働いて嬉しかったこと、大変だったことは?
「一番嬉しかったのは計画した活動を実行に移せたこと、
そしてその活動によって経験を積むことができたことです。

 苦しかったことは問題が生じて活動の実行が難しいと感じたときです。
しかしそれはたいてい活動を始めるときで、活動内容を村人に理解してもらったり、
役所の手続きに長い時間がかかったり、
役人と理解し合うことに力を注がなければならなかったりするときです」

−どんな教育を受けましたか?
3年間、大学で勉強しました。森林学を専攻し、樹木の構造、森林科学、自然環境、
環境問題、 森、土地、水資源、気象などについて勉強しました。
しかし学んだのはすべて理論で、
JVCに入る前まで現場でそれらに接したことはありませんでした」

−村人からアイデアをもらうことはありますか?
「あります。たとえば村人は森から籐が減っていっていることを心配していました。
私はそのことを聞いて、籐の支援をしたらいいのではないか、
と思いました。(注:そして現在籐の家庭菜園の支援を行っています)
私たちが村人の知恵に技術と科学を付け加えることで、
村人が最大の利益を得られると思います」

JVCの支援で、村は変わりましたか?
JVCの支援でいくつかの村のLFAを終了させました。
LFA
終了後、村と村との境界線について心配しなくなり、
保護林を確保できるようになったと言っています。
村人たちは自分たちで規則を使って、森林破壊を減らしています」

−村の自給自足の暮らしに満足できますか?
「もちろんできます。村人と話すのが好きですし、彼らはとても親切です」
−休日は何をしていますか?
「リラックスをして、友達と食事をしたり、
ビエンチャンにいる家族に会いに行ったりします。
ときどき対岸のナコンパノムにも出掛けます」

−あなたにとって一番大事なものは?
「健康と家族です。健康であれば思い通りに働くことができます。
そして家族、両親、親戚は、私が問題にぶつかったときの心の支えです」

−日本のJVC関係者にメッセージを。
「ラオスの村人たちを応援してくださってありがとうございます。
村人が自立できるためにJVCの一員としてこれからも頑張っていきます」


「化学肥料に依存してほしくない」
フムパンさん

(本名 フムパン・セングチャントング)
36歳、奥さん、娘1人息子1人 25カ月)


−どうしてJVCで働くのですか?
「JVCのやり方が好きで、村を発展させ貧困を削減するJVCの活動を助けたいからです」
−JVCで働くことのいい点と難しい点は?
「いい点は英語の能力を上げることができ、専門知識を増やせ、楽しく仕事ができることです。
難しい点は(プロジェクト地がカムアンなので)家族や親戚になかなか会えないことです」

−農業を自分でやったことはありますか?
「はい。稲を育てたり、果樹を育てたり、家庭菜園の手入れをいたり、
鶏を育てたり、いろいろしていました」

−どのくらい土地があれば農業を?
「1haあれば十分です。農業は好きな仕事なので、農民になりたいです」
−農業には土地以外に必要なものは?
「まず水や気象、種、季節などのことをいろいろ調べなければならないと思います」
−将来、村人にどうなって欲しいですか?
「将来一部の農民は化学肥料を使うようになると思います。
なぜなら、いくつかの企業がすでにそれらの商品を売り込みに来ていて、
農民はその薬品が自分たちの農業にどのような影響をもたらすかはっきり理解していないからです。
私は村人がそのように化学肥料に依存することがないように願っています。
そのためにこれから堆肥づくりをして、
化学肥料とどちらが収量が多くなるか比較をしていくつもりです」

−今まで一番嬉しかったことは?
「農村開発を通じて、時には農村に泊まることで村の状況を知り、
発展のためにお互い協力し合えたことです」

−休日は何をしていますか?
「家で家族と過ごしながら、家庭菜園で作業をしたり、
一緒にご飯をたべたり、子供に新しいことを教えたり、外にでかけたりしています」

−日本のJVC関係者にメッセージを。
「ラオス人の一人として、日本の皆さんにお礼を言いたいと思います。
日本から多くの資金を長い間ラオスに送ってもらっているからです」




「エクサレントな開発ワーカーに」
ブンシンさん

(本名 ブンシン・サナホング)
38歳、妻、息子3人、勤務歴 10年以上)



−なぜ、JVCで働くのですか?
「農業に関心があり、JVCの目標に共感しているからです」
JVCの活動で変わった村はありますか?
「私は村はそこまで変わっていないと思います。
でも変わりつつあります。たとえば米銀行のように、
いくつかの村では自分たちのアイデアで活動を行える可能性のある村もあります」

−村人からアイデアをもらうことはありますか?
「あまりありません。なぜなら村人はJVCの話を聞くことの方が多いからです」
−何haあれば農業をしようと思いますか?
「2haです。1haは家畜用、もう1haは田んぼと養殖池用に使います」
−そのとき土地以外に何が必要だと思いますか?
「水や川だと思います。魚を育てるためにも必要です」
−将来村人にどうなってもらいたいですか?
「もっと農業に興味をもってほしいと思います。
そして各世帯が小さな家庭菜園を持ち、
村でたくさんの種類の野菜や果実を育てて欲しいです」

−夢はなんですか?
「‘good’な開発ワーカーから‘excellent’な開発ワーカーになれるように、腕を上げたい」
−あなたにとって一番大事なことは?
「事務所や村で働くことが一番重要なことです」
−日本のJVC関係者にメッセージを.
「ラオスの村人への暖かい支援に心からお礼を申し上げます。
そしてあなたと日本の花「さくら」に新年明けましておめでとうございます、と申し上げます」



