| ソック・サバーイ95号 |
| 2011年1月発行 |
|
|
|
|
|
|
|
変わり行くカンボジア、橋での事故から何を学ぶのか?
|
JVC東京 カンボジア事業担当 山﨑 勝
|
 |
プノンペン市内図
|
2010年11月22日の夜、プノンペンで行われた水祭りのイベント会場で、死者350名以上、負傷者約400名という大惨事が起こった。事故は、川に浮かぶダイヤモンド島と本土を結ぶ橋の上で起きた。当時、ダイヤモンド島ではコンサートが行われており、島から陸に戻ろうとした人と島へ渡ろうとした人が橋の上で密集して動けなくなり、多くの人が死傷した。2001年7月に発生した明石花火大会の歩道橋で起きた事故が記憶に新しいが、それをはるかに超える規模の事故であった。正確には、こうした事故を「群集事故」と呼ぶようである。
水祭りは、毎年、陰暦10月(カデック)の満月の日(上弦15日)を挟んで3日間行われる。この水祭り最大のイベントはボートレースで、各地の予選を勝ち抜いたボートがプノンペンで競い合う。この水祭りの起源にはいくつかあるが、カンボジアの水軍の勇ましさを象徴する行事であるようである。レースは、チョロイ・チョンワー橋(通称、日本橋。内戦後、日本の援助で再建されたためこう呼ばれる。)をスタートして王宮前がゴールになる。
 |
プラホック用の魚を獲る人びと。右側に
見えるのが、現在のダイヤモンド島。
(2006年12月撮影)
|
王宮前を流れるトンレサップ川は、トンレサップ湖とメコン川をつなぐ川であるが、雨季にメコン川が増水するとトンレサップ湖へと水を送り、逆に乾季になりメコン川の水位が下がると、トンレサップ湖の水をメコン川へと注ぐ。こうしたことから、トンレサップ湖は自然のダムとも言われており、雨季と乾季でその水位は8メートルも上昇し、面積は6倍にもなると言われる。
水祭りが行われるのは、ちょうどトンレサップ川の流れが変わる時期にあたる。つまり、雨季から乾季に入り、トンレサップ湖の水がメコン川に戻る時期である。この季節は、川では魚がたくさん獲れ、カンボジア人は獲った魚を塩漬けにする。これが発酵したものをプラホックと呼び、カンボジア料理には欠かすことができない。また、コメの収穫時期でもあり、収穫したばかりのコメを炒ってオンボックと呼ばれるお菓子を作って食べる習慣がある。炎天下での農作業に耐えた後の喜びのときが、この水祭りであり、多くのカンボジア人が楽しみにしている行事である。
 |
 |
雨季の様子
|
乾季の様子
|
さて、そんなカンボジアの代表的な行事で事故は発生した。水祭りになると、村で数台しかないテレビの前に人びとが集まっている光景を良く目にするが、農村でも水祭りのボートレースへの関心は高い。そして、年に一回、憧れのプノンペンにやってくる人もいる。一方、プノンペンの富裕層は、この時期の混雑を避けて避暑地や海外旅行へ行ってしまう人も多い。そのため、事故で犠牲になった人たちの多くは農村の人たちだった。
カンボジア政府は調査委員会を立ち上げて事故原因を調査しているが、様々な要因が重なった結果事故が起こったとして、事故原因は特定されていない。政府は、吊り橋に多くの人が集まったために橋が揺れ、群集がパニックに陥った、としているが、これに対して報道機関は、その場に居合わせた人の証言などから、「橋が崩落する」と悪ふざけで言い始めた人がいたことや、軍警察が群集をコントロールするために放水したこと、また、放水により橋の電飾に感電した人がいたことなどが明らかになっており、それらの事実を過小評価していると、政府の対応や見解を批判している。
 |
再開発前のスラム街。写真奥では、すでに
立退きが行われている。(2006年8月撮影)
|
ダイヤモンド島とそこにつながる橋が架けられていた場所の周辺は、もともとは農村を追われた都市貧困層が暮らす地域であったが、近年、再開発によって結婚式場、公園、高級住宅街などが整備された地区である。再開発で多くの人びとが立退きを強いられたその場所で、事故は発生した。今回のように大勢の人が集まることはカンボジアではほとんどなく、事故を予想するのは難しかったとも言える。しかし、その一方で、事故の予兆はあった。カンボジアでは、ちょっとしたことでもすぐに交通渋滞が発生する。信号を守らない人も多く、道を譲らずに我先にと進む人が多いためだ。高級車に乗った若者などが警察官の指示や検問を無視することも度々見られる。一方で、警察官も住民から信頼されておらず、警察官の指示に従わない人も多い。こうした結果、本来は一方通行の橋を、逆に進もうとした人がいたことが、事故の大きな原因となった可能性が高い。