「月に2回、家族のいるピョンヤンへ」
クンさん

(本名 クンタノング・ヴァンタヌヴォング)
32歳、妻、息子3人、勤務歴 1年)



−どうしてJVCで働くのですか?
「NGOでの経験を積みたいのと、発展の課題、
とくに自分の国のラオスの課題に取り組むのが好きだからです」

−どのような教育を受けましたか?
5年間英語の勉強をしました」
−JVCでの仕事は?
「会計の仕事です。役所の手続きや事務所や村で使う資材の購入、
ラオス語の資料の英語への翻訳、会計の処理…・などを行っています」

−将来村人にどうなってほしいですか?
「JVCがプロジェクトを終了した後でも、JVCから学んだことを生かして
自分たちで生活を改善していってほしいと思います」

−一人暮らしは寂しくないですか?
「大丈夫です。月に2回ビエンチャンにいる家族に会いに行っていますので」
−雪と海は見たことがありますか?
「ありません。しかしテレビで毎日見ることができます」
−ピーを信じていますか?
「いいえ、仏教を信じています」
−日本のJVC関係者にメッセージを
「ラオスの人たちは、ラオスの発展を助け、
貧困をなくそうとしている日本のNGOの活動に感謝しています。
いつでもラオスに遊びにいらしてください」



「家族の近くで働けるのがいい」
ランさん
(本名 カムラン・カンタペングサイ)
34歳、妻、息子1人 JVC勤務歴 4年)



−普段JVCでどんな仕事を?

「ドライバーです」
−JVCで働くことのいいところと、大変なところは?
「いいところは家の近くで、家族と暮らせることです。
大変なことは言葉(日本語、英語)が理解できないことです」

−日本人のいいところと変なところは?
「いいところはラオス人といい関係をもとうとするところです。
変なところはラオスの料理をあまり食べることが出来ないことです」

―一番怖いものはなんですか?
「健康でなくなることです」
−休日は何をしていますか?
「家にいて、家族と一緒に庭仕事をしています」
−何の料理が好きですか?
「ラオス料理ならすべて好きです」
−あなたにとって一番大切なものは?
「自分自身の生活と、私の身近にいるすべての人です」
−雪と海は見たことがありますか?
「テレビでしか見たことがありません」
−ピーを信じますか?
「仏教を信じています」
−日本のJVC関係者にメッセージを。
「ありがとうございます」




「ドライバーの仕事ができて嬉しい」
ルンペンさん

(本名 カムペング・コトスヴァン)

58歳、 妻、娘2人。息子2人、勤務歴 5年)

−JVCでは何の仕事を?
「ドライバーです」
−JVCで働くいいところと大変なとことはなんですか?
「いいところは、私の家から近いこと。
おかげで家族と一緒に暮らせます。
大変なことは雨季にも村まで運転しなければならないことです」

−日本人のいいところと変なことは?
「日本人はラオスの農村へ行き農民の生活を知りたがります。
また農村開発を行うことに興味があり、
ラオスと日本の経験交流を行うことによって村人を助けようとします。
これらが日本人のいいところであり、変なところだと思います」

−休日は何をしていますか?
「家にいて家事を手伝います」
−ピーを信じていますか?
「いいえ、私は仏教を信じています」
−何の料理が好きですか?
「ラオス料理が好きです」
−あなたにとって一番大事なものは?
「仕事と家族です」
−雪と海を見たことがありますか?
「ありません。テレビでだけ見たことがあります」
−今までで一番嬉しかったことは?
「ドライバーの仕事が出来ていることです」

−日本のJVC関係者にメッセージを。
「ラオスのひとたちを助けてくださってありがとうございます。
すべての日本人のみなさんの幸せと健康をお祈りしています」





◎ナムトゥンダム・ノート
ご存じの方も多いと思いますが、
現在カムアン県とボリカムサイ県にまたがった地域に
「ナムトゥン2ダム(以下NT2)」というラオス史上最大のダムが建設されています。
私は12月、ダムの視察に同行させていただきました。
NT2は発電能力1070MW(メガワット)、総事業費約13億ドル、
フランス・ラオス・タイが共同出資し、世界銀行とアジア開発銀行が援助しているプロジェクトです。
完成後は発電量の95%をタイに輸出して外貨を獲得、貧困削減に結びつける、
というシナリオを建設主体側は提示しています。

ダム建設によって6200人が移住(すでに一部の村では始まっています)、
ダム水の放水先となるセバンファイ川周辺住民の少なくとも13万人が、
なんらかの生活影響を受けると言われています。
また建設予定地は東南アジアでも、豊かな自然が残る地域でもあり、
生態系への影響も危惧されています。
以下、日程に沿ってみなさんにご報告したいと思います。

2006年12月20日(1日目)8:00

前日ビエンチャンからタケークに移動してきた視察団の方々と、
ピーが出るという噂のメコンホテルで合流。
NT2のためにつくられた会社「NTPC(NamTheunPowerCompany )」のタケーク事務所に、
移転推進部の担当者の話を聞きに行く。
担当者はシビサイさんと言う役人で(つまりNTPCは政府と企業が共同で運営しています)、
英語が非常に達者、話術も巧みであったと思う。(写真上・左 中央)
パワーポイントで基本的な情報を一通り説明し、質疑応答を経て、
最後に「私が言ってもみなさんは信じないでしょうから、今日これから村人に会って、
彼らが(補償に対して)満足しているかどうか直接聞いてください。」とのこと。

一行はバスで一路マハサイ郡の貯水排水口の工事現場へ。(写真上・中)
ここから出た水が人工の川(写真上・右)を経てmそのままセバンファイ川に流される。
その水量は約350トン/秒と見積もられている。

次に、その増水の影響を受けるセバンファイ川沿い村の一つ、パナング村へ。
セバンファイ川は桃源郷と名付けたくなるような神秘的な美しさがあった。(写真下・左)

水上ボートで一路村へ。
大量の外国人(それも観光客とは少し違う)がボートに乗り込む光景は、やや異様であった。

パナング村では村人が用意してくれたバーシーと食事で交流。楽器演奏もしてくれた。(写真下・右)
その後、インタビュー開始。

話してくれた村人は
「心配していない。何か(洪水など)があったら、政府が助けてくれると思う。
そもそも洪水は毎年起きているので(そのとき私たちがいたところも、雨期には3m浸水するそう)、
ダム完成後洪水になれば高台に避難するだけのこと」
と話していた。

夕方村人にお礼を言って別れ、ナカイの町に移動、夕食を終えて、22:00頃ゲストハウスに到着、就寝となった。
(そのゲストハウスはかつて山岳公社が所有していた建物でした。壁についた大きな
シミが「曰わく付き」の証のような気がしました)

2006年12月21日(2日目)7:00

今の季節はタケークも寒いが、ここナカイでは一層冷え込む。

最初に移転パイロット村(試験的にすでに移転が完了している村)のノンブア村に行く。
ノンブア村は56世帯、264人が暮らしている。
2003年11月25日に移転し、現在はかつて行っていた焼き畑をやめ、
村内に学校(小学校と幼稚園)、病院、菜園、道路、井戸が整備され、電気が通っている。
菜園では商品作物のバナナ、キャベツ、ブロッコリーなどが育てられていた。
村長のナイカムさんは「以前の村は病院も学校もなく貧しかった。今は幸せです」と言っていた。(写真上・下)

たしかに支援された住居の造りはしっかりしており(写真上・中)、
村人の身なりも綺麗であった様子を見ると、本当に「幸せ」と感じているようにも思われた。
しかし、他村の人々からノンブアのようにはなりたくない、という声も出ているとかで、
そのことをノンブア村の村人自身も感じている可能性も大いにあると感じた。

村人にとって「開発」とはなんであろうか?
それは「市民」という概念の存在を知っている私たちとは違い、
ラオスの村人にとっては抗えないもの、
いや、抗うということさえ知らずに、ただ時代の運命として受け入れるべきもの、
それが彼らにとっての「開発」ではないだろうか。
そこには期待と不安が入り混じっているように見える。
それゆえ、たとえ生活が苦しくなろうとも、
役人の言われたとおり「幸せです、心配ないです」と訪問者に言うのも不思議はない、と思った。
すでにある国際NGOの調査では、水牛を移転先で養うことができないと訴える
村人のことも紹介されており、私の上記の考え方は一概には言えないことであろう。

14:00

次にやはり移転を完了したソップペン村を訪れる。
59世帯、285名が暮らすこの村は、村の中に木がまったくなく日差しが暑く、
切り開いたばかりということが感じられた。
この村は食料をNTPCから配達されており、契約通りであれば、
大人で一月あたり米を18kg、一週間に魚と肉(何肉か確認し忘れました)を200gずつ供給されている
とのことであった。商品農業、植林、養殖が将来の生計手段になるだろう、
と村長のクアムさんは言っていた(写真上右,左は女性同盟のリーダーのニョンさん)。

続いてすぐ近くのタラング村に行く。
この村は今年末までに移転予定の村で、すぐ横にナムトゥン川が流れている。
ダム完成後は水量が上がることが予測され、
そのためすでにNTPCが新しい橋を完成させている(写真下左,左の方の高い所にある橋です。
橋の足2本だけ写っているのが見えますでしょうか??
手前の橋は現在村人が普段使っている橋です。この橋は増水後沈んでしまうのだそうです)。

タラング村の長老のカンピラさん(写真下右・中央)は「インフラが整備され、電気が通り、
新しい仕事を得られること楽しみにしています。川の増水で魚が捕れなくなるか
もしれない(注:川の水質が変わる可能性があるため)ということは、専門家からすでに聞いているが、
電気が来ることの方が重要なので、移転に同意しました」と話してくれた。

インタビューを終了し、暮れなずむナカイ郡一体の工事現場を眺めながら、
私たちはカムアンを後にしました。


◎タケーク・ノートH-2(2006.12.25)

後半はお世話になったラオスの人たちをご紹介します。
ラオス人は基本的に明るく、冗談好き、そしてちょっとテキトーです。
また身だしなみを整え、礼儀正しい人も多いです。

左上は、コークサワン村の子供たちです。
米を収穫した後、このように臼でついて脱穀をします。
小さい女の子が一生懸命仕事をしています。
そんな普通の風景を写真に撮ろうとする私に、周りの子はニヤニヤです。

その右は、ナタンドン村のブンソン兄です。
副村長さんの一人で、以前はJICAのプロジェクトで
村人の健康状態を見て回るヘルスボランティアの仕事もしていました。
ブンソン兄は通訳を介しての私の非常に迷惑なインタビューに協力してくださった方で、
お別れのバーシーの際、私のラオスのお兄さんになってくれました。

左下は、ポントン村の男の子たちです。
JVCの活動の目的のひとつに、
村の若者に土地森林の管理の重要性を理解してもらうということがあるのですが、
この日は村の若者全員に村の大人の人にインタビューしてもらい、
この写真を撮ったときは、そのまとめをしてもらっていました。
2人で一生懸命相談しながら頑張っていたのですが、
この後すべて書き直ししなければならないことになります…。