事故直後、ニュースでは自分の子どもを失った女性が泣き叫んでいる映像が流れていた。私もカンボジアで何度か葬儀に出席したことがあるが、特に若い人を事故で突然亡くしてしまったときの遺族の無念さは深い。今でも、そのときの光景が瞼の奥に焼きつき、悲しみの声が聞こえてくる。遠い日本でニュースを見ながら、それを思い出した。その一方で、ニュースでは信じがたい事実を報道していた。身元が分からない遺体を自分の親戚だと偽り、所持品やアクセサリーを持ち去るという事件が発生していたのだ。あの小説「羅生門」の一シーンを思い出すような、出来事である。カンボジアでは、交通事故などで人が亡くなると、金品を盗まれるということがしばしば起こる。また、お金を払わないと救急車にすら乗せてもらえない。経済的に豊かになっていく人がいる一方で、未だに、こうした現実がある。
 |
ダイヤモンド島の対岸にあるカジノホテル。昼
夜を問わず、高級車が並ぶ。(2006年12月撮影)
|
今回の事故は、カンボジアの様々な現実を現しているようにも思える。経済発展が進む中で建設された橋で事故が起きたこと。農村の特に若い人びとが徐々に街に関心を持ち始め、プノンペンにも出ることができるようになってきたこと。また、多くの人が集まる都市では、農村での暮らしとは違ったルールが必要であり、それを人びとが守らなければ秩序が保てなくなってしまうこと。まさに、今、カンボジアで歪み始めている社会の状況が浮き彫りになっている。
カンボジアを良く知る人の中には、「カンボジア人は本番に強い」などと言う人もいる。ほとんど事前の準備をしなくても、当日なんとかなってしまうのだ。そんな楽観的なところは、カンボジアの人びとの良い部分であると思う。しかし、社会状況が急速に変化していく中で、それでは対応できなくなってきたことを今回の事件が示している。楽観的であることが問題なのか、社会が変化していくことが問題なのか、私には分からない。しかし、今、カンボジアの人びとがそれについて真剣に向き合うときが来ているように思う。
最後に、事故で亡くなられた方々のご冥福と、怪我をされた方々の回復をお祈りしたい。
|
TRCはトレーナー研修所だった。
|
JVCカンボジア事務所 TRC司書 イン・コック・エン
翻訳 ウン・ナラット
|
 |
勉強会でのコルさん
|
TRCはもともと、持続的な農業や農村開発に従事する人材を育成する機関として設立されました。これまでにTRCで研修を受けた多くのカンボジア人が、様々なNGOで活躍しています。中には、自らNGOを立ち上げた人もおり、農業や環境の分野で、カンボジア国内有数の現地NGOに育った団体もあります。このように、TRCから多くのカンボジアNGOが設立されたことで、NGOワーカーを育成するという当初の目的は達成されました。
現在のTRCの役割は、主に大学生に対して学ぶ機会を提供することです。近年、大学も整備され、その数も増えてきましたが、その一方で、質の高い教員や教材が不足していることが課題です。そこで、TRCでは国内外から収集した農業、環境、農村開発などに関する資料を学生に無料で開放しているほか、月に1回程度の割合で大学生などを対象にした勉強会を実施しています。
また、この勉強会は、TRCを多くの人に知ってもらうためにも良い機会となっています。学生の中には、TRCに多くの資料があることを知らない人もいますが、勉強会に参加することでTRCには世界中の貴重な資料があることを知ることができます。その結果、勉強会を開催するようになってからは、利用者数も増加傾向にあります。
勉強会を行う際には、TRCオリエンテーションを行っています。オリエンテーションでは、どんな資料があるのかを紹介し、本の検索の仕方、資料の利用の仕方、貸し出しの手続きなどについて説明しています。こうしたことで、TRCの資料をより効果的に利用してもらうことができるようになります。
勉強会では、農業、環境、開発など様々なテーマについて、JVCのスタッフがこれまで勉強してきたことや活動を通して得られた知見などを発表し、大学生と議論します。「開発とはこうあるべきだ!」という答えを学ぶのではなく、様々な視点からポジティブな部分とネガティブな部分の双方を考えることがこの勉強会の目的です。
この日はJVCの農村開発プロジェクトで働いて3年になる、農業が専門のクン・コルさんが講師を務めました。JVCの活動目的やこれまでの活動で得られた経験などについて共有してもらいました。大学生は、こうした現場の生きた経験を学ぶ機会はほとんどないため、参加者も熱心に話を聞き、活発な意見交換が行われました。参加した学生からも、「大変有意義だった」との感想が聞かれました。
|