最後は、いつも買いに行くサンドイッチ屋のお母さんです。
初めて買いに行った時は、ちょっとおっかなびっくりだったのですが、
今は笑ってくれるようになりました。
いつも待たなくてはいけない人気のお店です。

以上です!
今までの3ヶ月間、本当にありがとうございました。
準備もままならず飛び込んでしまったラオスで、
たくさんの方にご迷惑をおかけしましたが、
NGOの仕事のみならず、さまざまなことを教えていただきました。
変わってほしくない風景と、変わらざるを得ない人々の暮らし。
それはラオスだけでなく世界中の場所で言えることだろうと思います。
私はラオスの人たちに心の豊かさを決して失って欲しくない、と思いました。

それではまた日本でお会いできることを楽しみにしています!^^

◎タケーク・ノートG-1(2006.12.25)

みなさんお元気でお過ごしですか?
こちらも「冬本番」、裸足では寒い季節になりました
(が、相変わらず今日もサンダルを履いています)。
日本はいかかでしょうか?
さて今回が最後のご報告となります。
今まで読んでくださり、時にはご感想を寄せてくださったりなど本当にありがとうございました。
このラオスノートはみなさんにラオスおよびJVCの活動を身近に感じていただくことが1番の目標でしたが
私個人にとっても1週間を整理する大事な日課で、
「よし、今度は今日のことを取り上げよう」などと考えながら、毎日を過ごしていました。
それでは今日は最終回スペシャルということで、2回分お届けいたしたいと思います。

前編は先日23日「ナムグム・ダム」に訪れたときのことをご紹介します。
左上はナムグムダム放水側の全景です。
ナムグムダムは1971年、約$7000万(うち日本3割)の資金協力で完成しました。
これによって出来たダム湖「ナムグム湖」は琵琶湖半分以上の大きさで、
ビエンチャンから日帰りで訪れることのできる数少ない観光地にもなっています。

その右は、湖のボートの船頭のポーンさん(40歳)です。
ポーンさんはダム建設によって居住地を移転させられた村人の一人です。
1969年、住んでいたナークア村に役人が来て、「移転してください」と通達。
しかし村人はそもそもダムというものが何なのか分からず、
また、どうして水が溢れてくるのか理解できなかったのでそのまま村に住み続けたそうです。
しかし村が水に浸かるようになり、あわてて引っ越しをすることになりました。
そして何の準備もしていなかったので水牛はすべて置いてきたそうです。
そして今はセンサワン村という村に住み、
乾期の今の季節は観光客が多いので船頭の仕事をし、
それ以外は魚を捕ったりして生計を立てています。

ここでのキーはまず水牛だと思います。
水牛はラオスの村人にとって銀行の預金のように重要なものです。
なぜなら、普段は水田耕作などの労働力として使われてますが、
米が不足するようになった時や急な出費(冠婚葬祭、病気など)など
緊急時に村人は水牛を売って現金を得ることで急場をしのぐからです。
この水牛を村ごと失ってしまったというのは、大きな痛手です。
また現在の生計手段について。
漁獲量はダムが出来る前に比べると約3割減り、今も徐々に減っているそうです。

そういう話をしてくれながら、
遠くに見える別の遊覧ボートを指して、あれが自分の息子でまだ独身、170センチ身長があるんだよ、
と息子を売り込む、優しいお父さんでした。

人工湖とは思えない広さと美しい景観です(左下)。
以前は山の頂上であったであろう小島と、その手前で魚釣りをしているおじさんです。

右下はナムグムダムから帰ってきたあとホテルの前で撮った集合写真です。
私の後ろのHさんはこれからNGOのお仕事で3年間ラオスに滞在されます。
そして他の4人の方々は今回メコンの開発に関するワークショップのために来られました。
ラオスの方だけでなく、ラオスに関わっておられる日本の方とお話できたことも
今回の滞在で大変貴重なことでした。
写真の構図がちょっとおかしいのがご愛敬、です^^
ホテルのドアマンの男性が一生懸命撮ってくれました。


◎タケーク・ノートF(2006.12.18)

お元気でお過ごしですか?
こちらも朝夕めっきり冷え込むようになり「冬」を感じています。
基本的にラオスは「雨季」「乾季」の2つに分けられていますが、
鱗(うろこ)雲が出たり、オリオン座が出ていたり…。
そういう空を見るとラオスにも四季(もしかしたら四つ以上?)があるのだなあ、
と感じています。

今日は「時代の流れ」と題してご報告したいと思います^^

ラオスは一人当たりGDPが491ドル(2005年現在)、
という世界でも貧しい国の一つです。
(ちなみに日本は31,277ドルです=2002年現在)
そのことはインフラの不備、人々の身なりなどで感じることができますが、
一方で現在の世界経済が切り捨てた「豊かさ」が息づいていることも強く感じます。
例えば道ばたでの何気ない会話、絵画のように美しい景色…などです。
私はその意味での「最富国」のラオスに出会えてよかったと、しみじみ感じています。

では「そのラオスと世界との関係を表している」と思った風景です。

左は、私が今住んでいるカムアン県の南隣、ナコンパノム県の県都ナコンパノムと、
メコン川対岸のタイの町ムクダハンを結ぶ「第2メコン国境橋」です。
日本がタイとラオスそれぞれに約40億円(円借款)を援助し建設され、
今年12月20日(もうすぐですね!)開通します。
インドシナ半島の経済活性化を目的とした東西回廊(ベトナムからミャンマーまで)計画が
また一歩前進することになります。
この写真をとった後、新築の入出国管理事務所に行き、
立ち入り禁止区域の中を散歩してきました。
(サングラスとひげの怪しい見張りのおっちゃんが「いいよ、いいよ」と入れてくれました)
そのなかでISAP(日本の医療NGO)の久美子さんは、車の運転練習をしました。
それほど舗装され、広びろとしていました。

次はJVCの対象村のひとつラオ村の近くにあるコンクリート工場です(左)。
ラオスと中国企業の合併会社によって運営されています。
ラオ村の男性は「ときおり仕事が工場から斡旋されるが、岩の運び出しなど非常な重労働なので、
できればあまりやりたくない」と話していました。
そのミーティングのとき、隣の女性が分けてくれた
マッカムという実の甘酸っぱさが印象に残っています。

3枚目は、テレビの衛星放送用のアンテナです。
これはいつも村に行くときに寄る食堂の前で撮ったもので、
食堂のテレビでお客さんがタイの番組を見ています。
このアンテナは村の中でも見ることができます。
ラオスにも一応放送局はあるのですが、政府の宣伝用なので人気はなく、
人々はもっぱら同じ言語族であるタイ語の番組を見て楽しんでいます。
内容は日本とそっくりです、ドラマ、ニュース、コメディー、歌…。
ところでこの写真の後ろにいる女の子、よく見えますでしょうか?
土遊びをしているのですが、おしりが出ていてとっても可愛いです。

時代の流れ、ラオスの流れ…。
その先がどうなっていくのか私にはまだ分かりませんが、
「農業」と「暮らし」をテーマにこれからもラオスに関わり続けることができたらいいな、と思っています。

それでは今回は以上です!
2週間後には日本にいるのが信じられませんが、
毎日を大切に過ごしていきたいと思います^^
どうそお元気で!


◎タケーク・ノートE(2006.12.11)

こんにちは。お元気でお過ごしですか?
もう日本はクリスマス一色でしょうか?
こちらではクリスチャンの方以外クリスマスを祝うことはなく、
スタッフのブンシンが「クリスマスは2月14日だっけ?」と言っていたくらい馴染みがありません。
でも外国人が泊まるゲストハウスにはツリーが飾ってありました。

さて、今回はラオス最大の娯楽施設である市場(タラート)をご紹介したいと思います。
タラートは大きい街には必ずいくつか(ここタケークには3つあります)、国道沿いにもあったりします。
野菜、肉、卵、乾麺、総菜、菓子、くだもの、日用品などなど、
日々欠かせないものはもちろん、大きなタラートでは建物の中に、
服(シンの専門店も)、時計、携帯電話、電化製品、金を売る「金行」などが入っています。

今回はその中でも少し変わっているタラートを3つご紹介したいと思います。
まず、先月ビエンチャンで撮影した、事務所近くの市場です(上・左)。
タラートとは言えないのかもしれないのですが、
占いのお店と伝統薬を売るお店が道路沿いに並んでいます。
「占い」と「薬」がかたまっているところがおもしろいなあと思いました。

薬といえば、村のある程度年齢が上の女性たちは、
よく赤い実と木の皮を一緒に噛んで歯磨きをしています。
他に白いクリーム(申し訳ありません、これが何なのかまだ聞いていません)を葉に
つけて、木の皮を噛みながら歯にこすりつける人もいます。
初めてこの赤い実を噛んでいる人を見たとき、
口から「血」が出ているのかと思いびっくりしたのですが、
ときどきその血を吐きながら、ニコニコおしゃべりしているので、
甘いガムみたいなものかな?と思い直したのですが…。
それでも何か違うと、最後にスタッフに尋ねてやっと分かりました。
若い人は歯ブラシと歯磨き粉で歯を磨いている子が多いように思います。
これも時代の流れだな、と思います。

上・右は国道12号線(タケークから東、ベトナムに向かう)沿い、
活動対象村に行く途中にある市場です。
岩山の絶壁の向かいで、たにし、籐(とう)の苗、ネズミ、アりの卵などを売っていました。
ネズミは高級で一匹50,000kip(520円)だそうです。
アリの卵は私はまだ食べたことがないのですが、
美味しくてお酒のつまみにいい、と日本人が書いた本にありました。
これは木に巣を作るアリで、棒でつつき、巣ごとゴソっと捕るのだそうです。
私がおばちゃんにタニシのラオス語の発音を教えてもらっている横で
(「フー(語尾上がり)」といいます)、
トラックのお兄ちゃんが山盛り買っていっていました。

下の3枚は、国道13号線、タケークから南、サワンナケートに行く途中にある市場です。
インドシナ戦争で有名になったモン族の女性たちも売りに来ている、と聞きました。
しかし民族衣装を着ているわけでもなく、私はよく分かりませんでした。
この市場ではバナナが大量に売られています。
普段は、近くの市場で一房(日本の2倍ほどです)3000kip(37円)で買っているのですが、
ここでは2房5000kipが普通で、そして今日買ったお店は1房1000kipでした。
他にカエルやナマズも売られています。
カエルは怖くてまだ食べたいという気持ちにならずにいます。
ナマズは自分で料理できないものの、一匹そのまま揚げられた料理は大変美味しいです。


私は美味しいものが並び、おばちゃんとおしゃべりできる市場が大好きです。
いつまでも人間くさい市場が残って欲しいと思うと同時に、
最近では農薬を使う人も増えている可能性があり
(野菜が以前と比べて、大きく綺麗になったそうです)、
輸入品の流入と併せて、これからどのように市場の様子が変わっていくのか
(または変わらないか)興味があります。

それでは今回は以上です!
どうぞお元気で^^


◎タケーク・ノートD(2006.12.4)

こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?
最近はバナナを衣でつつんで揚げた、バナナ版かき揚げのようなお菓子にはまっています。
中で溶けたバナナが濃厚な甘みがあって大変美味です。
今日はたまたま会ったラオス人の女性が私の袋を見て「ラーイ・ノ(たくさんねぇ)」とやや怪訝な顔をしていました。

さて、今回は村の様子をご紹介したいと思います。
11/28から12/1まで森林チーム(JVCには、もうひとつに農業チームがあります)の村泊まりに一緒に連れていってもらいました。
JVCは村人と共同で、森および土地を慣習的利用方法に基づいて区分し、
村人に土地所有の権利と管理を意識してもらおうという「土地森林委譲」を行っています。
今回は以前に委譲が行われた村で、忘れられそうな内容の再確認をしました。
「土地の管理とはそもそも何?」「そうしないと何が問題なの?」
対象村のうち2つの村のナボー村とポントン・ポンサン村に行ってきました。
ラオスの農村には、徐々に企業(コンクリート、製材会社など)が進出し、
役人の汚職で森林が村人の同意なしで伐採される事態が起きています。
さて、今回はラオスの村の暮らしそのものをご紹介したいと思います。

左の写真、この装置は一体なんだと思いますか?(ナボ村で)
ちなみに座っている女性はJVC3年目のスタッフ、23歳のトゥイちゃんです。
森林保全活動は彼女が中心になって進めています。)
これはラオスの蒸留酒「ラオ・ラオ」を作っているところです。
収穫の今の季節に作られ、お祭りや宴会などで振る舞われます。
非常にアルコール度が高く、以前バーシーの時に頂いたのですが舌の上で蒸発する感じです。
ところでラオスではお酒を飲んで赤くなるのはO型だと言われているそうで、
顔がすぐ赤くなる私を見た農林局の女性は「まゆみはAB型なの?そんなはずない、
ちゃんと測った?」と、これまた怪訝顔でした。

綿の種取りをやらせてもらいました(中、ナボー村で)。
これは日本でも見たことのある仕組みで、2本の棒をくるくるまわしながら綿を挟み込み種を取り出します。
そしてこの後、糸を紡ぎその糸で布を織って布団や手ぬぐいを作ります。
こちらに来て、布というものは大変美しいものだと思うようになりました。
そしてたとえ高級なものでなくても、自分好みの布をまとったラオス女性はとても素敵です。
以前訪れた他の村で100歳を超えた村長さんのお母さんにお会いしたのですが、
彼女はピアスをし、おしゃれな布のスカートをはき、髪の毛を小さな布でまとめあげ、
静かに綿の種とりをしていました。
質素な生活を彩る布は人間そのものの美しさを上手に表現してくれる道具のような気がします。

右の写真は、ラオスの標準的な家屋です。(ボンサン村で)
高床式で、手前が客間兼居間です。そして壁を隔てて奥に寝室があります。
そして右に見える母家とつながったミニミニのお家が台所兼洗面所です。
台所には薪をのせて火を起こす台があり、食器や昨日の残り物もこの部屋にしまっておきます。
印象に残ったのは、家で出たゴミを床から落とすことです。
例えば台所で料理を作っている途中に出た生ゴミは、下に落とせば豚か鶏か犬が食べてくれます。
そしてこの動物たちはいずれ人間の食卓にのってくれます(犬以外)。
これは非常に効率的でまっとうなサイクルだと思います。
ただ最近はプラスチックごみや紙ごみも出るようになっており、
これらも同じように地面に落とすことになってしまっているので、
ゴミ問題というものを既にラオスの田舎でも考えざるをえない状況になっています。

ラオスに来てから「人間の暮らしとは一体なんだろう」と、考えさせられることがしばしばあります。
人間が生きる上で大事なことは何だったのかを思い出していく感覚です。
その答えは相互扶助と自然の理不尽を受け入れるおおらかさにあるのではないか
と、私は思うようになりました。


◎タケーク・ノートC(2006.11.25)

お元気でお過ごしですか?
日本は雪の降っている地域もあるそうですが、
こちらはまだまだ(というかずっと?)日差しの強い毎日です。
でも深夜から朝方は涼しく快適です。

今回はJVCが計画している養蜂プロジェクトの準備の様子をご紹介したいと思います。

ラオスでも山に蜂がおり蜂蜜がとれるのですが、
自分で飼って蜜を採取している人は、ほとんどいません。
そこで農村支援の一環として養蜂もいいのでは?となり、
先週の月曜日から養蜂トレーニングが始まりました。

11月21日
事務所の裏で、真ん中に座っている養蜂家のアヤコさん(ラオスの方です)の説明を聞いています(左)。
参加者は実施候補地のノンプー村の人2人、農林局職員、そしてJVCスタッフです。
アヤコさんが持っているのが巣箱の中に入れる巣の土台で、この日はこれをみんなで作ってみました。

11月25日
ボラパー村に蜂が蜜を作るのに必要な、花粉をつける木があるか、確認のために森林調査に行きました。
アヤコさんの説明をみなさんが書き取っています。(中)

同日
アヤコさんの説明を聞いている参加者の方々です。(右)
左から村人のケオさん、ナーさん、農林局職員のマライポーンさん、ケオアンさんです。
この2人の村の方には、先週の月曜日から事務所に泊まっていただいていて、
今月末までの10日間養蜂トレーニングを受けていただく予定です。

アヤコさんからすでにとった蜂蜜を分けていただいたのですが、
さらっとした触感で、さっぱりした甘みがあり大変美味しいです。
ラオスのフランスパン・カオチーと一緒に食べたら、なおよし!です!
ノンプー村で実施するかどうかは、まだ決まっていませんが、
養蜂プロジェクトが村の人の役に立てばいいなと思います。

それではまた


◎タケーク・ノートB(2006.11.17)

11月16、17日にスタディーツアーの方々と一緒に村で宿泊したときのことを
 紹介したいと思います。

 JVCを長年支援してくださっている「地球の木」という団体の方々がラオスに来られ、
 その方たちと一緒にプロジェクト村の一つであるボラパー郡ナタンドン村に
 一泊二日の日程で滞在してきました。
 ナタンドン村は全36世帯、300年の歴史がある村です。
 主に水田と家畜の世話で生計を立てています。

●1日目
 私たちは夕方村に到着し、村の人に挨拶をしてから、川で水浴びをして、汗を流しました。
 満点の星空の下、冷たい水につかるのは、とても気持ちのいいものでした。
 それから夕ご飯をJVCスタッフと村の女性が準備し、会食しました。(写真左)、
 その前に村の人が普段の食事、ということで、
 あらかじめ数品を用意してくださっていました。(写真中)
 
この中一品、煮タニシ(私が命名、タニシはラオス語で「ホーイ」といいます)
 この身をどうやって殻からだすと思いますか?
 実はハリネズミの針で刺して取り出します。
 大変美しく私たちは初め「象牙?」と聞いたりしていました。
 それを聞いて村の人は「そんなに良かったら持って帰っていいよ」
 と奥からまた持ってきてくれたりしました。
 そしてゆっくり食事を頂いた(もちろん私の大好きなカオニオも)後は、 
 数軒に分かれて泊めていただきました。

●2日目
 村の朝は早いです。
 1日目に、このナタンドン村に来る前にカーニャンカム村という村にも訪れたのですが、
 そこの村人は3時に起きて畑に行くと言っていました。
 夜型体質がたたって私はナタンドン村の人たちの起床時間を確認することができなかったのですが、
 暗い内からごそごそ火を起こしたりする音が聞こえていました。
 朝食前、副村長の一人、ブンソンさんの田んぼを見せてもらいました。
 (写真右;ブンソンさんの田んぼ。真ん中を歩いているのがJVCスタッフ、
 田んぼの中を裸足で暴走しているのが村の子です)

 ブンソンさんは米不足に悩まされており、
 田んぼの周辺を開墾して広くしたいと考えています。
 しかしトラクターを借りるお金が十分にないので、
 忙しい仕事の合間をぬって少しずつ手で開墾しています。

 そして朝食後は村のお寺の中で、村の人に集まってもらい、
 村の概要や普段の生活、また困っていることや希望を聞いたり、
 逆にスタディーツアーの方が日本のことを紹介したりしました。

 そして最後は以前もご紹介した儀式「バーシー」で、
 お互いの健康と幸福を祈りました。
 バーシーに出される料理は、前回はバナナ・お菓子・ビールだったのですが、
 今回はカオニオ・すりゴマ・蒸した地鶏そしてラオラオで、
 町と村の違いを見たような気がしました。
 鶏肉がおいしく、刺身のようだと思いました。
 バーシーでは、これらの料理を片手に持ち、もう一つの手は耳の位置まで持ち上げ、
 お祈りをしてもらいながら手首に木綿糸を巻いてもらいます。

 私たちは村の人にお礼を言いながら、村を後にしました。
 村人の生活と優しさに触れることのできた、素敵な2日間でした。

◎タケーク・ノートA(2006.11.10)

 お元気でお過ごしですか?
 タケークに到着して1週間、毎日新しいことの連続で、刺激の多い毎日です。
 今回はボラパー郡トンコーン村の様子をご紹介したいと思います。
 
 トンコーン村では現在井戸づくりを行っています(左)。
 2人の村の人が穴の中に入って土をかき出しています。
 ずいぶん深く掘っているのですが、なかなか水が出てきません。
 地上で見守っている他の村人とおしゃべりしながら、作業を進めます。
 
掘った土をバケツに入れて持ち上げ、地上に出します。
それぞれ違った柄のスカートをはいている女性たちが素敵です(中)。

全体の様子です(右)。
木の柵で囲ってあり、子供や家畜が落ちないようにしてあります。
右端の水色のシャツを着た人がブンシンさん、真ん中の髪の長い女性がマニコーンさん。
二人はJVCのスタッフです。
そして、その間に写っている柵にぶらさがっているおじさんが、カウンターパート
(農林局)のシーソンポンさんです。
ラオスでは村で支援活動をする際に、役人を同行させなければいけないことになっています。
しかし、ラオス語が話せないということもあると思うのですが、
私にはその人がお役人であるとはなかなか見えません。
でも話し振りがとてもしっかりされているので、普通の人ではなさそうなことを感じています。


 これからの季節・・・暖かい食べ物がおいしくなると思います。
 こちらでは日本と似ている食材がわりとあるので(お米はもちろん、タケノコ、白菜、きくらげ、など)、
 それでお味噌汁を作り、つかのまの「日本時間」を楽しんでします。

 それではまた。どうぞお元気でお過ごしください。

◎タケーク・ノート@(2006.11.3)

 お元気でお過ごしですか? もうずいぶん寒くなったことと思います。こちらは日差しは強いですが、風は心地よく、すごしやすい季節になっています。
 さて少し予定を遅らせていただきながら、カムアンに到着し、スタッフの方とお会いできました。
 これからの2ヶ月間、今度はカムアンでお世話になりながら貴重な経験をたくさんしたいと思います。

「ビエンチャンからカムアンへ」(左)
 ビエンチャンからタケーク(カムアンの県都)へは、車で6時間ほどかかります。
 この写真は途中で撮影した植林の様子です。ゴムの木だそうです。規模からして個人が栽培していると考えられますが、現在ラオスでは、企業による大規模植林事業(ユーカリ)が活発で、その問題性が指摘されています。
 自由主義経済発展が遅れていると言われているラオスでも、すでに森林率は40%をきっています。タイでは20%です。しかしラオスでは、まだ自然とともに生きる術を多くの人が持っています。
 その貴重さを政府が認識し、安直な政策に走ってはいけません。

「バーシー」(中)
 タケークに到着した日の夜、保健NGOのISAPのメンバーのSさんが任期を終えられ日本に帰国するということ
で、そのお別れにバーシーが行われました。
 バーシーはラオスの伝統的な儀式で、結婚式や今回のようなお別れの時などに開かれます。
 私は初めてバーシーに参加できたのですが、美しい装飾となごやかな雰囲気に心が温まりました。

「S」(左)
 Sんが手首に紐を巻いてもらっているところです。
 このようにバーシーでは参加者全員がお互いに紐を巻きあって、幸せを祈りあいます。
 この後宴会へと移り、私は大好きなカオニオとともにラープなどの美味しいお料理をいただきました。
 韓国のODAの派遣で来られているジュヒさんが作ってくださったプルコギも大変美味でした。


◎ヴィエンチャン・ノートB(2006.10.28)

 私がビエンチャンに到着した次の日くらいから、JVC事務所前の舗装工事が始まりました。それまで6カ月も工事中のままと聞いていたので「一体いつになったら終わるのやら」と思っていたのですが、この3週間でこんなに出来てしまいました。
 考えるに、雨季の間は道路がぬかるみ仕事にならないため乾季を待っていたと考えられます。ではなぜ雨季の初まりに工事が始まったのか…。・ある方は、予算を年度中に使っておきたかったためではないかとおっしゃっていて、なるほど!と思いました(左)

 今日(10月28日)JVCスタッフ、スワニーさんの友人の結婚式に行ってきました。
 ホテルで7時からの予定のスタートが、8時半ごろになって始まり、その後12時まで食べ・飲み・踊り続け、やっとお開きになりました。
 ラオスの結婚式の特徴は、会場の真ん中で、ペアになったたくさんの人が、ゆっくりと回りながら一緒に踊ることです(すみません。この踊りの名前を忘れてしまいました、どなたかご存じですか?)。
 食べては踊り、飲んでは踊り、という感じです。踊りの形はある程度決まっているのですが、それ以上はみんな自分の好きなように踊っていてリラックス。私も見よう見まねで楽しみました。
 ちなみにこの日の朝、伝統的な結婚式・バーシーが行われたそうです。
 (踊りはランボーンというのかしら。編集部注)

◎ヴィエンチャンノートA(2006.10.21)

  左は友好橋から見たメコン川です。
  火曜日、長期ビザを取るために国境まで行ったときに撮ったものです。
 タラート・クアディンという市場の隣から出ているバスに30分ほど乗って、友好橋のあるターナレーンという町に行きます。
 そしてまずは出国。バスで橋を渡り、タイに入国です。そのままタイの出国手続きを行い、再度バスに乗りラオスに再入国。この時にビザの更新が出来ます。私はせっかく日本から余っていた証明写真持ってきていたはずなのですが、かばんのどこにも見当たらなかったため、手数料$1追加の$31で、手続きが終了しました。最近までは一回の申請で2週間の観光ビザをもらうのが普通だったのですが、今は誰でも1カ月のビザをもらえるそうです。これも経済開放の一環でしょうか。

  右はJICafe(ジャイカフェ)の日本人スタッフMさん(右)です。 木曜日は一カ月に一度、日本のNGOとJICA関係者の方が集まるJANMというミーティングがあり、私もオブザーバーとして参加させていただきました。
 今回の議題は「誰を正式な会員にするか?(ラオスに常駐していないNGOはだめか、など)」「今度JICafeで行う写真コンテストの景品」「この7カ月を振り返ってJICafeはどうだったか?」などでした。
 JICafeは今年3月にできたばかりということで、試行錯誤されている様子が窺えました。初めて伺った私の感想としては、日本だけではなく海外のNGOも紹介する、そして資料を量質ともに充実させるといいのでは、と思いました。Mさんは来年の3月に帰国されてしまうため、その後任の方をどうするかも問題のひとつになっているそうです。


◎ヴィエンチャン・ノート@(2006.10.14)

 タイ北部コーンケーンという町からラオスとの国境沿いの町のノーンカーイへは列車で行きました。列車で会った、おじさんやおばさんたちはとてもいい人たちで、蓮の実を買って食べさせてくれたり、一緒に写真を撮ったりしました。最後は住所交換をして、とても楽しい時間でした。ノーンカーイからメコン川にかかる友好橋を渡ってラオスに入りました。
 写真左は、先日ベトナムから来賓があり、その一行を出迎える人たちです。高校生くらいの子たちが上は青、下は黒の制服を着てラオス国旗を手にしている姿を見、社会主義の国であることを実感しました。
 写真右は、ある日の買出しです。左からフランスパンのサンドウィッチ、中にサツマイモのお団子が入った揚げ饅頭、バナナの皮で包んで焼いたバナナ入りもちご飯、です。大変おいしく、市場に足しげく通う毎日です。